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私は、ただ、組織の縦関係を嫌い、自由な生き方を求めて彷徨っていただけの人間です。
個人で設計事務所をやっていた時には、仕事が忙しくなって、一時、ドラフトマンを雇ったこともあリましたが、
結構早い時期からコンピューターを導入したのも、ドラフトマンを雇わなくても、コンピューターなら、他人の力に頼らず1人で、納得のいく仕事ができるのではないかと考えたからでした。
こちらに、within my arm’s length という言葉があります。自分の腕の長さの範囲で、という意味で、たとえ狭くても、自分の手の届く範囲、自分一人でコントロールできる範囲での仕事をし、あるいは、生きていくことを示唆した言葉です。
私は、かって、子供の時に、西宮港に浮かぶヨットの白い帆が、陽の光にきらめくのを眺めながら、ぼんやりと考えたことがありました。
世の中には、大きな造船の仕事に携わり、その部品の設計や製作だけで一生を終わる人もいれば、ちっぽけなヨットを設計し、全て自分一人でコツコツ完成させる船大工のような人もいる。果たして、どちらが真に船の設計者と言えるのか、いや、一体、どちらが人生の充実感が得られるのかなと。
つまり、自由に生きていくためには、組織に属し、組織の中で生きていくことを考えず、何かのプロとして、自分の世界を持ち、自分の時間は、自分でコントロールして生きていけるような方向を考えた方が良いのではと思った次第です。その方が、自分らしく生きられるのではと。
その時、近くにあった菜の花の上を、ヒラヒラと飛んでは花に止まる白い蝶の羽が、ヨットの帆に見えて、この生き方を肯定されたような気がしました。
思へば、私のライフスタイルの決定は、あの白い蝶だったとも言えますね。
昔から、同様の考えや教えが様々な国であるのを知ったのは、ずっと、あとになってからのことでした。
こちらのネイティブ・インディアンの教えに 「自分で船を作り、自分の船の船長になりきること」 というのがあります。
一人で作れる船は、カヌーか、丸木舟でしょうね。
中国では、史記の中、蘇秦の言葉 「鶏口となるも牛後となるなかれ」 は、あまりにも有名です。
英国では Better be the head of a dog than the tail of a lion. つまり、「ライオンの尻尾より犬の頭」 。
外国に目をやるまでもなく、日本本来のものとしては 「鯛の尾より鰯の頭」 がありました。さすが海産国。
「寄らば大樹の陰」を好み、大きなものに属して生きることが好きな日本人でも、昔は、気概のある人はいたのですね。
ところで、コンピューターが発達して一般のグラフィックの分野に入り込んでくる前には、建築の完成予想図は、すべて手書きで作画し、水彩絵具と絵筆を使って描いていかねばなりませんでした。このような完成予想図は、クライアントとのコミュニケーションにおいて、仕事の決定に関わるとても大切なものだったので、そんな絵だけを専門に請け負う商業画家に依頼する建築家も多かったのですが、私は、子供の頃から絵が得意だったので、コンピューターを導入する以前は、全て自分で描いておりました。この添付した絵は、その一例で、モーテルの増築工事の時のものです。
コンピューターを導入してからは、絵ではなく、もっぱら3Dモデルを作成してクライアントとのコミュニケーションに使っておりました。その方が画像モデルの建物内部に入り込んで、現実の目の高さで、あたかも歩いている様に動かしていくことも可能となり、クライアントの求めに応じて各部屋を見て廻れるので、はるかに説明し易い訳です。
その上、コンピューターでの設計は、手作業による設計に比べ、はるかに効率良く仕事がこなせるので、一旦その道に嵌り込んでいくと、もう、それ以外出来なくなってしまいます。
そして、時間をかけて習得した手仕事の技巧は退化していくわけですね。
しかし、コンピューターの3Dモデルの作成作業は、アプリの操作さえ覚えれば、誰でも出来ることなので、それは、もはや建築の設計に絵心は必要ない時代になってきたということでもありました。
かって、絵筆だけ持って日本を飛び出した私でしたが、そんな時代の流れで、自ら絵筆を手放してから、随分、久しくなってしまいました。
道具を発明して使うことで進歩してきた人間の脳は、また、その道具を使い易いような脳に変化していくようで、いわば、道具が脳に影響を与えていく逆作用現象とも言えるのでしょうね。脳だけでなく、感覚や発想までも変化していくのかも知れませんね。
そんな現代の道具の最たるものがコンピューターですよね。
私は個人で設計事務所をやっていたので定年は無かったのですが、元々、ビジネスというものが性に合わないこともあり、65歳をケリにサッサとリタイアして、それからは、気が向けば水彩絵筆の代わりに毛筆で文字をのたくるようになってきたのですが、これは思えば、コンピューター時代への反動なのかも知れませんね。しかも、多彩な水彩ではなく、墨の濃淡と余白だけの単純素朴な世界。
「Simple is the best. Less is more. 」の世界ですね。
あとは、自分なりの詩と文の世界に遊べればと思っております。
いったい、誰の詩だったのか思い出せませんが、「便利な世界」という詩があります。
便利な世界は複雑だ。
便利な世界は忙しい。
便利な世界は不安にさせて、
便利な世界は落ち着かない。
人は、やみくもに便利さを追求する生き物ですね。
人の歴史は、便利さの追求の歴史でもあったと云えます。
便利さとは、つまるところ、効率。
その売りが、ビジネスの根幹に行き着くわけです。
お金の発明、効率を上げる道具の製造、効率よく人を働かせるシステムと施設、
大量生産、オートメーション、果ては、効率よく人を殺す兵器、等々。
だから、ビジネスそのものからは、人は幸せを得られることはないのではないでしょうか。
ひょっとして、あるのは幸せの幻想のみかも知れませんね。
徹
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