2023年12月11日月曜日

日本が「使えるお金」は世界何位? 家計や企業などの可処分所得を国際比較

 今、経済の低迷が問題になっています。

私達の使えるお金はどうなっているのでしょうか?

考えさせられる記事・データを見つけました。

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裕福な高齢世代はもっと負担を

(文藝春秋 2023年12月号「緊急提言 日本の危機の本質」より抜粋)

 日本の借金は、世界でも群を抜いている。GDPの250%に達する債務残高は、G7でも突出したビリだ。世界の優等生、ドイツの債務残高はGDPの60%程度。仮に日本がヨーロッパの共通通貨(ユーロ)に参加しようと思っても、借金が多すぎて参加基準を満たさない。ドイツ人に言わせると、日本はヨーロッパ基準では全く信用に値しないのだ。

 一方で、国民負担率の国際比較をすれば、日本は高くはない。OECD加盟国の中では低い方の部類で約48%。ドイツは54%、フランスは70%だ。

 しかし、いくら国民負担率が低いといっても、若者世代にこれ以上の負担を求めることは厳しい。せっかく稼いだ給料も、既に保険料や税金で結構引かれているのだ。いわゆる可処分所得の水準は、昭和や平成初期とは異なる。欧州委員会が出した国際比較を見ると、2000年の水準を各国100として比較した場合、日本の可処分所得は、1980年代は欧米を上回っていたのが、2020年になると、米国は日本の2.5倍以上、欧州は1.5倍以上の水準になっている。若い世代の負担感が大きいのは当然だ。反対に高齢世代が若い頃の負担は、実はそれほどでもなかったとも言える。

 さらに、現在の高齢世代の状況はどうか。高齢世代を見るには所得ではなく資産を見る必要がある。日本の金融資産は約2000兆円に上るが、この約6割が60代以上の高齢世代に集中している。加えて高齢世代は住宅資産も持っている。日本の資産が高齢世代に偏っていることは明らかだ。もちろん個々の高齢者には、資産も少ないうえに年金も十分ではない人もいる。メディアは選挙前ともなるとそういう人の苦しい話を取り上げて政権批判を煽る。しかし、世代間バランスを公平に見れば、日本の高齢者は明らかに裕福なのだ。そんなところで政権批判をしても本質を見誤るだけだ。

 つまるところ、国際比較で日本の国民負担が低くなっている理由は高齢者だ。社会保障費であろうが防衛費であろうが、必要な財源は、高齢世代がもっと負担しなければならないのだ。


可処分所得の平均値の国際比較

難しい専門用語があります。

・可処分所得:総所得から税・社会保険料を控除したもの。
・等価可処分所得(再分配後):世帯の可処分所得を世帯員数の平方根で除して
 調整したもの(医療・介護・教育等の現物給付は含まない)

MONOist のホームページからです。https://monoist.itmedia.co.jp/mn/articles/2308/09/news003.html


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2023年12月2日土曜日

世界に愛され、中国に憎まれた元・日本人

 

ダイレクト出版株式会社の林建良メルマガ2023.12.02より NOTTAにて

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 世界に愛され、中国に憎まれた元・日本人

林建良氏の本の紹介文ですが、李登輝さんが簡潔に説明されています。

 

一人の老人の死とともに一つの時代が幕を閉じました。2020730日、97歳で天寿を全うした李登輝氏。しかし翌日、世界の主要メディアがトップニュースでその死を報道し、世界各国の要人から哀悼の意が表されました。「彼は人類の尊厳を守った男として、永遠に人々の記憶に刻まれるだろう」

「彼の精神は永遠に生き続ける。彼の強い心自国への揺るぎない愛情と使命感、日本に寄せる温かい期待の言葉、今も昨日のことのように私の記憶に刻まれています。」と故安倍首相は語りました。97歳のたった1人の老人だ。なぜこれほどまでに世界各国の要人から惜しまれたのか。

しかし、次々に送られる哀悼のメッセージと、「歴史上の罪人」と遺影に赤いペンキをぶちまけ、死者に鞭打つような行為をした中国。世界に愛され、中国に憎まれたこの老人は一体何者なのか?そしてこの人物はなんと、元日本人でした。

1945815日、京都大学在学中に学徒出陣した私は名古屋の第10軍司令部で終戦を迎えることになった。辺り一面焼け野原の中、玉音放送も聞いた。その後、生まれ故郷に戻り、学者としてのキャリアを全うするつもりであった。ひょんなことから政治の世界に足を踏み入れた。49歳のことだった。かくして私は一介の学者から一国の最高指導者の地位まで上り詰めた。学者上がりの男に何ができるのか。誰からも期待されていなかった四面楚歌のリーダー。なぜなら、そもそも彼が抜擢されたのは平凡で野心がないからという理由だったから。

 

暗殺されないよう毎日を生きるのに精いっぱいだった。彼は当時を振り返ります。彼のすごかったところはそこから徐々に、しかし確実に国の政治を変えていったことでした。

偉業①「運命に導かれた平凡な学者が四面楚歌から国家を変えた」。とある暗殺事件をきっかけに逮捕され、あわや極刑という状態から、運命に導かれるように49歳で政治家に。政治経験はゼロ、金なし、コネなし、野心なしで誰も味方のいない男が国のトップに立ったのが65歳のときでした。そんな状態から、明治維新よりもすごい現代の奇跡とも言える国家の改革をたった1人で成し遂げるた。

偉業②「一滴の血も流さずに成功した民主化への革命」。フランス革命などの歴史からもわかるように民主改革は国内の大きな衝突を産み、混乱を引き起こすのがです。近代の例を見ても中東の民主化運動「アラブの春」は50万人以上の死者650万人以上の難民を出し、今世紀最大の人道危機と言われるほどの混乱を招きました。1980年代の東欧革命の流れの中、ルーマニアでは革命により失脚したチャウシェスク大統領夫妻が処刑されています。しかし彼は当時独裁体制だった台湾をなんと一滴の血を流すこともなく、民主主義国家へと変えることに成功したのです。

偉業③「565人の終身議員全員、引退に成功」。この男の偉業は独裁体制だった国を民主主義国家に変え、40年間も失われていた自由を取り戻しただけでは終わりませんでした。若者の声を聞き、国をより良くするために、8090代の終身議員11人を訪問して説得して歩いたのです。その誠意と思い切った戦略により、565人の全員を引退させることに成功。これによって国は新しい国会と完全に舵を切ることに。

 

このように数々の偉業を通して男は世界一の民主国家となる基盤を作りました。学者当たりの男がたった1人で、しかも争いで血を流すことなく革命を成し遂げたのです。そのたった1人の革命を支え続けたのが日本の武士道精神でした。彼は、「私は22歳まで日本人だった」というのが口癖で、日本語はペラペラ。日本メディアの取材や講演会では、日本語で対応するほどでした。日本を愛し、死ぬ間際まで日本の将来を心配していました。

李登輝は中国と対峙して、中国と台湾は別の国だと世界に知らしめ、歴史を作った。政界を引退した後、世界の要人から慕われ、教えを請うと多くの人が李登輝のもとを訪れました。20207月に惜しまれながらこの世を去りました。そんな現在の偉人とも称される李登輝です。

その彼が、自分のもう一つの故郷として愛した日本の未来を心配して「これを日本人に届けてほしい」とある人物に託した遺稿がありました。そこに記されていた李登輝の波乱万丈の人生を支え続けた日本精神、「アジアのリーダーになるのは日本の他にいない」という信念、日本人が失ってしまった強さと自信を取り戻すための箴言の数々、台湾民主化の父李登輝を作り上げた日本精神とはどのようなものだったのか、日本人が失った強さと自信を取り戻すには何が必要なのか。

 

世界でもまだその存在を知られていない李登輝の遺言ともいえる原稿を託された人物は李登輝のスピーチライターを務め、20年代の同志でもあった林建良氏です。「僕の脳裏には今でも日本と台湾は運命共同体なんだよ」という李登輝の声が聞こえてきます。そう語る林建良さんは、1958年の台湾生まれ、李登輝とは対照的に、戦後の台湾で偏った反日教育を受けて育ちました。日本で医師免許を取るため、東京大学の医学部に進学して初めて、台湾で学んだ歴史がいかに歪められていたかを知り衝撃を受けました。台湾の教育では完全になかったものにされていた日本との関係など、日本と台湾の本当の絆の深さを知ることになります。以来20年間、李登輝と志をともにする同志として、李登輝のスピーチライターを務め、彼の中にある日本的なもの全てを日本を愛する1人の台湾人の視点で、日本社会全体に伝えるべきなんだと活動を続けてきました。李登輝は林さんを非常に信頼していて、台湾政府の人事の相談もするほどでした。林さんが、あの大臣は良くないと助言をすると、その日のうちに李登輝はその大臣を更迭などという驚くべきエピソードも残っています。スピーチライターは本人に代わって原稿を作成するのが仕事。林さんが自分の頭の中に李登輝が入り込むほど、李登輝の哲学を理解しています。李登輝が日本語でスピーチをする言葉は李登輝を知り尽くした林さんが紡ぎ出したもの。スピーチを考えるときは、ほぼ李登輝と同一人物になっていると言っても過言ではないほど、林さんは李登輝の教えを熟知しているのです。

 

その教えの中心にあるのが、日本精神、台湾語でリップン精神とは日本統治時代に台湾人が学んだ誠実・勇気・勤勉・奉公・自己犠牲・責任感・清潔のもろもろの美点をさした言葉です。李登輝氏は日本人が日本精神を失わない限り、日本は世界のリーダーとして発展し続けると言い続けてきました。もしあなたがここ最近の日本に疑問を感じ、日本はこのままで大丈夫なのだろうか。日本人は、何か大切なものを失ってしまった。日本人として、国に対して怒りや失望しか抱けず何も希望が持てない。そんなもどかしさや空虚さにさいなまれているとしたら、そしてなぜ日本はこんなふうになってしまったのだろうと日本人としての自信を失いかけているとしたら、

李登輝のメッセージはあなたを勇気づけることになるでしょう。なぜなら、眠れる日本精神を揺り起こすのがこの李登輝のメッセージだからです。日本人の心の奥底に眠る心の強さに気づけば、日本は必ず立ち上がれる。そんな思いを繋いで、20238月、1冊の書籍が誕生しました。李登輝と最も繋がりの深い林健良さが李登輝に託されたメッセージを日本に届けたい、その一心で3年の歳月をかけて完成したのがこちらの書籍「李登輝の箴言・未来の日本人へ:不屈の台湾国家戦略を支えたもの」です。

 

日本統治時代に生きた李登輝は、武士道を(たしな)み台湾と日本が自分の二つの祖国だと話し「日本よ強くなれ、胸を張れ」と最後までメッセージを送り続けていました。そんな李登輝がいずれ日本人に伝えたいと話していたものです。李登輝という人間を作り上げたリップン精神・武士道精神を培った戦前の日本教育とはどのようなものだったのか、中国の様々な汚い暴力にどう立ち向かったのか、そのとき日本統治時代の教えがどう生きたのか、誰一人として仲間がいない中でも、どのように国をまとめ上げ、民主化へと導いたのか、数々の偉業をやり遂げた男の全ての戦略の根底にあった哲学とは何だったのか、書籍の一部をご紹介すると、

序章「李登輝精神とは何か」。世界中が(いた)んだ97歳の元政治家の死、李登輝が尊敬される所以、李登輝精神、実践の哲学。

1章「誠実自然」。李登輝が好んだ言葉、日本精神とは、武士道精神と大和魂。

2章「金で解決できることは全て小事」。悩み多き若者たちへ李登輝が伝えたいこと、その悩みは大事か小事か、判断基準は二つ。

3章「安易にカードを切るな」。運命を変えた二つの暗殺事件、連行・救出そして政府への抜擢。

4章「適応させる知恵と器量」。敵がいることは悪いことなのか、李登輝がしのいだ総統就任直後の暗殺危機、などなど全9章で構成されており、李登輝の波乱万丈の人生を通した哲学と理想を持ってる人ほど壁にぶち当たり、苦労する。そういった時代にも関わらず、尚、志を持って生きようとする人が、日本人として恥ずかしくない人生を生きたいと思ってる人に対して、何を考え、どう行動していくべきかというメッセージがちりばめられています。

 

藤井厳喜氏が次のように語りました。

「他の誰も書くことのできない書籍をここに完成してくれた。この本は僕らが死んだ後もずっと残ります。日本の名著の一つとして長く日本人に親しまれ、心の糧となることを期待し、また確信するものであります。人生の指南書とも言えるものです。駐日台湾大使からも直々に公式推薦文をいただいています。李登輝の思想とその実践の足跡を非常に的確に書き表し、その深淵に迫る書、1人の人物の思想の中身とそれを実践してきた様な長い時間にわたる記録や間近での観察を通して、ようやくその奥深くに迫ることができ、本書の作者である林建良氏は、李登輝元総統のスピーチライターを長年務め、さらに彼自身が揺るぎない台湾意識の持ち主である。だからこそ、彼の手になる本書は、李登輝の思想とその実践の足跡を非常に的確に書き表し、その深淵に迫るものになっている。」

 

既に本書を読まれた皆様からも続々とご感想をいただいています。二つ紹介します。

「李登輝について書かれたものはたくさんあり、一定の認識は持っていたつもりであるが、本書は類書の中でも高い評価を受けるに値する。特に李登輝が国民党の内部で徐々に権力を獲得している過程を解き明かしており、国民党の守旧派の勢力を、巧妙に取り崩していく経過は興味深かった。」

 

「日本では失われつつある日本精神を貫き通した信念は今の日本の政治家は大いに見習うべきではないでしょうか?昨今私利私欲のために政治を利用している政治家の多いことに腹が立っています。政治家はこの本を読んで自らの指針としていただきたいと思いました。」

 

こんな政治家が戦後の日本にいたら、日本ももう少しマシな国になっていたでしょう。李登輝さんの心にあった武士道精神、大和魂、そして神を信じる心。みな元々日本のものであったのに、戦後全て失った日本人、精神的な支柱を何一つ持たないことが何より今の日本の病根と言わねばなりません。

日本人の心を狂わす現在の教育、李登輝の生きざまと日本への熱いメッセージを日本人向けの解説を加えて書籍にまとめたものです。李登輝さんが生きている間にできなかったことを引き継いでやりたい。これを伝えることが僕の使命ですという林先生の強い願いがこもった書籍です。

ぜひご自身の目でご覧になって感じ取ってください。

 

この論説の動画

https://in.taiwanvoice.jp/vsl_futalee_2312_tv

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2023年11月29日水曜日

ハーバード大学で授業が展開される「武士道」

 

ダイレクト出版の、葛城奈海さんのメルマガ11/29から

この文章は、麗澤大学学長歴任(2007-2019)モラロジー道徳教育財団特任教授英文学者中山 理(おさむ)先生と、葛城 奈海(かつらぎ なみ、本名:高橋南海、197026日~:日本の政治活動家。やおよろずの森代表)の対談講座「武士道と日本精~GHQが消した5人のサムライ~」の宣伝ですが、武士道の概略が解ります。

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 翻訳すことのできない日本の精神。渋沢、出光、李登輝が――称賛。GHQが消した強さの根源。日本があの戦争に敗れる前、数多くの偉人たちが自然と受け継いできた精神であった。政界では、初代内閣総理大臣の伊藤博文や早稲田大学創設者の大隈重信に影響を与えたと言われ、

 経済界では渋沢栄一が「商人道は武士道なしには考えられない」と話し、出光佐三が士魂商才のベースにしたといわれる。また、軍人では、日露戦争の英雄乃木希典やソ連の侵略から北海道を守った樋口季一郎、現代では、台湾民主化の父李登輝がこの精神に関わる書籍を出しており、大切なことは武士道に全て詰まっている、との遺言を残している。政界、財界、軍人など、様々な分野の偉人が学んできた精神、それは、「武士道」。「武士道」というと、相手に敬意を払うことや、正々堂々戦うことあるいは、刀を持った侍の姿を思い浮かべるかもしれません。しかし、武士道を深掘りしてみると、現代まで受け継がれてきたことが、奇跡とも解釈できる興味深い事実が浮かび上がってきました。

 

「武士道」にまつわる意外な事実。「武士道」は、このような偉人に大きな影響を与えた一方で、その起源や作者は実は明らかではありません。武士道というと、新渡戸稲造の「Bushido」という本が有名ですが、それはあくまで世界に向けて、日本人の考え方を伝えたもので、それが武士道の起源ではありません。また、時代を超えて多くの人に学ばれる思想といえば、日本書紀や古事記、聖書やコーラン、ユダヤ教のタルムードのように書物が挙げられますが、「武士道」の場合には書物ではなく、口伝によって広まっています。期限と作者が不明で、広まり方も口伝であるなど、長年残り続ける思想としては、不自然な点が多いにもかかわらず、偉人たちを魅了した。「武士道」、一体「武士道」にはどのような価値があったのでしょうか?そのヒントは、武士たちの行動を紐解くことで浮かび上がってきました。それが、刀です。

 

刀というと、武士の道具とイメージされる方も多いかもしれませんが、刀には神話と深い関わりがあったのです。その証拠が、日本書紀にありました。日本書紀には、皇位と共に歴代の天皇に伝わる宝物として三種の神器が登場します。その内容は、鏡と剣、勾玉(まがたま)となっています。私達が単なる武士の道具としてみなす刀あるいは(つるぎ)ですね。実は、日本の神話に登場し、今でも皇室の間で大切にされる「神器(じんぎ)」だったのです。その神話は今の時代にも引き継がれ、日本書紀に登場する草薙(くさなぎ)の剣は名古屋市にある熱田神宮に奉納されています。神様に捧げられた数多くの刀剣類を保管する施設として、「草薙館」が設けられ、神話に出てくる刀を今でも大切にしているのです。また、20年ごとに行われる伊勢神宮の式年(しきねん)遷宮(せんぐう)の神事にも刀は登場します式年遷宮では、4種類の刀が正宮(しょうぐう)と別宮に奉納され、刀の奉納は大切な儀式として現代まで受け継がれています。刀が単なる武器という意味を超越していると言える事例は熱田神宮や伊勢神宮を初めとする大きな神社に限りません。例えば、岐阜県関市の春日神社では、「古式日本刀鍛錬打ち初め式」を正月行事として12日に行います。

 

こうした例からの大きな神社から地方の神社まで、様々な神社で刀に関する儀式が行われていることがわかります。このように、武士のものとしてのイメージが強い刀ですが、実は、三種の神器として神話に登場し、単なる道具を超えたものとして大切にされ、現代の神社にまでその伝統が引き継がれているのです。精神的な意味が込められていたのは刀だけではありません。それは、武士道の精神を今も受け継ぐ武道の道場。時代劇やドラマ、映画などでも、武士たちが稽古をしている様子が描かれることはありますが、実はここに現代ではあまり知られていない日本の宗教的な意味が込められていたのです。その象徴が、道場にある掛け軸。実際に明治神宮の道場に通い、合気道の稽古をしている葛城奈美さんは言います。「私の通っていた武道場には掛け軸があります。その掛け軸には、鹿島大明神、香取大明神、(「古事記」に登場する)武甕槌(タケミカヅチの神」と経津主神(ふつぬしのかみ)などがかかっていました。)ドラマや映画などで稽古のシーンが出てきてもあまり注目されることはありませんが、道場の掛け軸には、日本神話に登場する神様の名前が書かれていたのです。このように、稽古の場においても、単に強くなる。技を磨くという意味を超え、精神的な意味も込められていたのです。刀や道場の掛け軸の事例からもわかるように、「武士道」には、単なる戦いや稽古という意味を超越した精神的な価値があったのです。50年以上文学の研究をし、イギリス人が書いた「武士道」に関する本を翻訳した経験を持つ中山理(さとし)先生は次のように述べます。

「海外では、武士道と近いものにマーシャルアーツという語句があります。ただ、これは日本の「武士道」とは全く違うものなのです。”Martial Arts”というのは和訳すると、武芸という意味になります。ここには、武士道における道すなわち、精神的なものがないのです。この違いからもわかるように、ただ戦うだけではなく、一つ一つの行動に精神的な意味を込めるこれこそが日本の武士道精神なのです。」

 

このように、訳することができない精神性な「武士道」にはあるのです。つまり、「武士道」とは、単なる武士の掟ではなく、そこには神様の存在を初め、日本の宗教的な意味も秘められているのです。そして、こうした精神が11人の軍人に染みついていたからこそ、大東亜戦争でも日本人は強かったのかもしれません。しかし、翻って、今の日本はどうでしょうか?「武士道」といえば、「武士道」という言葉が独り歩きし、その本質を知る人は少なくなってしまいました。それもそのはず。あんな強い日本とは金輪際戦いたくない、そう思ったGHQが日本の強さの根源を根絶やしにし始めたからです。

 

もちろん彼らは「武士道」にも目をつけました。その結果、「武士道」は名前や形だけが残るものとなり、今回お伝えしたような精神性まで伝わることは少なくなってしまいました。実際、GHQの改革の一環として、「武道」は禁止された時期があるほどです。

現在、中学校の学習指導要領では、県道もしくは柔道が必修となるまでに戻りましたが、精神まで突き詰めて武道を行う習慣はなかなか引き継がれていません。そのため、戦争経験者が減っていくのと同時に、「武士道精神」を育んだ日本人の数も減ってしまいました。しかし、「武士道」が、日本人の強さの根源。そして海外では訳すことのできない日本人の精神的なアイデンティティの一つであるのもまた事実です。そのため、日本独自の精神性が詰まっている「武士道」を少しでも多くの人に知ってほしい、そして子供や孫に日本の強さである武士道精神を受け継いでいってほしい。そんな思いから今回、文学者の中山理先生とジャーナリストの葛城奈美さんのお二人に、日本の強さの根源である「武士道」について対談していただくことにしました。

 

それが、「武士道と日本精~GHQが消した5人のサムライ~」です。この講座を担当する中山理先生は、英文学や比較文化を研究し、翻訳活動では、大東亜戦争時に日本海軍によって救命されたイギリス軍人の手記「ありがとう武士道」を手がけるなど、海外の視点からも、日本の視点からの武士道を研究してきた英文学者です。葛城奈美さんは、明治神宮の道場に通い、武道を通じて武士道精神に触れるだけでなく、パラオのペリリュー島など、大東亜戦争の痕跡が残る地に上陸し、現地で取材を行い、日本人の強さを肌で感じてきたジャーナリストです。そんな2人の対談では、世界のどこの国にもない日本人が持つ強さの根源である「武士道」を文学や偉人の生きざま、武道の経験など、様々な観点から明らかにします。

 

この対談を通じて、日本人の伝統的な精神性やアイデンティティである「武士道精神」について知ることで、GHQが恐れるほどの日本の強さがわかることでしょう。

 

>詳しくはこちら

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2023年10月22日日曜日

日本の神話と現実社会

友人の哲学者から戴いた論文です。

ご参考にしてください。「中つ国」が日本です。

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 高天原 中つ国 根の国

水山昭雄

2023年10月19日 12:53

 日本の神話によると、①高天原と②中つ国と③根の国の三界があります。それらは天上・地上・地下の三つの世界のことです。私はその三つの世界観を、現実的かつ現代的に解釈し直してみました。
【高天原】とは、無限かつ無条件の愛が充満する世界であり、天照大神さまが治めておられます。それは「幸あるところ・広大な美しい世界・善い人だけが住んでいる【理想の世界】」です。
【中つ国】とは、そこの住民が高天原の神々の指導を直接、受けているため、性善説が支配的になる【神の国】のことです。そこの国民は、健康と長寿に恵まれ、豊かで苦しみのない幸ある人生を楽しむことができます。
【根の国】とは、どちらかと言うと我(が) が強く、表と裏の二面性を持つ住民が、高天原の神々の指導を受けることを好まないため、性悪説と自己愛が支配的となる煩悩だらけの世界のことです。そこは忍耐を要する世界であり、対立と不和が生じることがあり得るところです(注:念のために述べておきます。ここで述べている「根の国」は現世における世界観であり、来世の世界のことではありません。この論文では、すべて現世・現実世界のことについて述べております)。
 私たちは現代の日本が、性善説が支配的となる「幸あるところ」である【中つ国】となることを強く望んでいます。無限かつ無条件の愛が存在する高天原の神々を、神話の世界に閉じ込めていてはいけません。祝詞と祈りの力によって、私たちの世界に降りてきてもらいましょう。
 日本の神々は全国各地の海抜1000m以上の山々の山頂と高原を、地上の高天原と定められました。全国各地にある地上の高天原を訪れるか、もしくはその世界のことを観想する(イメージする) ことによって、私たちの心は解放され浄められて、苦しみのない幸ある【理想の世界】の存在を、実際に体験することができます(注:観想とは「特定の対象に向けて【心】を集中し、その姿を観察すること」です)。その精神を地上の【中つ国】に持って帰り、みんなで力を合わせて、自分の世界・家庭・サークル・学校・地域・会社、そして日本國ならびに世界全体を「幸ある理想の世界」にしましょう。私たちが、心からそれを望み、必要な行動を起こしたならば、その願望は実現するでしょう。

哲学者 水山昭雄
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2023年10月15日日曜日

戦後、そして今の政治がよく分かる論説!

 

「政党の研究〜55年体制とは何だったのか」

 上島嘉郎のライズ・アップ・ジャパン20239月号よりPART4

ここに書かれている政治・政党・日本のあり方は、基本思想は「スマート・テロワール」と同じです。

(サヤさんはこの講座のナビゲーター。話しているのは上島嘉郎(かみじまよしろう)氏。保守の中庸を弁えた優れた人格者だと思います。
https://kamijima-yoshiro.jp/ NOTTAで読み取り。赤文字は編者の覚えの為。)

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 サヤ)そもそも、もう自民党の結党の理念っていう部分からいうと、「自主憲法制定」っていうのが最初に書かれていた綱領だったと思うんです。これが理念の筈なのに、公明党という平和政党と組んでること自体が既にその理念に欺くようなことになっていると思うんです。

上島)それは石原慎太郎都知事の時代から「自民党は公明党と離れなければおかしい。絶対憲法改正の足かせになるのは判りきってるんだから」って語ってましたけど、それがね、マスコミも伝え方がおかしいのは、「自民党と連立政権を組んでるから憲法改正に賛成なのか」っていう見方をしてたんですよ。改憲勢力っていう時に、「いや、そんな馬鹿な」と言わなきゃいけないんです。元々公明党っていうのは、彼らの中に、やっぱり「主権国家としての日本を回復させていく」なんていう考えはないんですよ。冒頭申し上げたように、「広宣流布と国立戒壇を建立する」それが結党の目的だってやってきた党ですよ。(この内容はPART3に詳しい)

 それが批判を浴びたので、今度は「平和と福祉の党」って言って、これははっきり言えば、第9条は改正させないっていう、そういう政党ですよ。だから、それと自民党が連立を組みつつ、日本国の独立に関してはしっかりとやっていきますなんて言うのは矛盾も良いとこなんです。だからここで安倍さんの言葉を借りれば匍匐ほふく前進っていう、少しでも行けるならばっていうところを意識してるんだったら、それは葛藤かっとうを引き受けてるってことになるが、55年体制(後述)から振り返ってみると、日本の根本的な政治構造が見えてくる訳です。要は55年体制の頃っていうのは、まずもってマスコミあるいは日本の言論構造がどうだったかというと、岩波書店や、朝日新聞に代表される左翼メディアが隆盛な時代なんですよ。

 このメディアの問題から入っていくと、例えば、私が古巣である産経新聞は保守メディアとして対抗する形になった訳ですけれども、全体状況としては左翼に一矢報いる程度で、今日においても主流を成すまでには全く至ってない。産経の問題は、日本の独立とか、歴史伝統の保守を訴える一方で、親米路線の堅持ということを主張している。これがともすれば、従米に傾きかねないところにある。一方、朝日は親ソ・親中の批判が可能である。

 これに合わせると産経に対しては親米・従米の批判がありうるんですね。朝日対産経という構図は、単に進歩が保守かとか、あるいは共産主義か自由主義かという対立軸を示しているだけではなくて、ここからがその「ねじれ」っていうことに関わる認識ですけど、そもそも戦後の言語空間と社会構造を作ったアメリカ(占領政策)にとっては、産経は反共の防波堤に、朝日は日本の国家主義復権の防波堤になる、という意味で悪くない対立なんですよ。国論が一致しない方が良い訳ですから。

ではこれを政治の世界で見ていくと、自由党と民主党による保守合同があって、それに先立って左右の社会党の合同結成、それから第6回全国協議会というものを開いて内部抗争に一応終止符を打って再建した共産党、この三つどもえの構想ができたのが1555年、昭和30年代です。

これを長い間55年体制と言ってきたんですね。三つ巴だから、自民対社会対共産という形になるわけですが、この内政状況は、これまたアメリカにとっても悪くなかった。

つまり、自民党が圧倒的な党であるっていうことが前提になります。日本人がここで国論を一致させて、再び米国の脅威になることはない、つまり日本は長期に渡って、例えばメディアにおいて、あるいは政治の現実において、日本を分割統治するための基本的な構造が固まったことを意味するんですが、この55年体制は、このアメリカの意図を打ち破る可能性とするならば、やっぱり自民党が本当に自主憲法制定を目指すというそこに突き進んでいけば、このアメリカの狙い通りにはならなかった筈だけけれども、さて、この時からずっと時代が下って今見ると、やっぱり今の自民党の中においても、強烈にね、それを意識して皆が活動してるとはとても見えない。

 この頃の状況を江藤えとうじゅん先生がこう解説してるんですね。「アメリカの分割統治の目的を概略述べると、自民党には党是として憲法改正を唱え続けることを許容する。日本人が潜在的にそういう欲求を持っているのが事実である以上、それを全く封殺することはできない。その代償として、社会党共産党連合勢力が衆議院の3分の1以上を常に確保できる状況を維持させておけば、現行憲法の規定からして、改正の発議すらできないことになるので、現実には憲法改正ができない。また憲法9条を巡って無限に繰り返されている神学論争ごときは、現実に自衛隊が組織されて、アメリカ軍の補助兵力として機能している限り、いつまででもやらせておけばいい。」

このようにして自民党と社会・共産の間の内政上のバランスを適宜操作することによって、アメリカ分割統治の法則を巧妙に行使しながら、日本を長期にわたって自家薬籠中のものとして置くことができる。

すごいシステムだ。しかし、55年体制は確かに崩壊しました。先にも述べた細川護熙もりひろ政権1993年誕生)がそれですね。社会党という政党はもうありません。共産党もその頃に比べれば格段に革命色は薄まりました。民主党から政権を奪還(2012年)してからの安倍自民党は、国政選挙に連勝しました。とてつもなく強力な政党として、野党を睥睨へいげい、見下ろしてるかのごとく見えてきたけれども、それを朝日新聞などは安倍一強というふうに表現していましたが、内実はそうではない。長く政権与党だったことで国民は何となく自民党は保守と思ってきました。しかし、実態としては、もう保守の理念を求める政党とは言えない。戦後体制の利害調整の中で、常に与党であり続けたい。利権を掌握しておきたいという存在でしかなかった。端的に言えば、安倍さんが本当に痛切に感じたのは、安倍さんがその「戦後レジームからの脱却」を掲げて倒れたときに、自民党の体制はあっという間に安倍さんとは反対の福田康夫さんに流れたことからでもわかる。つまり理念よりは利権、米ソの冷戦がソ連の崩壊に終わり、日本も見かけ上は勝利した西側に属していたことで、90年代の初めに、いわゆる保守派は、「戦後の日本は、その左翼進歩派ではなくて、つまり共産主義・社会主義を掲げる側ではなくて、保守そして自由主義を掲げる側が勝利したかのごとく錯覚したと私は思っています。

左翼進歩派は、そうした保守派の油断を突いて、もうマルクス主義って今更言っても注目されないから、人権擁護とか、環境保護とか、男女平等とか、そういったものを掲げて、衣装をとっかえる形で、巧妙に社会全体に浸透してきた。ここで留意しなければならないと私の考えているのは、そこで主張されている左翼の主張、今や左翼と見せないようにしている人たちの主張が、あたかもその人類普遍の理想を掲げてるように見せながら、その実は祖国日本をと貶め続けることになっている。反日イデオロギーだっていうことなんですね。

 だから、55年体制を崩壊させようと、非自民・非共産の新しい流れを作ろうとした時に、しかしそこに日本がなかったんですね。「日本新党」(細川党首)を名乗っていながら守るべき日本がなかった。その時代からさらに下って今現在があるが、より進んでるのは半日よりも無日、日本がない。

サヤ)確かに先生のおっしゃる通り例えば環境問題にしても人権問題にしても、そこに日本があれば、真剣に本当にそういったものを解決するために取り組んでるはずの活動家の方たちが実際はその人たちの人権なんかどうでもよくて、日本を貶めることが目的になっているから、右も左もどちらも根本的に日本がない状態のまま進んできてしまってるっていうことがあると思うんですけども、そもそもこういう日本がなくなっちゃった原因っていうのはどこまでたどれば良いのでしょうか?

上島)一つはやっぱりさっきの大戦の反省っていう言葉でずっと戦後の日本人に刷り込まれてきた祖国の歩みに対する嫌悪感・失望感といったものがまず根っこにある。つまり、個人に置き換えれば、こんな人生歩んできた。ヤダ、自分の人生・過去を消せないかなっていう心理だと思う。その心理に作用して入ってきたのは、「いや、これからはもうグローバリズムの時代で、つまり日本人って或いは日本国なんてこだわる時代ではないんだ」って言う新しい価値観、新しい人間像なんです。

 先の東京オリンピックの時のスローガンと同じようなものですよ。開会式のデレクタワー務めた人の言葉の中にあったでしょう。「これから日本人とか国境とか言ってるのはもう古臭い」(グローバリズム)ってなことを言ってましたよね。だから、そういう入れ替えが行われている。でもそこには、大きな嘘・欺瞞があると思う。やっぱりある土地に住んで暮らしている人々を守るのは歴史的に培ってきた共同体ですよ。共同体の存在、それを国家というのであって、その効果がそれまで存続してきた中で大切にされてきた価値観やルールによって、私達はこの日まで守ってきたっていう前提(ローカリズム)があるんです。これを全部根こそぎ塗り替えるような形で新しい時代っていうね、あたかもデジタルの発想です。アナログって積み上げでしょ。これはもう要りません。リセットしますって言って、ゼロから何か新しい人類、新しい人日本人になろうというのはおかしい。ここでね、私が思うのは、坂本龍馬が、あの幕末の風雲激動の中で言ってたのは、「日本を今一度洗濯致し候。」という言葉、これとっても大事なんですよ。洗濯っていうのは、今自分が来ているものが古くなって汚れてしまっている。もういっぺん洗って、再び使うってことですよ。だからこれは捨て去るんじゃないんです。全部全く新しいものを身に纏うことではない。つまりこの感覚が近年本当に薄れているのではないかっていうのが、私があらゆるところでため息をつく根幹にあることです。

 それは、本当に何ていうかね、深い深いところで頷くようになってきたのは三島由紀夫が自裁する前に書いていた言葉があります。「空っぽで、中身のない、しかし、いささか経済活動をしてお金を持ってる。そういう日本人とは付き合いたくもない」と。

テキスト ボックス: これが
「スマート・テロワール」
なんかそういう感じが今すごくするんですよ。本当に祖国を大切にするための政治論になってないなって思うのは、LGBTなんかもそうです。理解増進法ね。あれは西欧のこれまであった彼らの国々の性的な少数者に対する弾圧から生まれてきたものを、そのまんま日本に持ってきたような感じですよね。ですが、今回の入管難民法の改正、これはね私は良かったと思う。なぜかって言うと、難民申請さえしていれば、送還されないっていうやってる国はない。実際にそういう形で日本にそのまま滞在し続ける中に、細かい数字は判らないけど、どれほど前科のある人が多いかっていうこと。だから、本当に迫害を受けた無辜(むこ)の人々が日本に逃れてきて保護を求めてる、そういう人は確かに救おう。だがそうでない人たちがたくさん来てる。そういう人たちをちゃんと分けることに何の問題があるか。これ自体は人権侵害でも何でもないんだ。トルコのクルド人の問題とか今大変な騒ぎになってますけど、この考え方は、ヨーロッパは急速にその方向に来てます。この間フランスで暴動が起きたのも、つまりはそれが根っこにあるわけですよ。暴動を起こした側が差別された、それが不満だっていうことがエネルギーになってるけれども、しかし同時に、それまでのフランス社会の共同体としてのルールなり慣習なりが、彼らはそこに順応せずに、ことごとく、それに対して毀損していくっていう側で存在し続けたことに関する沸点が来たってことですよ、あれは。北欧ですら、もう移民に関しては本当に扉を閉じようとしている。メルケルさんも失敗したってはっきりおっしゃった。日本はそういう失敗を犯す前にちゃんと人権に配慮するっていうんだったら、本当に保護の必要な人は誰なのか、それは厳密に見ますよ、日本をただ食いものにするような形での入国は認めません。あるいは本当に日本に帰化を望むなら、その帰化のための覚悟をしっかりと確認をした上で、日本国民として遇する。帰化を認めた限りはフルメンバーとしてちゃんと処遇するってことね。しっかりしたメリハリというか基準を設けて対応していくことが大事で、技能研修生等に私は基本的に賛成しません。本当に研修制度っていうんだったら、ちゃんと教えてちゃんと育ててその国に返すっていう制度にしなきゃいけない。ただ少しばかり技能を教え、安く使えるから利用する。これこそ恥ずかしい話で、これは財界が基本的に要望してる話ですけど、財界はただ金儲け、利益を上げたいだけなのかっていうところに今なっている。日本人の劣化云々って話はするけど、最も劣化してきてるのはやっぱり経済人じゃないかって気がします。昔の経済人はやっぱりどっかにお国のために最後尽くすっていう感覚でやっていました。それは古臭い昭和ノスタルジーだよって切り捨てられるかもしれない。だけどグローバリズムに関わる人が、ある地域ある国の人々を救ってくれる主体じゃないですよ。

やっぱり私達の国は私達の共同体をちゃんと守るための経済活動をしてくれる企業家が大事で、そして、そうした経済が必要なんだ、大事なんだっていう国民の意識を育むことが必要なんだと思う。今、転職をすすめるCMの多さを見ると、あれでいいのかって、むしろ、問直すことの方が大事じゃないかって思う。

 サヤ)先生のおっしゃる通りで、今先生が仰ることって基本的にはイデオロギーの問題じゃなくて、物事に真剣にあたるって言ってるだけだと思うんですよ。日本という国を思う気持ちが根幹にあって、そこから、今の状態で何がベストなのかを政治家なり経済人なりが真剣に知恵を絞れっていうことを仰ってると思うんです。そういう意味で、例えばGHQに占領された時にね、重光まもるさんが2092日の降伏文書の調印をする時に、先月号で先生が仰ってましたけど、「降伏文書に署名する自分を蔑んでくれ」と詩に読んだというのを聞いて、ものすごい感動したんですけれどもその後吉田茂さんは、アメリカとのやり取りの中で軍隊を持つ持たないっていうところで、持たない選択をしようとしていたといいますが、どちらもそれぞれ真剣に日本のことを思っていたっていうことは間違いないじゃないですかその時点でにおいて。だから、右とか左とか関係なく本当に日本のことを考えて苦渋の選択をした人もいるだろうし、苦し紛れにそういうふうにせざるを得なかった方もいると思うんですけど、それだけ真剣に考えてたってことだけは、私は信じられると思うので、そういうところが今の日本は誰も真剣に考えなくなったっていうのが大きな絶望かなと思うんですよね。

 上島)だから、私は歴史的な繋がりが本当に大事だって繰り返し言うのは、やっぱり日本人の感覚の元にあるのは、例えばお天道様が見てるとかね、つまり誰かその監視する人がいなくたって、自分の古根ふるねはどうだったろうかって自問するとか、或いは、ことに臨んで命をかけて当たって、そして足らざれば自分はどう身を処すかっていう、何かそういう感覚が大事であって、単純に損得とかではない価値観が実はある。戦前ぐらいまでは良きにしろ悪しきにしろそれがあった。あったからって言えるのはね、例えば815日、ポツダム宣言を受託して日本は軍の無条件降伏は受け入れた。そうすると軍はこれから武装解除して解体しますってなると、もう軍法会議以下の体系とかもなくなっていく訳ですよね。そういう中で、下は二等兵から上は元帥までねやっぱり何事か自分がその時代を担ったことに関して、申し訳ないと言って腹を切って自決していった人たちがいるわけね。550人を超えるのかな。この人たちは。少なくとも法律上は別に死ななくってもいいというか、もちろんGHQによって戦犯訴追されて、死刑にされていく可能性があった人もいるけれども、しかし、まず自ら命を絶って詫びるっていう感覚があったわけです。その一方で、いろいろ口をつぐんで、生き残った人たちも一方にいるわけ、だから、私は日本人全てが素晴らしいなんて言えないと思うけれども、少なくとも後世がどちらの日本人のありようをむべきかっていうことははっきりしてると思うんです。そしてどういう日本人でありたいかっていう、その姿を、やはり占領軍に潰され消されてしまったことが本当に返す返すも残念でならない。これは戦前から生きてた人たちには何となく続いてたわけですよ。今に見ていろ、っていう感覚。ところが、その思いというのがやっぱり次の世代へ引き継がれるよりは、どんどん薄れてきてしまったこと。それはね確かに生活はすごく向上した豊かになった。そして、軍事的な負担も負わずに、米ソの冷戦下でもとにもかくにもその紛争には日本が直接的に巻き込まれていくということはなかった。これをマインドセットされた人たちは平和主義って言葉の中で、これは憲法九条のおかげだというふうに思った。しかし現実を見た人たちは、これは屈辱的な条約ではあるが、日米安保条約というものに基づくアメリカの軍事力が結果的に、バリアになっているんだっていう認識をした。このねじれの中でね、私達が取り戻していくべき姿というのを、そこからしか見えてこないと思うんですよ。私は今のアメリカとの関係は大事だってずっと言ってきたますけど、しかし、日米安保条約って屈辱的な条約ですよ。それはもう重々承知した上で、じゃあどうしていくのか、っていうこと。それに向かって、つまりそれに向かうってことは日本がちゃんとした主権国家として立ち上がるっていうこと。

 今、どう考えたって主権国家じゃないんです。それを見透かされてるから。例えば中国が明明白白な海洋放出の放射性物質を、日本はちゃんとどう処理して科学的にどうなのかってことを承知していながら、紛れもない日本に対する嫌がらせをしてきてるっていうのはお前たちは対抗できる国じゃないって思ってるからですよ。

 だからここをね、やっぱり悔しいと思わねばならないし、そして侮れない存在として、再び立ち上がるっていうことがその全てのね、例えば政治目標、それから私達国民の生きる上での何分の1か、やっぱり目的になってなきゃいけないと思うんです、このことは。

 戦後、本当にこれに関しては、徹底的に欠けているという55年体制というのは、実は自民党のスローガンとしては自主憲法と言いつつ、ずっとそれを巡ってきた時代であるし、そしてその後55年体制が壊れて、政党の離合集散の時代があって、そしてまた自民党に政権が戻ってから、民主党政権があって、さらにまた自民党。しかしこの場合には、公明党との連立っていう形になって、これをずっとこう振り返ったときに、やっぱり今申し上げてきたような、保守の根幹の思い、決意、そして具体的な目的として、それが実を結んできてなかったということを痛感せざるを得ない。だから今日、政党が増えましたけど、やっぱりどの政党も、こういう議論を党内でしてる節がない。そもそもこういう問題意識があるとも思えなくなっている自民党に、「こういう問題意識(主権国家になる)があって自由民主党はできた政党じゃないんですか?」というふうに問わねばならない。実は、他の政党よりも自民党の罪は重いというふうに思うんです。

 サヤ)今日のお話で、目指すべき部分っていうのはしっかり見えたし、やっぱりいろんな形をとってもその初志を忘れてしまったら何の意味もないわけで、やっぱり自民党自体も55年体制をとることで自分を欺きながら、歩んできてしまったっていうのやっぱり、戦後78年経ってもずっと同じことで日本は逡巡して悩んできているわけですから、もっと早く解消すべきでしたよね。もっと早くみんなが決断して、11人が決断できていればっていうことは、本当に

先生の話を聞いてて身につまされました。

 上島)時代状況がね、やっぱり冷戦は確かに深刻ではあったけれども、しかし、日本の領土に直接何か危害が加えられるっていうことはなかったし、そういう意味ではアメリカは圧倒的な力を持っていた訳です。日本が考え直す契機が二回あったと思います。一回目は、ソビエトが崩壊して、冷戦が終結したと思えた瞬間です。それまでずっと西側でアメリカを支えることで、共産主義陣営と対峙してきたけれども、その対峙の終結によって、日本は一体どういう国でいきたいのか、アメリカ追随で良いのか、立ち止まって考える機会があったと思います。

もう1回が、9.11テロの時ですね。あのテロには、本当に文明史的な意味合いでの一つの問いかけがやっぱりあった。あの手法は認めませんけどね。私は無辜むこの人間を、手の汚れていないアメリカ人はいないんだなんて言って、ああいうふうにね、根こそぎ死に至らしめるような攻撃、

軍事施設でも何でもなかった訳だからトレードセンターは。ああいうことを私は支持しないけれども、そこに込められたイスラム世界からの一つのメッセージって言ったことは、これは文明史的にやっぱり考えなきゃいけないところははっきりあって、そこで、やっぱり日本は、我が国はどういう国でいくべきなのか、っていう考える機会の一つだったと思います。

 そして今日、まさに中国が、覇権国家たらんとする野望も隠さず、軍事力も含めて展開してきている。本当に今日本列島を周回するように艦艇を送り込んできているし、のんきに構えていてはいけない。いたずらに危機を煽る訳じゃないけれども、現に今そこにある危機っていうのは、これを見ないのは愚かなのであって、また日本が国家としてどうあるべきかっていうことをね、今本当にそれを考える機会になっているというふうに思います。

 各政党にもその視点での党内議論もなぜないのか、というそこを問いたいし、国民も、そこをしっかり見てほしい。身近な、例えば自分の選挙区の政治家に会ったりする機会があれば、日本のあり方を尋ねてほしいんですよね。「この選挙区のこのことだけやりたいから、っていうような答えではやっぱり駄目なんだ」よって。

 NOTTAで読み取り、校正は安江高亮)

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2023年9月30日土曜日

戦没画学生慰霊美術館「無言館」

 
  ◀「無言館」正面



    「貧しかった出征兵士が、一度もやったこ
     とのない家族団らんを夢見て、描いて残                       して行った」
              ▼

            

一度は是非見て下さい。

館主ご挨拶
遠い見知らぬ異国くにで死んだ画学生よ
私はあなたを知らない
知っているのはあなたがのこしたたった一枚の絵だ
・・・・・・・・・つづく

無言館 ホームページhttps://mugonkan.jp/

menu を開くと素敵な説明があります。


ごあいさつ

 戦争中 、数多くの若い生命が戦地に駆り出され 、戦場のツユと消えました 。

 そうした中には 、画家になることを一心に夢み 、生きて帰って絵を描きたいと叫びながら死んでいった一群の画学生たちがおりました 。当時の東京美術学校(現・東京藝術大学)、現在の武蔵野美術大学、多摩美術大学にわかれる前の帝国美術学校に在籍していた学生、あるいは独学によって絵を学んでいた前途ある絵描きの卵たちです。これらの学生たちは、厳しい飢餓と死の恐怖にさいなまれながらも、最後まで絵への情熱と、生きることへの希望をうしなわず、その思いを一冊のスケッチ帖、一枚の画布にきざんで死んでゆきました。そこには、絵箪を銃に替えて生きねばならなかったかれらの無念と、同時に、人間にとって絵を描くということがどれだけ至純な歓びにみちた行為であるかを物語る、ひたむきな生の軌跡があったと思います。

 この戦没画学生慰霊美術館「 無言館」は、そうした画学生たちがのこした作品と、生前のかれらの青春の息吹きをつたえる数々の遺品を末永く保存、展示し、今を生きる私たちの精神の糧にしてゆきたいという希いをもとに、199751日「信濃デッサン館」の分館として開設されたものです。どうか、このささやかなる施設において、少しでも多くのかたがたの眼に、かれらの初々しい熱情にあふれた作品がふれることをねがってやみません。

                     「無言館」館主  窪島誠一郎

 

               戦没画学生の情報を!!

 かの日中戦争、太平洋戦争での戦死者は三百十数万人といわれ、昭和十八年十月の小雨ふる神宮外苑から学徒出陣した学生も数万余といわれています。現在「無言館」に収蔵されている画学生は百三十名、おそらくこの何倍もの戦没画学生の作品が、今もどこかで私たちに発見されるのを待っていると考えられます。皆さまのご親族、遠い縁者やお知り合いのなかに、そうした画学生がいましたら、遺作、遺品の有無にかかわらず、ぜひお知らせ下さい。「無言館」の記念碑「記憶のパレット」への刻名、作品を収蔵し展示する相談をさせていただきます。

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2023年8月27日日曜日

韓国の嘘つき文化

 伊勢雅臣先生の「日本私塾」:第26号R5年8月号
「ロシア南信から領土を守った江戸日本」 の質問コーナーから、

ソウル大学経済学名誉教授李栄薰氏の著作から、その主張の紹介です。
日本の朝鮮統治の真実を伝える内容です。ありがたい話です。

「韓国の嘘つき文化は・・・」と始まります。

韓国の反日運動や取り決め破りに悩まされる日本ですが、今までも韓国のこの現状を批判する韓国人がいることは知っていましたが、ハッキリと実名・証拠付きで読んだのは初めてでしたので、ご紹介します。伊勢雅臣先生の説く歴史は私を覚醒させてくれます。

「反日種族主義」李栄薰著 の紹介です。

伊勢先生が講義の中でお使いのパワポの画面から2ページ掲載致します。詳細は本を読まれるか、先生の講義をお聞き下さい。

まず、李栄薰(イ・ヨンフン、1951年9月10日 - )氏のプロフィール
大韓民国の経済史学者。ソウル大学経済学名誉教授[1]落星台経済研究所所長。経済史学会会長・韓国古文書学会会長も務めていた。
李氏朝鮮時代から現代にかけての韓国の経済史を研究している。特に植民地支配下の朝鮮経済の研究で知られ、「日本による植民地時代に韓国が土地と食糧を収奪されたという韓国史教科書の著述は歪曲されたものだ」という主張を提起し、「私たちが植民地時代について知っている韓国人の集団的記憶は多くの場合、作られたもので、教育されたものだ」としている



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2023年8月16日水曜日

北野幸伯氏の情報は本物です

北野幸伯氏の情報は本物です。ご注目ください。

北野幸伯【裏RPE】より

 言論の自由が比較的ある日本でも、

「隠されて知らされていない情報」がたくさんあります。

世界情勢に関しても、その他の分野に関しても。

「隠されている情報」は、テレビ、新聞にはもちろん、YouTubeにも出てきません。
バンされてしまうからです。
では、どこから「隠されている情報」にアクセスできるのでしょうか?
こちらから、「隠されている情報」を入手してください。



画像の一部データを参照
これらのグラフの説明がつかないのです!





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2023年8月6日日曜日

尾崎由紀・ステンドグラスと絵付けの彩・

 芦田宿に引っ越してきて、2年4ヶ月の尾崎由紀さんが
追分宿で展示会を開きます。

絵をステンドグラスにします。

芦田宿を歩いて、古民家の門扉に素敵なステンドグラスを見つけて下さい。

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会期 : 2023年831()〜9月4日()

時間 : 11:0017:00

場所 : 信濃追分文化磁場 油や

   ギャラリー・一進

電話 : 0267-31-6511

住所 : 長野県北佐久郡軽井沢町大字追分607

油やURL  https://aburaya-project.com/

尾崎由紀Instagram : yuki_stainedglass_art

(素敵な作品の写真がイッパイ!)









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2023年7月20日木曜日

遅読の練習

 芥川賞作家が直伝!知的になる

遅読の練習

How to read bookls.

一冊の本を読み終えたとき、読む前とはまるで違う世界を見ているかのように感じる。

そんな豊かな読書経験をするために必要な方法とは。

小説家・平野啓一郎氏に話を聞いた。

私は、遅読に自信を持ちました!

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抜粋

 仕事で明日までに大量の資料を読まなけれぱいけないようなとき、速読は必要でしょう。でもそれは、単に一時的な情報の処理であって、読書ではありません。

読書とぱ何か。それぱ、自分の人生を、今日のこの瞬間までよりも、さらに豊かで、個性的なものにすることでぱないでしょうか。単に表面的な知識で人を飾り立てるのではなく、内面から人を変え、思慮深さと賢明さとをもたらし、人間性に深みを与えるものではないでしょうか。そして何よりも、読書は楽しみなのです。楽しいことをするのに、慌てる必要はありません。

この考えから、私は、「スロー・リーディング」を提唱しています

本を遅く読む第1のメリットは、自分自身と向き合えることです。特に小説を読む場合は、登場人物、あるいぱ作者という、一人の他者と時間をかけてゆっくり向き合?ことで、彼/彼女を通じて自分自身の内面を発見することもあれば、自分の考えに変化が起こることもあるでしょう。

 また、時間をかけて本を読めば、自分とは異なる人の意見にも耳を傾けられるようになります。ゼロ年代以降に企業や行政、教育など、あらゆる領域で行われてきた選択と集中は、すべて

失敗してきました。

スロー・リーディングは、また、言菓を深く理解する訓練でもあるでしょう。言業というものは、地球規模の非常に大きな知の球体であり、そのほんの小さな一点に光をあてたものが1冊の本という存在ではないかと私は思います。

1冊の本をじっくりと時間をかけて読むということは、実は、その本が生まれるために欠かせなかった別の10冊分、20冊分の本への扉が開かれることも意味します。スロー・リーディングとは、この言菓の森を奥へ、奥へと分け入っていく行為にほかなりません。

仕事の場面に限らず、あらゆる人間関係において、言葉の表現力はものを言います。言い難い人間の心情を言い当て、新しい概念を他者に説明するためには、やはり、言葉という、厳密で

思考に直結した手段が必要なのです。

具体的にどうやって本を読むといいでしょうか。まず私がすすめるのは、黙読です。音読を推奨する人もいますが、言語として習得する場合でなけれぱ、音読は効果的でないと思います。声に出すと、上手に読み上げることに気を取られてしまい、内容があまり頭に入らないのです

私が習慣にしているのは、本の気になる箇所に線を引いたり、印をつけたりすることです。

  辞書を引く癖をつけるのも大事です。

 読む本の媒体は、電子より紙がいいというのが私の意見です。電子書籍は、場所を問わずちょっと空いた時間にも読めるのが便利で、私も電車のなかで読んだりはします。ただ、「あそこに何か書いてあったな」と思ってあとから見返すとき、探すのがかなり面倒です。

 本を読むときは、ほかにも、「なぜ」という疑問を常に持つようにしてください。「著者はこう言っているけど、本当かな」と思うことができれぱ、確認するために別の本も読もうとすることができます。「どうしてこんなことが書いてあるのだろう」と作者の意図を考えながら読むと、年か経ってから、「ああ、ずっと不思議だったけど、あれはそういうことだったのか!」と理解できるときが訪れるかもしれません。熟考の末、「作者の意図」以上に興味深い内容を探り当てて、「豊かな誤読」を生む可能性だってあります。読んだときの引っかかりを大事にし、立ち止まって、「どうして?」と考えてみることで、その読書体験が「読んで終わり」ではなく、未知の世界に開かれたものになるのです。

 ある日、恐る恐る、知り合いの作家たちにたずねてみました。すると、意外にも、「実は自分も本を読むのは遅い」と言う人がほとんどだったんです。

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