2014年1月25日土曜日

蓼科だより・328号〜田舎暮らし情報

★ーーーーーーーーーーーーーーーー2014年1月25日(土)★
★テーマ:初仕事,農政の実態,「究極の田んぼ」,
     飢餓の歴史
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 今日から外仕事を始めました。暖かかったので玄関脇のイチイ(栂)の木を大小合わせて7本ばかり剪定しました。
 防寒着を着て始めましたが汗をかきそうになったので脱ぎました。冬,汗をかくのは禁物です。
今日は日陰でも氷が融け,明日は雨の予報とか。しかし,この時期の雨は良くありません。雪に雨が染み込みそれが冷えると氷になり,いろんな被害が発生するからです。
 イチイの剪定は案外楽で,仕上がりがきれいなので,楽しい初仕事でした。

 ひとつ間違いと訂正があります。前号で,ジョン・ミューアさんの本は加藤則芳「訳」と書きましたが,「著」でした。失礼致しました。

 更に,前回書きました「性奴隷像サイバー戦争!」の記事に貼付する誓願署名のURLを間違えていました。下記から入ってください。日本語の案内がついています。この署名活動を続けましょう!
http://staff.texas-daddy.com/?eid=454

ーーーーー嘆かわしい農政の実態

 年末から断続的に,田んぼをお返したり新たにお借りることに関連して,農地法に関わる手続きをしたり,市民農園の研究をしていますが,相変わらずの農政の無作為にはあきれるばかりです。
 農地を守るとは建て前だけで,私が小さなトイレや道具小屋を置くにも申請だ許可だと細かく統制しますが,一方で,国税を使って圃場整備した広い優良農地を,福祉施設やセブンイレブンのために簡単に潰しています。どうやっても土地がないなら仕方ありませんが,荒廃農地は山ほどあります。

 以前に書いたことがありますが,首都圏から移住してきた方が,野菜を作りたいとして小さな畑を買いましたが,農地法の縛りのため登記することができず,仮登記のままです。
 その方はそこで野菜を作っていますが,本当は違法です。非農家が農地を借りることは違法なのです。一度に5反歩(0.5ヘクタール)以上なら法律上可能ですが,そんな広い面積は家庭菜園には大き過ぎます。

 しかし,役所はその違法は見ぬ振りをしています。農地法の違反事例はたくさんありますが,行政は都合の悪いところは見ぬ振りをして,どうでも良いことだけやっているように見えます。議会も,このようなことに何の問題意識もないようです。

 農政の基本は「農地」と「農業」を守る,特に優良農地を守ことが本命の筈です。ところが,今の農政が守っているのはそれで飯を食っていない「農家」と農地の「所有権」だけです。

 自分の家の余った一室を下宿にしたり,空いてる工場や倉庫の一部を他人に貸したりする時,何の許可も要りません。しかし,農地を貸す時には分筆(土地を法的に分ける)しなければなりませんし,非農家には貸すことはできません。工業,商業,サービス業にはこのような規制はありません。

 近年,住宅地にしても事業用地にしても,活用できれば良いとし,所有権を誰が持っているかは二の次です。大事なことは,宅地なら幸せに暮らせることと,事業用地なら有益な事業ができることです。所有権など誰が持っていても良いのだと思います。

 何故,農地をそのように考えることができないのでしょうか。その農地が農地として使われている限り,所有権がどこにあろうと良い筈です。個人でも法人でもです。

 取り締まるべきは,農地から他の用途への転用,専門用語でいう農地転用だけです。この一点を厳格に取り締まれば,あとは自由で良いのではないでしょうか。万一違反があったら,酔っぱらい運転のように,厳正に処分すべきと思います。
 更に,農地所有者が耕作せずに放置した場合の処分もされるべきです。私の記憶では,フランスでは3年放置すると自治体が没収するとか,です。

 現状は,非農家に対しては非現実的な縛りが続いていますが,大規模な転用は特に問題視されることもなく許可されています。

 もちろん,自由とは言っても,農業の発展のため(農家の発展ではなく)に必要な規制はあっても当然です。税金を使って整備した優良農地などは細分化を認めるべきではないと思います。しかし,農家の相続は限りない小規模化を認めています。しり抜けということです。
 更に,上記の移住者の場合などは,もしその方がやらなければ放置される運命にある畑ですから歓迎すべきです。ともかく,他の産業同様,所有権は原則自由で良いと思います。

 又,現在の農地・農業政策が農地の所有権を縛っているために作られている関連法がたくさんあります。その運用のためにも官僚・役人が必要であり税金が使われています。
 例えば市民農園法です。この法律は非農家に家庭菜園をさせるための法律ですが,非農家の人も自由に農地を所有したり借りたりすることができるようになればこの法律もその業務に携わる職員も要りません。

 ともかく,硬直した農政は,守るべき優良農地を守らず,生かされる筈の荒廃農地を救うこともしていません。これでは日本の農業・農村が良くなる筈がありません。

 このような矛盾が多く顕在化している原因は,農業政策と農家政策を一緒にしているためと思われます。農家政策は地方の環境保全と自給を目的とし,農業政策では世界標準の競争可能な本物の農業を振興するということではないでしょうか。
 目的が全く違うので,同じ法律で達成することはできないと思います。

 ずいぶん高飛車なことを書きましたが,私も農家の端くれですのでご理解ください。間違いもあるかも知れません。ご意見を頂ければ幸いです。

ーーーーー「究極の田んぼ」(岩澤信夫著)

 不耕起移植栽培の開発者岩澤信夫先生の最後の著書を読みました。先生の稲作りにかけた生涯の集大成であり,最初から最後まで,日本はもちろん,世界の食と健康への危機を訴え続けています。深く強い人間愛を感じました。
この農法を園原塾長を通じて伝授して頂いた我々には大きな責任があると思いました。

 この本の中に,アメリカの不耕起栽培は50%になっているとあったので,インターネットでデータを探しましたらありました。アメリカで不耕起栽培が多いのに驚きました。
 下記URLの表にある通り,アメリカの不耕起栽培は,大豆で50%,小麦で30%,大麦37%,米16%となっています。これは2009年のデータであり,増え続けているようです。

No.168 アメリカで不耕起栽培が拡大中
(パソコンの画面を広げると表が大きく見易くなります)
http://lib.ruralnet.or.jp/nisio/?p=1450

 不耕起栽培が可能になったのは,アメリカのライト博士によるグロマリンという土中タンパク質の発見(1996年)により,ドイツの農学の祖テーアによる「植物栄養の腐蝕説」(1812年)が覆ったからだそうです。
 グロマリンは,不耕起の畑で増え,土壌の団粒化が進み,肥沃化し,肥料の施肥量も少なくなり,作物がよく育つと書かれています。数件グロマリンの情報を検索して読んで見ましたがこの記述に間違いなさそうです。

グロマリンの発見
http://agritalk.blog.ocn.ne.jp/orizatorii/2007/01/post_2198.html

 しかし,日本ではこの事実は報道されず無視されています。何故なのかは,皆さんのご想像の通りだと思います。

ーーーーー凄まじい飢餓の歴史!

 上記「究極の田んぼ」とも関連しますが,致知出版社の「人間力メルマガ」に,インドで「緑の父」と尊敬される杉山龍丸という日本人がいたという記事があり,飢餓のインドを救済するために私財を投げ打って植林事業をしたということです。
 その植林の最中に3年にわたる大飢饉がインドを襲い,500万人が死亡したとありました。その膨大な数に驚き,世界の飢餓について検索してみました。

 何と,恐ろしい年表(下記URL)が出てきました。戦争の原因は飢餓だろうと思い続けていましたが,それを充分裏付けるものでした。紀元前から,百万単位の死亡数字がズラ~と並んでいます。中には千万単位の数字もあります。
 現代における最大は毛沢東の昭和35年の大躍進政策による3600万人の飢餓です。(中国のジャーナリストの見積)
 最近の話しでは,1998~2004年の第二次コンゴ内戦では,380万人が死亡。ほとんどが飢餓と病気だとあります。今,シリア内戦で300万人の難民が出ているそうですが,食糧は確保されているのでしょうか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/飢饉の一覧

 毛沢東の大躍進政策は昭和35年,いわゆる戦後の話しです。日本は敗戦直後ほんの僅かな餓死者はありましたがアメリカの緊急食糧援助で何とか食いつなぎました。
 もし,日本を占領したのがアメリカ(正確にはアメリカを中心とした連合国軍)ではなくて,毛沢東かスターリンだったら,たぶん夥しい餓死者を出したのではないでしょうか。自国民さえ食わせられなかったのですから。そして,現在の繁栄など到底考えられません。


 今の我々には,飢餓のことは想像もつきませんが,日本(下記URL)も例外ではないと思います。昔はもちろん,近代,現代でも頻繁に起きていて,娘の身売りなど当たり前で,昭和33年まで公共売春宿が日本中にありました。
 当時の欧米列強が東アジアを植民地にしたのも,日本が満州に行ったのも根本は食糧の確保だったのではないでしょうか。
 
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:日本の飢饉

 今私達は,毎日腹一杯食べて平和であることが当然と思っていますが,世界中で飢餓と戦争が現実のものであことを忘れてはいけないと思います。BSでワールドニュースを見ているとそれが良く判ります。
 何の対策をしなくても飽食と平和が永遠に続くものと考えれば,飢餓の備えも軍備も要らないということになりますが,飢餓と戦争は何時でも起こりうると思えば考えは変わる筈です。

 不耕起移植栽培の技術を確立し普及に努めた岩澤信夫先生は,食の今後について次のように語っています。
「今日本人は飽食を謳歌していますが,これは砂上の楼閣で一夜の夢物語にすぎません。飢餓になった時は,資源小国の日本は,国民皆農の時代にならざるを得ないと思っています」

 こんな深刻な警告を信じたくはありませんが,しかし,歴史を見れば否定できません。日本でも昭和になってからも数回大冷害が起きていますし,記憶に新しいところでは平成5年の大冷害があり,備蓄米が底を突き,慌てて外米を緊急輸入しました。
 その時は外米が買えたから良かったでのですが,近年の世界的な異常気象を考えれば,東南アジア全域が大凶作に陥ることも有りうると思えるのです。その時は買えないでしょう。
 
 軍備は戦争するためにあると考えている人が多いように感じていますが,全くの間違いだと思います。平和を守るためにあるのだと思います。相手(敵)にスキを見せることは誘惑しているようなもので,戦争を挑発しているのと同じだと思います。
 包丁を持つてるということと,それで人を殺すということは全く別次元の問題です。同じように,軍備を持つということと,戦争をするかしないかは全く別の問題ではないでしょうか。

フッターーーーーーーー

無農薬玄(白)米の販売
http://daylanbo.blogspot.jp/2013/11/blog-post.html

籾殻燻炭の販売
http://daylanbo.blogspot.jp/2012/02/blog-post.html

農楽のすすめ!
http://tateshinadayori2.blogspot.jp/2011/08/blog-post_26.html

”田舎暮らし”動画がYoutubeに300本以上
http://jp.youtube.com/user/takasukey

メルマガ「蓼科便り」のアーカイブス
http://tateshinadayori2.blogspot.com/
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