2015年11月18日水曜日

蓼科だより・420号〜田舎暮らし情報

★ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー2015年11月7日(土)★
★テーマ:脱穀終了、1に安全・安心、ハワイ州では自然エネルギー、
     既存住宅と中古住宅、加工肉の発がん性、戦争と平和
★蓼科便りは,重農主義を尊重し、地域自給圏構築をめざします!
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 去る5日、稲の脱穀も終りました。特殊事情があってほんのチョッピリ残してありますが、実質的に終了です。結果ですが、予想通りでした。昨年は51袋(30kg/袋)でしたが、今年は47袋で、マイナス4袋です。玄米にすると、47×30kg×80/100=1,128kgです。

 田圃の面積は30%増えているのにです。今年からの田圃を別にすると、本当に半作でした。痛いお灸を据えられた気持ちです。要因は、まず苗作り、そして除草代掻きと田植技術です。理論的には理解できているので、実行あるのみです。

 次に気になるのは味覚です。新米を早速炊いてみましたが、残念ながら、不味くはありませんが、美味し〜いとはいきませんでした。不耕起移植栽培の栽培目標は、1に安全・安心、2に味覚、3に収量という言い訳がましいものですが、本音です。

 ご理解頂きたいのは、安全・安心を確保する難しさです。特に除草剤を使わないことによる工夫と困難は大変なものです。除草剤の無い時代、お百姓さんが皆腰が曲がってしまったのはそのためですし、その子供たちが農業を嫌った原因もその辺にあります。
 我々不耕起移植栽培のメンバーはそこに挑戦しているのですから、誉めてやって下さい。(笑)

 そうはいうものの美味しさは重要条件ですので、今後確保に努力致します。味覚を左右する要素は、1に土質、2に土づくり、3に肥料だと言われていますが、土質が占める割合は70〜80%になるような気がします。粘土質のお米は何といっても一番美味しいです。我が立科地区は粘土質が多いので、米の等級では最上位の特Aという格付けをもらっています。

 体験から言っても、砂質土や火山灰土のお米は確かに味覚は落ちます。当然のことながら、平坦地と山間では土質が違いますので、味覚も違ってしまうのが現実です。地元のJAで聞きましたら、立科町全域が特Aだそうで、JAに出荷された米は混ぜ合わされて出荷されます。

 私の場合はJAには出荷しませんが、私の田んぼはその中間当りにありますので、微妙な立場です。腕の見せどころとも言えますが、有機肥料だけの栽培には難しさがあることも事実です。

 販売ですが、我家の子供、孫を含めて約400kgですから、余裕をみて約600kgを販売することができそうですが、400kgほどの定期顧客がありますので、新規には200kgほどのご注文を頂ければありがたいです。5kgから5kg単位で20kgまでです。下記ホームページからご注文下さい。宜しくお願い申し上げます。


ーーー米ハワイ州では、2045年までに自然エネルギー100%を

 世界では信じられないようなことが起こっているんですね!驚きです。オルタナのメルマガから引用しました。
http://www.alterna.co.jp/16597

<・・・トヨタ自動車は10月14日、2050年に新車が排出するCO2(二酸化炭素)総量を2010年比で90%削減するなど、極めて意欲的な環境目標「トヨタ環境チャレンジ2050」を発表した。・・・

・・・サウジアラビアのヌアイミ石油相は今年5月、「我が国は2040年までに石油を放棄する用意がある」と表明した。英紙フィナンシャル・タイムズが報じた。同石油相は「将来サウジアラビアは、化石燃料でなく再生可能エネルギーの輸出に取り組む」との考え方を示した。

米ハワイ州では今年5月、全米の州で初めて「2045年までに自然エネルギー100%を目指す」新たな法律が成立した。この法律により、州の発電事業者は2020年までに30%、2040年までに70%、2045年までに100%に電力を再エネから供給することが義務付けられる。・・・

・・・だが、トヨタの今回の目標は、日本では異例の「バックキャスティング」の手法であり、筆者は高く評価したい。
オルタナ本誌15号(2009年9月号)の第一特集「バックキャスト経営を考える」に掲載した通り、「バックキャスティング」とは、遠い将来に「あるべき姿」や「意欲的な目標」を定めて、そこから現在を振り返って今何をすべきかを考え、行動に移すやり方だ。・・・>
(私)この思考方法を推奨しているのが『スマート・テロワール-農村消滅論からの大転換-』です。演繹法だと、既成概念の積み重ねなので、革新的なものは生まれないのでしょうね。

ーーー既存住宅(イグジスティン グハウス)と中古空宅(ユースドハウス)は似て否なるもの

 戸谷英世理事長が発信する住宅生産性研究会(HICPM)のメルマガは日本の住宅問題の核心をついていると思います。HICPMメルマガ00375より引用しました。

 住宅と住宅地に対する謝った価値観と流通システムのために、国民の住宅にかける費用が異常に高く、所得が高いにも関わらず生活レベルと幸福度が低い原因になっていると考えています。「人間を幸福にしない日本というシステム」(ウォルフレン著)の一つだと思います。

「既 存住宅」中心の住宅市場
欧米の住宅マーケットをマクロに見ると、毎年の総取引住宅数の中 で、新築住宅は10%程度です。新築住宅比率の高い米国においてもせいぜい20%です。

圧倒的多数を占める住宅は既存住宅(イグジスティ ングハウス)と呼ばれる住宅で、日本では中古(ユーストハウス)と呼ばれているものと考えられていますが、実は既存住宅(イグジスティン グハウス)とよばれているものと、中古空宅(ユースドハウス)と呼ばれているものとは似ていて否なるものであることを知っ ておく必要があります。

「既存住宅」は居住者に高い満足を与え、市場で需要の対象になり続けているのに対し、「中古住宅」は失望を与え続 けていて、魅力を失っているのです。

欧米の住宅は基本的に居住者の生活要求に合う形で住宅の維持管理 修繕を繰り返し、常時、現在の居住者の生活に高い満足を与えるように維持管理している住宅です。

言い換えると、現在の生活に対して高い満 足を与えることの出来る住宅と言う意味で、「既存住宅」(イグジスティングハウス)と呼ばれ、新築住宅と競合して住宅市場で取引されてい ます。欧米では、決して「新築住宅」が「既存住宅」に対して市場取引において有利とは限りません。

「既存住宅(イグジスティングハウ ス)」に居住し、居住者が高い満足し、社会的にそこでの生活を羨ましい生活であると示すことで、需要の対処になっている。
住宅市場はこの既存住宅によってリードされることになります。・・・>

(私)下記URLの図表2を見るとよく判りますが、アメリカの既存住宅流通戸数は、新築住宅戸数の6〜7倍あります。逆に日本は、良いデータが見つかりませんでしたが、私の記憶では、中古住宅は新築の10分の1でした。非常に歪な住宅市場になっていると思われます。
 その根底にるのは、住宅と中宅地に対する間違った価値観と、儲け一辺倒の住宅産業政策だと思っております。つまり、”まちづくり”ができていないのです。日本の住宅政策・産業は、大変な国家の損失を生み続けていることになります。

http://www.jresearch.net/house/jresearch/kizon/pdf/kizon08_02.pdf

ーーーソーセージ大国・独「加工肉に発がん性」に反発広がる

 毎日新聞ニュース11/5より

<世界保健機関(WHO)の専門機関がソーセージなどの加工肉に発がん性があると発表したことに、ドイツで反発が広がっている。食肉業界だけでなく、ノーベル医学生理学賞受賞者も「ずさんだ」と批判するなど、国民食に注文を付けられたドイツ人の怒りは収まる気配がない。>

▽独:「発表ずさん」…「加工肉に発がん性」に反発広がる
http://mainichi.jp/m/?CDY4n3

ーーー平和を声高に叫ぶほど「戦争の危険が増す」のではないか。

 「人間って、戦争が好き?」。余りに考えさせられる文章なので、引用させてもらいました。HAL通信10/15「戦争と平和(その12):戦争は平和より強し?」からです。
<多くの人は「平和を望んでいる」と言いながら、「戦う」という言葉を気楽に使っている。
マスコミも、煩雑に「受験戦争」とか「選挙に出陣」とかの言葉を好んで使う。我々も、違和感なく戦争用語、軍隊用語を使っている

それに比べて「平和」という言葉は、普段はあまり使わないのではないか。いや、使うことに抵抗を覚えるのではないかとすら思う。
会社の会議で、「今度のプロジェクトは決戦であり・・」との発言を聞いても違和感はないが、「今度のプロジェクトは平和的に推進したい・・」との発言を聞いたら、どう思うであろうか。
「何を軟弱なことを言ってるんだ!」と、激の一つも飛ばしたくなるのではないか

誤解を恐れずに言わせてもらえば、私は「平和」という言葉が好きでない。
どこかうそ臭くて、偽善にしか聞こえないのである。
ビジネス社会の中で生き抜いてきたせいもあるが、自分ではまず発言しない単語である。
もし、部下が「私は平和的に仕事がしたいです」と言ったら、「バカを言うな」とまでは言わなくても、心の中で「こいつはダメなヤツだ」と烙印を押してしまうだろうと思う
しかし、だからと言って、自分自身を特殊な好戦的な人間だとは思わない。
また、そのような発言をする人を好戦的な危険な人間とも思わないもちろん「戦争」という言葉も好きではないが、「平和」よりは使っていると思う。どうして、「平和」という言葉が好きになれないのであろうか。
反対の意見の人がいたら、ぜひ意見を伺いたいと思う

高校生の時に、トルストイの「戦争と平和」を読んだ。
読後の感想は「戦争と戦争」であった。米ソで映画になった2作品は、両方とも鑑賞した。
大人になっていたので「愛情が平和のことなのか」と思ったが、「戦争」のシーンのほうがより鮮明で、戦争は人生そのものであるかのような印象を持ってしまった

イメージとして、「戦争は平和より強し」なのではないか。
しかし、その思いを強く持ち続けることが「戦争を回避する」ことに繋がり、平和を声高に叫ぶほど「戦争の危険が増す」のではないか。
孫子の言う「戦が戦を止む」も同義ではないかと思う。>

(私)HAL通信
のアーカイブスができました。
http://magazine.halsystem.co.jp
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農村消滅論から大転換
http://shinshumachidukuri.blogspot.jp/2015/01/blog-post_17.html

「スマート・テロワール : 農村消滅論からの大転換」を読んで
http://shinshumachidukuri.blogspot.jp/2015/07/blog-post_9.html

農楽しながら「”田舎暮らし”コミュニティ」を創る
(月刊『ザ・フナイ』より)
http://shinshumachidukuri.blogspot.jp/2014/11/blog-post.html

無農薬玄(白)米の販売
http://daylanbo.blogspot.jp/2013/11/blog-post.html

農楽のすすめ!
http://tateshinadayori2.blogspot.jp/2011/08/blog-post_26.html

”田舎暮らし”動画がYoutubeに300本以上
http://jp.youtube.com/user/takasukey

メルマガ「蓼科便り」のアーカイブス
http://tateshinadayori2.blogspot.com/
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