2019年8月25日日曜日

一本のペチュニア

我が家のハンギングのペチュニアです。
苗は一本です。
こんなに見事に咲いたのは初めてです。

NPO法人信州まちづくり研究会の会員である立科町矢島牧場で作られた
蓼科牛の堆肥を使いました。

訳があります。
矢島牧場では昨年より、特殊な乳酸菌を加えた飼料を牛に与えています。
有効性の実証実験を行なっています。(岐阜県高山市では実証済みです)
牛の健康にも、肥育にも、糞尿にも、堆肥づくりやその品質にも素敵な効果を表します。

その牛達の堆肥を使いました。
これは本当に素晴らしい



添付の株式会社スピリットのパンフレットをご覧ください。
「Bio circulation 地域全体が循環する社会的農業」から堆肥部分だけ
切り取りました。従来の堆肥づくりの半分の時間(3ヶ月)で、
切り返し1回で、臭わない良質な堆肥が完成します。

https://drive.google.com/drive/folders/1JlvXuiXFSxl6_oFPCzaw9806lQ8_JX16

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2019年8月9日金曜日

「足の裏に付いた飯粒」

 “まちづくり”の研究の関係で、20年来のお付き合いを頂いている5歳先輩の松村正道様より貴重な記録を頂戴しました。敗戦直後の疎開児童の悲惨な食糧事情のお話です。

 私は敗戦の時2歳でしたので、当時の記憶はありませんが、職業軍人だった父と共に陸軍士官学校の疎開に伴って今の立科町に移住していました。ひもじかった記憶はありますが、頂いた文章にあるほど過酷ではなかった気がします。田舎だったからでしょうか。定かではありません。

 戦争に負ける、別な表現をすれば、戦争に限らず、国が破綻するとどんな酷いことが起こるかということを子供や孫たちに伝えていかなければなりません。だから「戦争反対」ではなく、そうならないためにどういうことが必要かを考えることを教えなければならない。

クリックすると拡大します。



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2019年8月7日水曜日

ベトナムで考える日韓問題:信濃毎日新聞より

田舎暮らしには不似合いな記事ですが、とても貴重な記事だと思います。


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2019年7月11日木曜日

"減反廃止"でも米生産が増えない本当の理由

"減反廃止"でも米生産が増えない本当の理由 - 減反政策の本質は転作補助金。政府は今もそれでカルテルを維持しているのだ。-


キャノングローバル戦略研究所(CIGS)のメルマガ2018.10.24より
  • 研究主幹 山下 一仁 [研究分野] 農業政策・貿易政策
  • 転載者註:戦後日本農業の大きな流れが判る。文字着色は転載者
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  • 10月3日付日本経済新聞は「コメ増産1%どまり」という記事を掲載し、「約50年続いた減反が今年廃止され、農家は自由にコメを作れるようになったが、高水準の米価を維持しようと増産に慎重な産地が多い」という分析・解説を加えている。
     この記事を経済学から批判したい。この小論が農業の盛んな地方の大学の経済学や農業経済学の授業の教材になれば幸いだ。

    カルテルは本来、簡単には成立しない

     そもそも、市場経済において、生産者が価格を維持する、あるいは価格を決定するというのは、どのような場合なのだろうか?
     最初に頭に浮かぶのは、独占の場合である。一つの企業が、ある財を独占的に供給していれば、競争相手を気にしないで、価格を決定できる。このとき、その企業が利潤を最大にしようと決定する場合の価格は、多数の供給者がいる場合に比べると、高くなる(ただし、高くしすぎれば需要が減少して、利潤は低下する)。
     次に、可能性があるのは、市場に数社しか存在しない寡占という状態で、各社が共同してある一定以下の価格では売らないようにするというカルテルを結ぶときである。よく話に上るのは、公共事業の入札に際し、建設会社が談合して、一定価格以下の入札はしないようにしたり、この入札は特定の企業に落札させるようにしたりするよう、合意する場合である。
     しかし、カルテルの場合、通常はカルテル破りのインセンティブが働く。例えば、ビールのように大手4社の寡占状態にあるときにはカルテルは作りやすいが、ある社が他の3社の価格を下回る価格を付けて販売すれば、他社の販売量を奪うことができ、利潤を大きく増やすことが可能になる。あからさまに消費者向けの価格を下げなくても、取引先の大手流通業者に多額のリベートを支払えば、大手流通業者はそれ以外の企業のビール販売を控えるようになるだろう。
     このため、カルテルが効力を発揮するためには、カルテル破りのインセンティブが生じないよう、何らかの強制(ムチ)か利益(アメ)がなければならない。公共事業では、カルテル破りで安い価格で落札した会社に対して、次からの入札で他の企業が意図的に安い入札を繰り返し、カルテル破りの企業が長期間落札できないようにするというペナルティが加えられるかもしれない。そのようなペナルティがありうると判断すると、どの企業も怖くてカルテル破りはできなくなる。大きなリスクを払って一獲千金を狙うより、ぬるま湯につかって安定した利益を確保したほうが、有利となる。
     しかし、そのためにはカルテル参加者に強い共同的な意思が存在することが前提となる。通常の場合には、そのようなことは考えられない。さらに、カルテルは独占禁止法で禁止されている。カルテルを行っていると告発されれば、企業イメージを大きく損なう。以上から、カルテルは簡単には成立しない。

    市場経済では生産者は米価を決定できない

     では、米の場合はどうか?
     経済学を最初に学ぶ人は、完全競争の理論から勉強する。完全競争とは、多数の生産者がいるので、個々の生産者が市場価格に影響を及ぼすことはありえず、生産者は全体の需要と供給によって市場で決まる価格を与件として行動する(生産量を決定する)という場合である。これは独占と対極にある場合である。
     そして、経済学の教科書では、完全競争の典型的な例として、農業が挙げられる。農業には多数の生産者がいるので、個々の生産者が市場価格に影響を与えることはありえない。200万の米農家がいることは、平均的な農家の供給量は市場全体の200万分の1しかないことを意味する。大規模といわれる100ヘクタールの農家でも、140万ヘクタールの米作付面積の下では、0.007%のシェアしかない。これらの農家が米の供給量を減らしても、米の価格は上昇しない。
     経済学が教えるように、市場経済では、米農家は市場価格の下で、自らのコストを考慮して利潤を最大化できる量の米を生産して供給するのである。市場経済の下では、農家が「高水準の米価を維持するために」米の生産を調整することはありえないし、できない。
     では、より大きな供給単位である産地がまとまって行動することはありうるのだろうか。
     このとき生産者は合計して一定の量以上の生産は行わないというカルテルを結ぶことになる。産地の単位として地域農協がまず考えられる。しかし、寡占の場合でもカルテルの形成は難しいのに、1農協当たり3千もいる米農家の間でカルテルが実現できるはずがない。仮にカルテルが作られても、全国に約700の農協があることからすると、個々の農協の供給量を農協単位でいくらまとめても市場価格には変化はない。
     では、都道府県単位ではどうだろうか?
     農家数が多くなるとますますカルテルの形成はできなくなるうえ、米産地の代表で最大の米作付面積を持つ新潟県でも、10万5千ヘクタールで全国の7.6%に過ぎない。とても市場価格に影響を与えられる規模ではない。

    米は市場経済ではない

     つまり、市場経済の下では、米で農家がカルテルを作って米価を維持することはありえないのである。それでは、どうして産地が米価を維持するという記事が書かれるのだろうか。
     この記述自体は誤りではない。それは、米はまだ市場経済ではないからである。市場経済ではないから、カルテルによって産地が価格を維持できるのである。冒頭の記事の「減反が今年廃止され、農家は自由にコメを作れるようになった」という記述が、ウソなのである。
     簡単にいうと、この記事は、完全競争の下で、生産者は市場価格に影響を与えることができるという内容であり、経済学の基本を無視している。正確にいうと、完全競争という市場経済の状況にないから、生産者(団体)は米価を維持できると書くべきだったのである。
     江戸時代には、世界最初の先物取引である堂島の正米市場が作られたように、米は市場経済そのものだった。もちろん、小さな農家が米相場を左右するなどありえない。しかし、1918年に起こった大正の米騒動以降、政府が市場に介入して価格を操作するようになってから、市場経済ではなくなった。
     戦時経済となる1942年以降は、米は、食糧管理制度の下で、政府の完全な市場統制のもとに置かれるようになった。いわゆる統制経済で、市場経済の完全な否定である。
     平成まで続いた食糧管理制度の下で、政府が一元的に生産者から米を買い入れ卸売業者に販売していたときは、政府は統一された生産者価格で買い入れ、単一の消費者価格で売り渡していた。政府という独占的な買い手、売り手の下で独占価格が成立していたのである。それ以外の流通は、ヤミ米と言われ、終戦直後の食糧難時代には特に厳しく取り締まれた。
     しかし、食糧管理制度の下でも1969年自主流通米制度が導入され、政府を通さない流通が認められるようになり、さらに1995年食糧管理制度は廃止された。今は、制度的には独占価格は成立しない。

    減反政策の基本は補助金交付

     政府が買い入れるという食糧管理制度の下では、農家保護のために米価を引き上げれば、生産量が増えて需要が減る。1960年代から70年代にかけて、米価闘争と呼ばれるほど、激しい運動が毎年6~7月頃繰り広げられた。霞が関や永田町は、農家のムシロ旗で囲まれた。農民票が欲しい自民党の圧力に負けて、米価はどんどん引き上げられた。
     この結果、大量の過剰米在庫を抱えてしまった政府は、多額の財政負担をして、家畜のエサ用などに安く処分した。これに懲りた政府は、農家に補助金を出して米の生産を減少させ、政府の買い入れ量を制限しようとした。
     これが減反政策である。
     しかし、農協は簡単に減反に応じなかった。代償に多額の減反補助金を要求したのである。このため、農協に突き上げられた自民党と減反補助金総額を抑えたい大蔵省(当時)との間で、大変な政治折衝となった。これは、自民党幹事長だった田中角栄が、過剰な水田の一部を宅地などに転用することで減反総面積を圧縮し、減反補助金総額を抑えながら、面積当たりの補助金単価を増やすという、とんでもない案をひねり出すことで、やっと収拾された。
     このように減反政策の基本は補助金の交付である。
     そのとき、なにも作物を生産しないのに補助金を出すというのでは、世間の批判を浴びるので、食料自給率向上という名目を付け、麦や大豆などに転作した場合に補助金を与えることとした。つまり、減反と転作は同じことなのである。減反補助金=転作補助金である。
     減反廃止という誤報を認めたくない人による、減反は廃止したが転作は廃止していないという、珍妙な記事を読んだが、農政に関わった人たちにとっては噴飯ものだったのではないだろうか。70年代から減反政策と付き合ってきた我々にとって、減反がなくなって転作補助金が残るというのは、起こりえないことだ。もし私がこのような発言をしたら、かつての同僚から相手にされなくなるだろう。
     最初は、減反に価格維持という役割はなかった。価格は政府が決めていたからである。しかし、食糧管理制度が廃止されて以降、米価を高く維持するため、減反が価格決定の役割を果たすことになった。農家に補助金を出して供給量を削減すれば、米価は市場で決定される以上の水準となる。農協は、食糧管理制度の時には、政府への販売量を増やすため減反反対を唱えていたが、同制度廃止後は米価維持の唯一の手段となった減反政策の積極的な支持へ立場を変更している。

    「減反=転作補助金」はカルテル維持のアメ

     完全競争で決まるはずの米の価格が生産者団体によって形成される。それは米が依然として市場経済ではないからである。
     米は政府も関与するカルテルで生産量が調整され、価格が形成される。本来生産者が多数でカルテルが成立するはずがないのに、なぜカルテルが行われるのか? 「減反=転作補助金」がカルテルを形成・維持し、カルテル破りを実現しないようなアメ(誘因)として機能しているのである。
     今でも、農林水産省が国全体の米適正生産量という名前で全国レベルでの生産目標を事実上示し、それに基づき都道府県別に生産目標が決定され、最終的には生産者別に下されていく。幸い、農協が生産者のためにカルテルを行うことは独占禁止法の適用除外となっている。農協は大手を振ってカルテルができる。それに生産者を従わせるために補助金が使われてきた。
     市場経済では、ただ同然の価格しか得られないエサ用に米を作るような生産者はいない。それを主食用米と同額以上の転作補助金を与えて、農家にエサ用米を作らせ、主食用の米の生産・供給を制限し、米価を高く維持している。かつて政府が事後に在庫として抱えた過剰米は政府が処分したが、今は事前に転作補助金を与えて農協に過剰米を処理させている。
     減反が廃止されるということは、減反のために交付してきた転作補助金も廃止されるということである。転作補助金は食料自給率向上のためではなく減反のためである。食料自給率向上のためなら、「減反=転作補助金」を廃止して米を増産させ、米を輸出した方が、はるかに効果的である。
     供給を減少させる減反が廃止されるなら、かつて石破茂大臣が農林水産省にシュミレーションさせたように、米の生産は大幅に増加して米価は低下する。減反は廃止されていない。減反廃止という誤報を糊塗するために、経済学からすれば間違った記事を書いてしまっているのである。
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日本農業を成長させよう

農業界の常識を打破して日本農業を成長させよう


キャノングローバル戦略研究所(CIGS)のメルマガより
『週刊農林』第2356号(2018年8月5日)掲載
  • 研究主幹 山下 一仁 [研究分野] 農業政策・貿易政策
  •  転載者註:戦後日本農業の大きな流れが判る。文字着色は転載者
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  •  農業について信じられてきていることや主張が間違っている場合が多々ある。しかも、それが日本農業の発展を阻んできた。そのような常識や主張を壊し、その後に開ける展望について論じよう。

    農家も農業も独り歩き出来ないのか?

     石橋湛山(1884-1973)は、岸信介との熾烈な自民党総裁選を勝ち抜き総理になりながら、病気のため2か月で退陣した悲運の宰相である。彼は、戦前東洋経済新報社を拠点として、小日本主義を唱え、植民地反対論を展開した。自由主義、個人主義を強調する石橋は、政府による農業保護も自由な個人の能力発揮を阻害するものとして批判する。
     「日本の農業はとても産業として自立できない、故に農業には保護関税を要する。低利金利の供給を要する。(中略)政府も、議会も、帝国農会も、学者も、新聞記者も、実際家も、口を開けば皆農業の悲観すべきを説き、事を行えばみな農業が産業として算盤に合わざるものなるを出発点とする。斯くて我農業者は、天下のあらゆる識者と機関から、お前等は独り歩きは出来ぬぞと奮発心を打ちくだかれ、農業は馬鹿馬鹿しい仕事ぞと、希望の光を消し去られた。今日の我農業の沈滞し切った根本の原因は是に在る」
     残念ながら、現在でも、農業界の人たちは、農家は弱者であり、農業は儲からないと考える。農家や農業団体も、自力で困難を解決しようとするのではなく、政府や与党に保護や救済を求めて恥じない。
     1900年に法学士第一号として農商務省に入省した柳田國男(1875~1962)は、産業組合(今の農業協同組合)の意義を次のように主張する。
     「世に小慈善家なる者ありて、しばしば叫びて曰く、小民救済せざるべからずと。予を以て見れば是れ甚だしく彼等を侮蔑するの語なり。予は乃ち答えて曰わんとす。何ぞ彼等をして自ら済わしめざると。自力、進歩協同相助是、実に産業組合の大主眼なり」
     ただし、現実の協同組合は政府の支援によって発展し、農業保護を叫ぶ圧力団体となった。この農業界の姿勢や心構えを変えない限り、農業が成長産業となることは期待できない。
     しかし、自力で道を切り開くという姿勢を示している農業企業家が出現している。農業界は関税撤廃に反対するが、日本がTPPに参加する前の世論調査では、農林漁業者の中でTPPに反対しているのはわずか45%、賛成は17%もいた。秋田県の米どころで行われた私の講演会で、米の主業農家が「我々の米はどこにも負けない。農協は反対しているが、我々としては米の関税を撤廃してほしい」と発言すると、周りの農家から拍手が起こった。

    規模が小さいので競争できない?

     柳田國男は1904年の論文で、「旧国の農業のとうてい土地広き新国のそれと競争するに堪えずといふことは吾人がひさしく耳にするところなり」と書いている。日本の農業界は110年以上も「規模が小さく競争できないので関税が必要だ」という主張を一貫して行っているのである。
     農家一戸当たりの農地面積は、日本を1とすると、EU6、アメリカ75、オーストラリア1309である。他の条件が同じであれば、規模が大きい方がコストは低い。しかし、規模だけが重要ではない。この主張が正しいのであれば、世界最大の農産物輸出国アメリカもオーストラリアの18分の1なので、競争できないことになる。
     この主張は、土地の肥沃度や気候・風土の違いを、無視している。オーストラリアの農地面積は我が国の90倍もの4億ヘクタールだが、穀物や野菜などの作物を生産できるのは、わずか5千万ヘクタールに過ぎない。それ以外は草しか生えない肥沃度の低いやせた土地で、牛が放牧され、脂肪身の少ない牛肉がハンバーガー用にアメリカに輸出される。これに対して、アメリカ中西部の肥沃なコーン・ベルト地帯では、トウモロコシや大豆が作られ、これを飼料として作られた脂肪身の多い牛肉は、日本などに輸出されている。また、小麦が作られるところでもオーストラリア単位面積当たりの収量はイギリスやフランスの4分の1に過ぎない。
     さらに重要なのは品質の違いである。ブドウにはカバルネ・ソービニオン、ピノ・ノワール、メルロー、シラーズなどの品種がある。しかし、同じ品種を栽培しても、できるワインには地域によって差があるだけではなく、同じ地域内でもワイナリーによっても差が生じる。気候・風土や栽培方法によって、品質の違いが生じるのである。
     米については、短粒種、長粒種、カリフォルニアでは中粒種が生産されている。アーカンソーでは、日中の寒暖の差が小さく、食味の良い米を生産できないため、長粒種が生産されている。気候風土によって作られる米は違う。アメリカ・ロサンゼルスのスーパーでの米の価格は、長粒種を1とすると、中粒種1.5、カリフォルニア産短粒種3、日本産あきたこまち6、新潟コシヒカリ8である。
     香港では、同じコシヒカリでも日本産はカリフォルニア産の1.6倍、中国産の2.5倍の価格となっている。日本の国内でも同じである。コシヒカリでも新潟県魚沼産と一般産地では1.5倍以上の価格差がつく。日本の米の品質は国際的にも高く評価されている。それなのに、国内の米価を維持するために、農業界はやっきになって国税を投入してまで主食であるはずの米の生産を減少させ、日本を〝みずほの国〟ではなくそうとしている。減反政策である。
     国内の地域を生産額の多い順に並べると、関東、九州、東北の順で、農地面積が最大である北海道はその次である。アメリカでも一番生産額の多い州は、コーン・ベルト地帯のアイオワやネブラスカなどではなく、カリフォルニアである。
     農産物輸出国の上位10ヵ国のほとんど(2014年で7ヶ国)はヨーロッパに属している。世界第2位の農産物輸出国は、国土の小さいオランダである。土地資源に恵まれているはずのオーストラリアは15位にすぎない。
     北海道、アイオワ、オーストラリアに共通するのは、小麦、トウモロコシ、ビートやサトウキビ、イモ、大豆など、食品製造業の原料農産物を生産していることである。これに対して、関東、カリフォルニア、オランダの共通点は、野菜、果物、花など価格の高いものを生産していることである。
     世界最大の農産物輸出国はアメリカだが、最大の輸入国もアメリカである。アメリカは有数の牛肉輸出国だが、最大の牛肉輸入国もアメリカである。現在の農産物貿易の特徴は、日本がトヨタ、ホンダ、日産を輸出して、ベンツ、ルノーなどを輸入しているように、各国が同じ農産物を輸出し合っていることである。これを伝統的な〝産業間貿易〟と区別して〝産業内貿易〟という。この点に着目して1979年ころ新しい国際貿易理論を作り出したのが、ノーベル経済学賞受賞者であるポール・クルーグマンである。
     米についても、アメリカは350万トンの輸出を行いながら、高級長粒種ジャスミン米を中心にタイなどから80万トンの米を輸入している。ワインについても、アメリカのワイン店にはカリフォルニア産だけでなく、フランス産、チリ産など世界各国のワインが並んでいる。つまり、同じものでも品質に違いがあれば、双方向で貿易が行われるのである。日本のようにただ農産物を輸入するだけというのは、世界的には極めて異常である。

    成長や競争に必要なものは何か?

     戦前画期的な農業・農村改革が、京都府で最も貧しい村と言われた与謝郡雲原村(現福知山市)で実践された。リーダーは、中国を援助するための対中借款、いわゆる西原借款を推進した人物として有名な西原亀三(1873-1959)である。
     東アジア地域の経済の救済・発展を目指していた西原は、国際経済を視野に入れながら農村振興が行われるべきだと主張する。そして、「吾々が国際経済の環境に棲息して、その生活の安定―幸福の増進を期待するなれば、何としても優良品廉価主義にならなくてはならぬ。」
     "良いものを安く"、これこそトヨタやキヤノンなど現在の輸出産業が目指しているところである。しかし、今日でも農業界は、外国から農産物が輸入されるときは国産の価格が高く価格競争力がないので関税が必要だと主張するのに、日本の農産物を輸出するときは品質が良ければ売れるはずだと言い、価格競争力の重要性を認識しない。精神が分裂しているのである。人口減少や高齢化で国内市場が縮小する中では、輸出するしかない。そして国際市場で競争していくためには、西原の主張する"優良品廉価主義"が欠かせない。
     大規模な農地の交換分合等を積極的に行った結果、貧しかった雲原村は、活気のある村となった。コストの削減による所得向上である。戦前は、近衛文麿、小磯国昭らが同村を訪問して成果をたたえ、戦後はGHQに日本農村のモデルだと評価された。
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参院選を左右する一人区、鍵を握る農家票

参院選を左右する一人区、鍵を握る農家票

〜農家は減っているのに、農家票が重みを増すカラクリとは~


 キャノングローバル戦略研究所(CIGS)のメルマガ2019.07.10より
  • 研究主幹 山下 一仁 [研究分野]農業政策・貿易政策
 転載者註:戦後日本農業の大きな流れが判る。文字着色は転載者
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 7月5日の朝日新聞は「命運握る一人区」という見出しで、74地方区の中の32の一人区について、「わずかな票差でも当落が決まり、全体の結果を左右する」と述べている。
 与野党とも認識は同じである。安倍総理率いる自民党は、前回の参議院選挙で敗北した11選挙区を含む16選挙区を「激戦区」に指定、特に1勝5敗と大きく負け越した東北地方の一人区を重点的にテコ入れする考えである。
 立憲、国民民主、共産の野党も、共倒れを回避するため、32選挙区すべてで候補者を統一し、与党と対峙している。
 さらに、6日付けの朝日新聞は「序盤の情勢 一人区激しい争いも」と題し、一人区のうち、秋田、長野、愛媛、沖縄で野党候補がリードし、岩手、宮城、山形、新潟、滋賀で競り合いとなっていると分析している。

保守的な地域で自民苦戦

 沖縄は基地問題、愛媛と滋賀は野党が人気のある候補を擁立したという事情があるだろう。しかし、それ以外は東北、信越地域である。長野は伝統的に野党勢力が強いという事情があるが、それ以外の東北、新潟は保守的なイメージが強く、ここで自民党候補が苦戦していることに意外に思われる人が多いのではないだろうか?
 これらの地域には共通点がある。いずれも、経済や社会のなかで農業の占める役割や地位が大きい。しかも、農業のうち米の占める比重が他地域に比べて高い。
 安倍政権になって、農業界が反対してきたTPPに参加したこと、2014年産の米価が大きく下落したことが、前回の参議院選挙で自民党が東北地方区で1勝5敗と大きく負け越した原因だと言われている。
 その前の2013年の参議院選挙では、自民党は一人区で29勝2敗と大勝した。しかし、この選挙でも、安倍内閣になってから参加を決定したTPP交渉に不満を持つ山形県の農協組織が対立候補の支援に回ったため、自民党候補は48%対45%というわずか3%の差でかろうじて逃げ切るというきわどい選挙となった。
 つまり、東北などの「激戦区」では農家票が選挙を左右しているのである。

農家減少でも農家票は重み増す

 しかし、これも意外な事実である。農家票は減り続けており、東北でも例外ではないからである。
 全国の農家戸数は、1960年606万戸、1980年466万戸、2000年312万戸、2015年216万戸である。1960年から比べると3分の1まで減少している。最新の動きを把握するため、統計が明らかな、ある程度農産物を販売している農家(「販売農家」という)数の推移を見ると、2000年の234万戸から2019年には113万戸とこの20年で半減している。
 秋田県を例にとると、県内総生産に占める農業の割合(カッコ内は全国の数字。以下同じ)は2.5%(0.9%)、就業者数に占める農業の割合は9.0%(3.4%)、一般世帯に占める農家の割合12.6%(4.0%)である。いずれも全国の数値よりも高くなっているが、選挙の帰趨を左右するほどの大きな数値とは言えない。
 秋田県でも、農家戸数は1965年の12万戸から5万戸へ、農家の一般世帯に占める割合は同じ期間42.8%から12.6%へと極端に減少している。農業は経済的にも人口的にも大きく比重を低下させているのである。
 それなのに、なぜ農家票がこれほど重要な役割を果たしてしまうのだろうか。
 それは一人区という特徴からである。これは同じ一人区である衆議院選挙の小選挙区も同様である。
 農家票はJA農協によって組織された固定票である。与野党の候補が50対50で競っているところで、少なくなったとはいえ2%の組織票が対立候補に入ると、48対52と4%の差がついてしまう。これに地方の一人区や小選挙区で立候補する政治家は怯える。
 落選すると政治家は失業してしまう。一家の生活をかけた戦いだから真剣である。自民党が公明党と連立を組むのも同じ理由である。公明党の固定票が野党に流れるとその倍の差がついてしまう。

農業保護の競い合いへ

 その結果、農業を保護すべきかどうかで対立するとか、農業についての政策で大きな違いが生じるのかというと逆である。与野党の候補とも農家票を求めて争うため、農業保護を競い合う選挙戦となってしまう。
 米については、立憲、国民民主とも、民主党政権の時に打ち出し、自民党政権になったとたんに廃止された、戸別所得補償政策の復活を掲げている。これは減反で高い水準の米価を維持したうえで、10アールあたり1.5万円の金を農家に支払うというものである。戸別所得補償政策の"戸別"という言葉は、農家にお金をバラマクという意味で、選挙に長けたといわれる小沢一郎氏の命名になるものである。
 他方で、戸別所得補償政策を廃止した自民党は、2014年の米価低落の教訓から、ほとんどただ同然の収入しか得られないエサ用の米に主食用の価格と同額の金を農家に支払い、エサ用の米を増産し主食用の供給を減らして、主食用の米価をより高く維持しようとしている。
 これによって、"減反を廃止"した(これは安倍内閣のフェイクニュースである)といわれるのに、供給量が減少しているので、外食店では安い業務用の米が手に入らないという苦情が出されている。財務省も財政負担が高すぎると批判している。しかし、"農家第一"の農林族議員や農林水産省は意に介さない。
 それどころか、自民党は、小沢一郎氏が戸別所得補償政策の財源をねん出するために3分の1まで大幅に減額した農業公共事業費(「農業農村整備事業」という)を、もとの予算額以上にしたとアピールしている。農業公共事業費の復活を運動し続けてきた全国土地改良事業団体連合会(全土連)の会長は、自民党の二階俊博幹事長である。
 貿易の自由化にも与野党の候補者は賛成しない。関税を下げて農産物や食料品の価格を下げることには、どの候補者も反対である。
 農家票を取りまとめるJA農協は、高米価によって非効率な零細兼業農家を維持し、その兼業所得などを預金として活用して日本第二位のメガバンクまで発展した組織である。農産物価格、特に米価を下げようと主張しようものなら、JA農協を敵に回し、農家票を対立候補に渡してしまう。
 自民党はTPP交渉で米などの重要な農産物の関税は削減しなかった。代わりにアメリカ等に安い関税で輸入できる米の輸入枠を設けたが、これで輸入したと同量の米を国内市場から買い上げるという政策を打ち出し(つまり国内市場での供給量、米価は変わらない)、財政負担で輸入米の影響を処理することで、米農業への影響が全く出ないようにした。
 また、関税を下げる牛肉や豚肉については、過剰なまでの国内対策を講じ、焼け太りとまで言えるほどの手当てを行った。今行われている日米貿易交渉ではTPP以上の譲歩はしないことを掲げている。
 この点は、与野党の候補とも一致している。野党はもっと手当てを充実すべきだと主張する。

関税撤廃すれば消費増税しても国民負担は増えない

 この関税によって農業を保護するという政策は、国民・消費者に国際価格よりも高い値段で農産物や食料品を買わせるということに他ならない。
 多くの政治家は、貧しい人が高い食料品を買うことになる逆進性が問題だとして、消費税増税に反対した。食料品の軽減税率も導入される予定である。
 その一方で、関税で食料品価格を吊り上げる逆進性の塊のような農政を維持することは、国民の生活第一とか家計重視とかスローガンとする政党も含め、与野党の政治家にとっては、国益となるのだ。
 OECDは関税による日本の農業保護を4兆円と試算している。消費税1%が2兆円に相当するので、これは消費税2%に相当する。つまり、関税を撤廃して消費者が安く農産物や食料品を購入することができるようにして、その負担を減じ、他方で消費税を8%から10%に引き上げれば、国民負担は全く増えないで財政再建に貢献できる。
 もちろん農業だけで生活している専業農家にはEUが行っているような直接支払いを行う必要があるが、米の減反補助金4000億円を廃止するので、その5分の1以下の金額で済む。財政的にも国民負担は大きく減少する。
 しかし、残念ながら、そのような方向に政治は動かない。
 自民党が政権に返り咲いた衆議院選挙を分析した朝日新聞と東京大学は、自民党に投票したほとんどの有権者はTPPを支持していたのに対し、当選した自民党の候補者のほとんどがTPP反対だったと分析している。JA農協がTPPに強く反対したからである。
 こうして特定の政策に強く影響されるグループの意向や利益が全体の政策を決定してしまう。今の選挙制度は国民全体の民意を反映したものではない。民主主義の難しさなのだろうか?

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2019年7月3日水曜日

妹夫婦の素敵な『プチホテル&レストランベル』


    買って下さい!
     素敵な場所・建物です!


  俗っぽいものが何もない寂れた観光地、
     だからこそ、最適ではないでしょうか?


     サテライトオフィスに如何でしょう!


クリエイティブな仕事、ブルーオーシャン戦略に挑んでいる企業の皆さんへ、

妹夫婦の「住宅付きレストラン&宿泊施設」活用の提案です。
1991年、私が現役時代に建てた「プチホテル&レストラン・ベル」です。
一階の居住・営業スペースの他2階に個室が8つあります。
新幹線「佐久平駅」(軽井沢の次)からバスで1時間15分

創造的な思考、新たな価値、新たな戦略を生み出す
サテライトオフィス として活用できないでしょうか?

アララギ派の歌人伊藤左千夫に女の神山と詠われた蓼科山(標高2530m)の麓に広がる
穏やかな憩いの環境にたたずんでいる瀟洒な建物です。
周辺の森の中には、
筑波大学附属高等学校寮、慶應大学、日本大学等の学校寮が点在しています。
俗っぽいものが何もない寂れた観光地、
だからこそ、最適ではないでしょうか?

きっと、素晴らしい何かが誕生する筈です!

妹はフランス料理のシェフと一緒になり、
二人で真面目に働き通して、評判にもなり、借金は完済し、多少の蓄えもつくりました。
二人とも古希を超えて、第二の人生を考えています。

ですが、「ご所望であれば、皆さんの賄いは腕を奮ってやらせてもらいます」
と言ってますが、食べ過ぎにご注意ください。

目の前には園地が広がり、野外音楽堂があり、
小学生でも登れる蓼科山山頂へは90分、
女神湖、スキー場は歩いて200m、

下記のホームページを開いて画像と諸条件をお読み下さい。

女神湖畔に伊藤左千夫の歌碑が建っています。
蓼科高原には、、あららぎ派の歌人たちが、諏訪に住むメンバーの
島木赤彦に誘われてやびたび訪れて、秀れた多くの歌を残したそうです。
こちらは伊藤左千夫の蓼科山歌

信濃には八十の高山ありといへど女の神山の蓼科われは

媒介者の代理人 「蓼科だより」主宰 安江髙亮 
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2019年4月25日木曜日

講演:「山口市の実践に見る農村改革への挑戦」

NPO法人信州まちづくり研究会の総会 
「第3回東信 スマート・テロワール研究会」

 日 時:5月17日(金) 総会は  午後1時より   会員のみ(一般は傍聴OK)
              講演会は 午後2時より どなたでもOK
     無料

 場 所:佐久平駅前の佐久平交流センター2階 第5会議室


 テーマ:「山口市の実践に見る農村改革への挑戦」

 「農業は誰のものか?」
という根源的な問いかけから始まります。
農政担当者を唸らせ、市の農政を根底から変えた取り組みの、
意識改革と実践のお話です。
その元にあるのが「スマート・テロワール」
この意味は聞いて頂ければお判りいただけます。
常識を覆す発想ですが、納得せざるを得ない考え方です。
私たちの常識が非常識であることを悟らせてくれます。

 美しく強く豊かな郷土を望まない人はいないと思います。
この講演は、郷土の未来を考える上で必ず参考になります。
聞くことによる損害はゼロだと思いますので、お出かけください。
午後5時終了後の懇親会は有料(3000円)ですが、参加できます。
感動なさったら、どうぞ。


(画像全体を拡大してご覧ください。
文字が小さくて読みづらい方は、090-3148-0217へ)



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