この大地はかけがえのないもの
小林 徹 様(カナダで仕事している建築士)より頂いた文章
2001.0206
1854年にアメリカの大統領が、シアトルのインディアンの酋長に「土地を譲って欲しい、そのかわり、インディアン保留地を約束する」という申し出をしたのですが、そのときの、酋長の返事の手紙は今も残っております。その意味するところ、アメリカの自然環境を考える上での原点ともいえるほど、美しく、深遠な文章です。ご参考までに、コピー致しました。
1854年の話ですが、温室効果、オゾン層の破壊など、地球規模での環境破壊は、結局、この酋長の予言どおりになってしまった感があります。最後の、The end of living and the beginning of survival.
すなわち、「生きることの終わりであり、生き残ることの始まりである」という文は、胸に迫ってきます。私は、これをもとに、いつか、「一人芝居」の脚本ができないものかと想を練っているところです。
徹。カナダにて,
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この大地はかけがえのないもの
空を、大地の暖かさを、売り買いすることができるんじゃと?
不思議な考えじゃ。わしらにはとんと見当もつかん。
わしらが、空気の爽やかさや水のきらめきの所有者じゃあなかろうに、
どうしてあんた方はそれを買うことができるんじゃろ?
この大地のものはみんな、わしらの種族にとって神聖なのじゃ。
輝く松葉の一つ一つ、海辺の砂の一粒一粒、暗い森の中に漂う霧、森の空き地、
羽音をたてる虫の一匹一匹は、わしらの種族の、記憶と経験の中で神聖なのじゃ。
木の中を流れる樹液は、インディアンの記憶を運んでおる。
どうやら、白人の死者は、星々の間をさまよううちに、
生まれた国を忘れてしまうようじゃな。
じゃが、わしらの死者は、この美しい大地を忘れることはない。
それはインディアンの母だからじゃ。
わしらは大地の一部じゃし、大地はわしらの一部なんじゃ。
香しい花は、わしらの姉妹。鹿や馬や大鷲は、わしらの兄弟じゃ。
岩の頂き、草地に宿る露、野の馬の体温、そして人。みーんな、同じ家族なんじゃ。
だから、ワシントンの白人大酋長が、わしらの土地を買いたいといってきたとき、
彼は、わしらに、大それたことを望んできたものじゃ。
大酋長は、わしらが気持ちよく生きられるように、保留地を提供するという。
それは、つまり、彼は、わしらの父となり、わしらは、
彼の子供となるということじゃろう。
だから、わしらは、わしらの土地を買いたいという彼の申し出を、よーく考えてみよう。
しかし、それは易しいことではないぞ。
この大地は、わしらにとって神聖じゃからな。
この、小川や河を流れ、輝いている水は、ただの水ではないぞ。
それは、わしらの先祖の血じゃ。
もし、わしらが、あんた方に、この土地を売るんなら、
あんた方は、それが神聖であることを覚えておかねばならん。
また、あんた方は子供達に、それが神聖であることを、そして、
湖の澄んだ水面のかすかなきらめきが、わしら種族の、生命のできごとや記憶を
伝えていることを、
教えねばならん。
水のせせらぎは、わしらの父の、そのまた父の、声なんじゃ。
河は、わしらの兄弟じゃ。河は、わしらの渇きを癒す。
河は、わしらのカヌーを運び、わしらの子供たちを養う。
もし、わしらが、わしらの土地をあんた方に売るんなら、
あんた方は覚えておかねばならん。
あんた方は、あんた方の子供達に教えねばならん。
河はわしらの兄弟であることをな。あんた方の兄弟であることをな。そして、
これからは、あんた方が兄弟に与えるのと同じ思いやりを、
河に与えねばならんということをな。
わしらは、白人がわしらの生き方を理解しないのを知っている。
彼等にとって、一片の土地は、その隣の一片の土地と同じなんじゃ。
夜に訪れた見知らぬ人じゃから、必要なものはなんでも土地から奪っていくのじゃ。
大地は、彼の兄弟ではありゃせんのじゃ。敵なんじゃ。
征服したら、突き進むだけじゃて。
彼は、彼の父の墓をあとに去っていく。
かまいはせんのじゃ。
彼は、彼の子供達から土地を奪う。
かまいはせんのじゃよ。
彼の父の墓や、子供達の生得権は忘れられてしまっておる。
彼は、母なる大地、兄弟である空を、買ったり、盗んだり、
羊や光った首飾りのように、売ることができるもののように扱っているんじゃ。
彼の食欲は、大地を貪り食い、荒れ地だけを残していくんじゃ。
どうもわからん。
わしらのやり方は、あんた方のやり方とは違う。
あんた方の町は、インディアンの目には痛いんじゃ。
じゃがそれは、恐らくインディアンが野蛮人で、理解しないからじゃろう。
白人の町には、静かな場所などない。
春に、木が葉っぱを広げる音を聞く場所がない。かさこそという虫の羽音を聞く
場所がないんじゃ。
恐らく、わしが野蛮人で、理解しないからじゃろう。
騒がしい音は、耳を侮辱するようじゃ。
もし、人が夜、夜鷹の寂しげな鳴き声や、池のまわりの蛙の合唱を
聞くことができんとは、いったいどんな生活なんじゃろう。
わしはインディアンじゃ。理解できん。
インディアンは、池の水面をかすめていく風の、やわらかい音を好む。
昼の雨に清められた風、ほのかに松の香をはこぶ風の薫りを、好むものじゃ。
インディアンにとって、空気はかけがえのないもの。
すべてのものは同じ息を共有しているからじゃ。
獣、木、人間、彼等はすべて同じ息を分け合っておる。
白人は、彼が呼吸している空気に気付いてはおらんようじゃ。
まるで何日も死にかけている人のように、臭気に麻痺している。
しかし、もし、わしらがあんた方に、わしらの土地を売るんなら、
空気はわしらにとってかけがえのないものだということを覚えておかねばならん。
空気は、それが支えているすべての生命と、その精神を分け合っているのじゃ。
風は、わしらの祖父に最初の息を与え、彼の最後の吐息を受け取った。
もし、わしらがあんた方に、わしらの土地を売るんなら、あんた方は、それを隔離して、
神聖に保っておかねばならん。
たとえ白人でも、草地の花の甘い香を含んだ風を、味わえる場所としてな。
そこで、わしらは、わしらの土地を買いたいというあんた方の申し出を考えてみよう。
もし、わしらが、その申し出を受け入れるんなら、わしは条件を一つ付けるつもりじゃ。
白人は、この土地の獣を、兄弟として扱わねばならないという条件をな。
わしは野蛮人じゃから、ほかの扱い方を知らん。
わしは、無数のバッファローが、白人によって、通りがかりの汽車の窓から鉄砲
で打たれ、腐った死骸となって大草原に打ち捨てられているのを見てきた。
わしは野蛮人じゃから、どうして煙をはく鉄の馬の方が、わしらが生きるために
だけ殺すバッファローより、もっと大事なのか、わからない。
獣がいなかったら、人はいったいなんなのか?
もし、すべての獣がいなくなったら、
人は、大きな心の孤独に苛まれて死んでいくじゃろう。
獣たちに起こることはなんでも、やがては人の上にも起こる。
すべてのものは繋がっているのじゃ。
あんた方は、あんた方の子供達に教えねばならん。
足の下の土地は、あんた方の祖父たちの灰であることをな。
彼等が土地を敬うように、あんた方の子供達に告げるが良い。
大地は、わしらの親戚の命で満たされているんじゃと。
わしらが、わしらの子供達に教えてきたことを、あんた方の子供達に教えるが良い。
大地は、わしらの母なんじゃと。
大地にふりかかることは何でも、大地の息子たちの上にふりかかるのじゃ。
もし、人が地に唾を吐けば、彼等は、彼等自身に唾を吐きかけているんじゃ。
これが、わしらが知っていることじゃ。
大地は人に属さない。人が大地に属しているのじゃ。
これが、わしらが知っていることなんじゃ。
すべてのものは、家族を一つにする血のように、つながっておる。
大地にふりかかることは何でも、大地の息子たちの上にふりかかるのじゃ。
人が生命の織物を織っていたのではない。人は単なる織物の中の、一筋の糸にし
か過ぎん。
人が織物にすることは何であれ、自分自身にすることなのじゃ。
その神が、まるで友人どうしのように、彼と共に歩き、彼と共に話しをする白人
でさえ、共通の運命からは逃れられんのじゃ。
結局、わしらは兄弟かも知れんがな。
いずれ、わかるじゃろう。
わしらが今、知っていることは一つ。
それは、白人は、いつかきっと、
わしらの神は、同じ神であったことを発見するじゃろうということじゃ。
今、あんた方は、わしらの土地を所有したいと思っているように、
神を所有していると考えているかも知れんが、
それは、出来んことじゃ。
彼は人類の神なのじゃ。
じゃから、彼の慈悲は、インディアンにも、白人に対しても、おんなじなんじゃ。
大地は彼にとってかけがえのないものじゃ。
じゃから、大地を傷めるものは、その創造者の上に、侮りを積み上げておるんじゃ。
白人も、やがては死ぬ。おそらくは、他のすべての種族よりも早くな。
あんた方の寝床を汚しつづけ、ある夜、あんた方の汚物で息がつまるじゃろう。
だがな、滅び去る時、あんた方は、明るく輝くじゃろう。
あんた方を、この世にもたらし、何か特殊な目的のために、
あんた方に、この地の支配権を与え、インディアンを支配する権利を与えた、
その神の力に焼かれてな。
その運命は、わしらには神秘じゃ。
バッファローが殺されたとき、野生の馬が飼いならされたとき、
森の秘密の場所が、たくさんの人のにおいで満たされた時、
豊かな丘の眺めが電話線で損なわれた時、
わしらは、分からなくなってしまうのじゃ。
あの木の茂みはどこへ行った。消えてしまった。
イーグルはどこへ行った。消えてしまった。
生きることが終わり、生き残ることの始まりじゃ。
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