2023年10月22日日曜日

日本の神話と現実社会

友人の哲学者から戴いた論文です。

ご参考にしてください。「中つ国」が日本です。

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 高天原 中つ国 根の国

水山昭雄

2023年10月19日 12:53

 日本の神話によると、①高天原と②中つ国と③根の国の三界があります。それらは天上・地上・地下の三つの世界のことです。私はその三つの世界観を、現実的かつ現代的に解釈し直してみました。
【高天原】とは、無限かつ無条件の愛が充満する世界であり、天照大神さまが治めておられます。それは「幸あるところ・広大な美しい世界・善い人だけが住んでいる【理想の世界】」です。
【中つ国】とは、そこの住民が高天原の神々の指導を直接、受けているため、性善説が支配的になる【神の国】のことです。そこの国民は、健康と長寿に恵まれ、豊かで苦しみのない幸ある人生を楽しむことができます。
【根の国】とは、どちらかと言うと我(が) が強く、表と裏の二面性を持つ住民が、高天原の神々の指導を受けることを好まないため、性悪説と自己愛が支配的となる煩悩だらけの世界のことです。そこは忍耐を要する世界であり、対立と不和が生じることがあり得るところです(注:念のために述べておきます。ここで述べている「根の国」は現世における世界観であり、来世の世界のことではありません。この論文では、すべて現世・現実世界のことについて述べております)。
 私たちは現代の日本が、性善説が支配的となる「幸あるところ」である【中つ国】となることを強く望んでいます。無限かつ無条件の愛が存在する高天原の神々を、神話の世界に閉じ込めていてはいけません。祝詞と祈りの力によって、私たちの世界に降りてきてもらいましょう。
 日本の神々は全国各地の海抜1000m以上の山々の山頂と高原を、地上の高天原と定められました。全国各地にある地上の高天原を訪れるか、もしくはその世界のことを観想する(イメージする) ことによって、私たちの心は解放され浄められて、苦しみのない幸ある【理想の世界】の存在を、実際に体験することができます(注:観想とは「特定の対象に向けて【心】を集中し、その姿を観察すること」です)。その精神を地上の【中つ国】に持って帰り、みんなで力を合わせて、自分の世界・家庭・サークル・学校・地域・会社、そして日本國ならびに世界全体を「幸ある理想の世界」にしましょう。私たちが、心からそれを望み、必要な行動を起こしたならば、その願望は実現するでしょう。

哲学者 水山昭雄
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2023年10月15日日曜日

戦後、そして今の政治がよく分かる論説!

 

「政党の研究〜55年体制とは何だったのか」

 上島嘉郎のライズ・アップ・ジャパン20239月号よりPART4

ここに書かれている政治・政党・日本のあり方は、基本思想は「スマート・テロワール」と同じです。

(サヤさんはこの講座のナビゲーター。話しているのは上島嘉郎(かみじまよしろう)氏。保守の中庸を弁えた優れた人格者だと思います。
https://kamijima-yoshiro.jp/ NOTTAで読み取り。赤文字は編者の覚えの為。)

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 サヤ)そもそも、もう自民党の結党の理念っていう部分からいうと、「自主憲法制定」っていうのが最初に書かれていた綱領だったと思うんです。これが理念の筈なのに、公明党という平和政党と組んでること自体が既にその理念に欺くようなことになっていると思うんです。

上島)それは石原慎太郎都知事の時代から「自民党は公明党と離れなければおかしい。絶対憲法改正の足かせになるのは判りきってるんだから」って語ってましたけど、それがね、マスコミも伝え方がおかしいのは、「自民党と連立政権を組んでるから憲法改正に賛成なのか」っていう見方をしてたんですよ。改憲勢力っていう時に、「いや、そんな馬鹿な」と言わなきゃいけないんです。元々公明党っていうのは、彼らの中に、やっぱり「主権国家としての日本を回復させていく」なんていう考えはないんですよ。冒頭申し上げたように、「広宣流布と国立戒壇を建立する」それが結党の目的だってやってきた党ですよ。(この内容はPART3に詳しい)

 それが批判を浴びたので、今度は「平和と福祉の党」って言って、これははっきり言えば、第9条は改正させないっていう、そういう政党ですよ。だから、それと自民党が連立を組みつつ、日本国の独立に関してはしっかりとやっていきますなんて言うのは矛盾も良いとこなんです。だからここで安倍さんの言葉を借りれば匍匐ほふく前進っていう、少しでも行けるならばっていうところを意識してるんだったら、それは葛藤かっとうを引き受けてるってことになるが、55年体制(後述)から振り返ってみると、日本の根本的な政治構造が見えてくる訳です。要は55年体制の頃っていうのは、まずもってマスコミあるいは日本の言論構造がどうだったかというと、岩波書店や、朝日新聞に代表される左翼メディアが隆盛な時代なんですよ。

 このメディアの問題から入っていくと、例えば、私が古巣である産経新聞は保守メディアとして対抗する形になった訳ですけれども、全体状況としては左翼に一矢報いる程度で、今日においても主流を成すまでには全く至ってない。産経の問題は、日本の独立とか、歴史伝統の保守を訴える一方で、親米路線の堅持ということを主張している。これがともすれば、従米に傾きかねないところにある。一方、朝日は親ソ・親中の批判が可能である。

 これに合わせると産経に対しては親米・従米の批判がありうるんですね。朝日対産経という構図は、単に進歩が保守かとか、あるいは共産主義か自由主義かという対立軸を示しているだけではなくて、ここからがその「ねじれ」っていうことに関わる認識ですけど、そもそも戦後の言語空間と社会構造を作ったアメリカ(占領政策)にとっては、産経は反共の防波堤に、朝日は日本の国家主義復権の防波堤になる、という意味で悪くない対立なんですよ。国論が一致しない方が良い訳ですから。

ではこれを政治の世界で見ていくと、自由党と民主党による保守合同があって、それに先立って左右の社会党の合同結成、それから第6回全国協議会というものを開いて内部抗争に一応終止符を打って再建した共産党、この三つどもえの構想ができたのが1555年、昭和30年代です。

これを長い間55年体制と言ってきたんですね。三つ巴だから、自民対社会対共産という形になるわけですが、この内政状況は、これまたアメリカにとっても悪くなかった。

つまり、自民党が圧倒的な党であるっていうことが前提になります。日本人がここで国論を一致させて、再び米国の脅威になることはない、つまり日本は長期に渡って、例えばメディアにおいて、あるいは政治の現実において、日本を分割統治するための基本的な構造が固まったことを意味するんですが、この55年体制は、このアメリカの意図を打ち破る可能性とするならば、やっぱり自民党が本当に自主憲法制定を目指すというそこに突き進んでいけば、このアメリカの狙い通りにはならなかった筈だけけれども、さて、この時からずっと時代が下って今見ると、やっぱり今の自民党の中においても、強烈にね、それを意識して皆が活動してるとはとても見えない。

 この頃の状況を江藤えとうじゅん先生がこう解説してるんですね。「アメリカの分割統治の目的を概略述べると、自民党には党是として憲法改正を唱え続けることを許容する。日本人が潜在的にそういう欲求を持っているのが事実である以上、それを全く封殺することはできない。その代償として、社会党共産党連合勢力が衆議院の3分の1以上を常に確保できる状況を維持させておけば、現行憲法の規定からして、改正の発議すらできないことになるので、現実には憲法改正ができない。また憲法9条を巡って無限に繰り返されている神学論争ごときは、現実に自衛隊が組織されて、アメリカ軍の補助兵力として機能している限り、いつまででもやらせておけばいい。」

このようにして自民党と社会・共産の間の内政上のバランスを適宜操作することによって、アメリカ分割統治の法則を巧妙に行使しながら、日本を長期にわたって自家薬籠中のものとして置くことができる。

すごいシステムだ。しかし、55年体制は確かに崩壊しました。先にも述べた細川護熙もりひろ政権1993年誕生)がそれですね。社会党という政党はもうありません。共産党もその頃に比べれば格段に革命色は薄まりました。民主党から政権を奪還(2012年)してからの安倍自民党は、国政選挙に連勝しました。とてつもなく強力な政党として、野党を睥睨へいげい、見下ろしてるかのごとく見えてきたけれども、それを朝日新聞などは安倍一強というふうに表現していましたが、内実はそうではない。長く政権与党だったことで国民は何となく自民党は保守と思ってきました。しかし、実態としては、もう保守の理念を求める政党とは言えない。戦後体制の利害調整の中で、常に与党であり続けたい。利権を掌握しておきたいという存在でしかなかった。端的に言えば、安倍さんが本当に痛切に感じたのは、安倍さんがその「戦後レジームからの脱却」を掲げて倒れたときに、自民党の体制はあっという間に安倍さんとは反対の福田康夫さんに流れたことからでもわかる。つまり理念よりは利権、米ソの冷戦がソ連の崩壊に終わり、日本も見かけ上は勝利した西側に属していたことで、90年代の初めに、いわゆる保守派は、「戦後の日本は、その左翼進歩派ではなくて、つまり共産主義・社会主義を掲げる側ではなくて、保守そして自由主義を掲げる側が勝利したかのごとく錯覚したと私は思っています。

左翼進歩派は、そうした保守派の油断を突いて、もうマルクス主義って今更言っても注目されないから、人権擁護とか、環境保護とか、男女平等とか、そういったものを掲げて、衣装をとっかえる形で、巧妙に社会全体に浸透してきた。ここで留意しなければならないと私の考えているのは、そこで主張されている左翼の主張、今や左翼と見せないようにしている人たちの主張が、あたかもその人類普遍の理想を掲げてるように見せながら、その実は祖国日本をと貶め続けることになっている。反日イデオロギーだっていうことなんですね。

 だから、55年体制を崩壊させようと、非自民・非共産の新しい流れを作ろうとした時に、しかしそこに日本がなかったんですね。「日本新党」(細川党首)を名乗っていながら守るべき日本がなかった。その時代からさらに下って今現在があるが、より進んでるのは半日よりも無日、日本がない。

サヤ)確かに先生のおっしゃる通り例えば環境問題にしても人権問題にしても、そこに日本があれば、真剣に本当にそういったものを解決するために取り組んでるはずの活動家の方たちが実際はその人たちの人権なんかどうでもよくて、日本を貶めることが目的になっているから、右も左もどちらも根本的に日本がない状態のまま進んできてしまってるっていうことがあると思うんですけども、そもそもこういう日本がなくなっちゃった原因っていうのはどこまでたどれば良いのでしょうか?

上島)一つはやっぱりさっきの大戦の反省っていう言葉でずっと戦後の日本人に刷り込まれてきた祖国の歩みに対する嫌悪感・失望感といったものがまず根っこにある。つまり、個人に置き換えれば、こんな人生歩んできた。ヤダ、自分の人生・過去を消せないかなっていう心理だと思う。その心理に作用して入ってきたのは、「いや、これからはもうグローバリズムの時代で、つまり日本人って或いは日本国なんてこだわる時代ではないんだ」って言う新しい価値観、新しい人間像なんです。

 先の東京オリンピックの時のスローガンと同じようなものですよ。開会式のデレクタワー務めた人の言葉の中にあったでしょう。「これから日本人とか国境とか言ってるのはもう古臭い」(グローバリズム)ってなことを言ってましたよね。だから、そういう入れ替えが行われている。でもそこには、大きな嘘・欺瞞があると思う。やっぱりある土地に住んで暮らしている人々を守るのは歴史的に培ってきた共同体ですよ。共同体の存在、それを国家というのであって、その効果がそれまで存続してきた中で大切にされてきた価値観やルールによって、私達はこの日まで守ってきたっていう前提(ローカリズム)があるんです。これを全部根こそぎ塗り替えるような形で新しい時代っていうね、あたかもデジタルの発想です。アナログって積み上げでしょ。これはもう要りません。リセットしますって言って、ゼロから何か新しい人類、新しい人日本人になろうというのはおかしい。ここでね、私が思うのは、坂本龍馬が、あの幕末の風雲激動の中で言ってたのは、「日本を今一度洗濯致し候。」という言葉、これとっても大事なんですよ。洗濯っていうのは、今自分が来ているものが古くなって汚れてしまっている。もういっぺん洗って、再び使うってことですよ。だからこれは捨て去るんじゃないんです。全部全く新しいものを身に纏うことではない。つまりこの感覚が近年本当に薄れているのではないかっていうのが、私があらゆるところでため息をつく根幹にあることです。

 それは、本当に何ていうかね、深い深いところで頷くようになってきたのは三島由紀夫が自裁する前に書いていた言葉があります。「空っぽで、中身のない、しかし、いささか経済活動をしてお金を持ってる。そういう日本人とは付き合いたくもない」と。

テキスト ボックス: これが
「スマート・テロワール」
なんかそういう感じが今すごくするんですよ。本当に祖国を大切にするための政治論になってないなって思うのは、LGBTなんかもそうです。理解増進法ね。あれは西欧のこれまであった彼らの国々の性的な少数者に対する弾圧から生まれてきたものを、そのまんま日本に持ってきたような感じですよね。ですが、今回の入管難民法の改正、これはね私は良かったと思う。なぜかって言うと、難民申請さえしていれば、送還されないっていうやってる国はない。実際にそういう形で日本にそのまま滞在し続ける中に、細かい数字は判らないけど、どれほど前科のある人が多いかっていうこと。だから、本当に迫害を受けた無辜(むこ)の人々が日本に逃れてきて保護を求めてる、そういう人は確かに救おう。だがそうでない人たちがたくさん来てる。そういう人たちをちゃんと分けることに何の問題があるか。これ自体は人権侵害でも何でもないんだ。トルコのクルド人の問題とか今大変な騒ぎになってますけど、この考え方は、ヨーロッパは急速にその方向に来てます。この間フランスで暴動が起きたのも、つまりはそれが根っこにあるわけですよ。暴動を起こした側が差別された、それが不満だっていうことがエネルギーになってるけれども、しかし同時に、それまでのフランス社会の共同体としてのルールなり慣習なりが、彼らはそこに順応せずに、ことごとく、それに対して毀損していくっていう側で存在し続けたことに関する沸点が来たってことですよ、あれは。北欧ですら、もう移民に関しては本当に扉を閉じようとしている。メルケルさんも失敗したってはっきりおっしゃった。日本はそういう失敗を犯す前にちゃんと人権に配慮するっていうんだったら、本当に保護の必要な人は誰なのか、それは厳密に見ますよ、日本をただ食いものにするような形での入国は認めません。あるいは本当に日本に帰化を望むなら、その帰化のための覚悟をしっかりと確認をした上で、日本国民として遇する。帰化を認めた限りはフルメンバーとしてちゃんと処遇するってことね。しっかりしたメリハリというか基準を設けて対応していくことが大事で、技能研修生等に私は基本的に賛成しません。本当に研修制度っていうんだったら、ちゃんと教えてちゃんと育ててその国に返すっていう制度にしなきゃいけない。ただ少しばかり技能を教え、安く使えるから利用する。これこそ恥ずかしい話で、これは財界が基本的に要望してる話ですけど、財界はただ金儲け、利益を上げたいだけなのかっていうところに今なっている。日本人の劣化云々って話はするけど、最も劣化してきてるのはやっぱり経済人じゃないかって気がします。昔の経済人はやっぱりどっかにお国のために最後尽くすっていう感覚でやっていました。それは古臭い昭和ノスタルジーだよって切り捨てられるかもしれない。だけどグローバリズムに関わる人が、ある地域ある国の人々を救ってくれる主体じゃないですよ。

やっぱり私達の国は私達の共同体をちゃんと守るための経済活動をしてくれる企業家が大事で、そして、そうした経済が必要なんだ、大事なんだっていう国民の意識を育むことが必要なんだと思う。今、転職をすすめるCMの多さを見ると、あれでいいのかって、むしろ、問直すことの方が大事じゃないかって思う。

 サヤ)先生のおっしゃる通りで、今先生が仰ることって基本的にはイデオロギーの問題じゃなくて、物事に真剣にあたるって言ってるだけだと思うんですよ。日本という国を思う気持ちが根幹にあって、そこから、今の状態で何がベストなのかを政治家なり経済人なりが真剣に知恵を絞れっていうことを仰ってると思うんです。そういう意味で、例えばGHQに占領された時にね、重光まもるさんが2092日の降伏文書の調印をする時に、先月号で先生が仰ってましたけど、「降伏文書に署名する自分を蔑んでくれ」と詩に読んだというのを聞いて、ものすごい感動したんですけれどもその後吉田茂さんは、アメリカとのやり取りの中で軍隊を持つ持たないっていうところで、持たない選択をしようとしていたといいますが、どちらもそれぞれ真剣に日本のことを思っていたっていうことは間違いないじゃないですかその時点でにおいて。だから、右とか左とか関係なく本当に日本のことを考えて苦渋の選択をした人もいるだろうし、苦し紛れにそういうふうにせざるを得なかった方もいると思うんですけど、それだけ真剣に考えてたってことだけは、私は信じられると思うので、そういうところが今の日本は誰も真剣に考えなくなったっていうのが大きな絶望かなと思うんですよね。

 上島)だから、私は歴史的な繋がりが本当に大事だって繰り返し言うのは、やっぱり日本人の感覚の元にあるのは、例えばお天道様が見てるとかね、つまり誰かその監視する人がいなくたって、自分の古根ふるねはどうだったろうかって自問するとか、或いは、ことに臨んで命をかけて当たって、そして足らざれば自分はどう身を処すかっていう、何かそういう感覚が大事であって、単純に損得とかではない価値観が実はある。戦前ぐらいまでは良きにしろ悪しきにしろそれがあった。あったからって言えるのはね、例えば815日、ポツダム宣言を受託して日本は軍の無条件降伏は受け入れた。そうすると軍はこれから武装解除して解体しますってなると、もう軍法会議以下の体系とかもなくなっていく訳ですよね。そういう中で、下は二等兵から上は元帥までねやっぱり何事か自分がその時代を担ったことに関して、申し訳ないと言って腹を切って自決していった人たちがいるわけね。550人を超えるのかな。この人たちは。少なくとも法律上は別に死ななくってもいいというか、もちろんGHQによって戦犯訴追されて、死刑にされていく可能性があった人もいるけれども、しかし、まず自ら命を絶って詫びるっていう感覚があったわけです。その一方で、いろいろ口をつぐんで、生き残った人たちも一方にいるわけ、だから、私は日本人全てが素晴らしいなんて言えないと思うけれども、少なくとも後世がどちらの日本人のありようをむべきかっていうことははっきりしてると思うんです。そしてどういう日本人でありたいかっていう、その姿を、やはり占領軍に潰され消されてしまったことが本当に返す返すも残念でならない。これは戦前から生きてた人たちには何となく続いてたわけですよ。今に見ていろ、っていう感覚。ところが、その思いというのがやっぱり次の世代へ引き継がれるよりは、どんどん薄れてきてしまったこと。それはね確かに生活はすごく向上した豊かになった。そして、軍事的な負担も負わずに、米ソの冷戦下でもとにもかくにもその紛争には日本が直接的に巻き込まれていくということはなかった。これをマインドセットされた人たちは平和主義って言葉の中で、これは憲法九条のおかげだというふうに思った。しかし現実を見た人たちは、これは屈辱的な条約ではあるが、日米安保条約というものに基づくアメリカの軍事力が結果的に、バリアになっているんだっていう認識をした。このねじれの中でね、私達が取り戻していくべき姿というのを、そこからしか見えてこないと思うんですよ。私は今のアメリカとの関係は大事だってずっと言ってきたますけど、しかし、日米安保条約って屈辱的な条約ですよ。それはもう重々承知した上で、じゃあどうしていくのか、っていうこと。それに向かって、つまりそれに向かうってことは日本がちゃんとした主権国家として立ち上がるっていうこと。

 今、どう考えたって主権国家じゃないんです。それを見透かされてるから。例えば中国が明明白白な海洋放出の放射性物質を、日本はちゃんとどう処理して科学的にどうなのかってことを承知していながら、紛れもない日本に対する嫌がらせをしてきてるっていうのはお前たちは対抗できる国じゃないって思ってるからですよ。

 だからここをね、やっぱり悔しいと思わねばならないし、そして侮れない存在として、再び立ち上がるっていうことがその全てのね、例えば政治目標、それから私達国民の生きる上での何分の1か、やっぱり目的になってなきゃいけないと思うんです、このことは。

 戦後、本当にこれに関しては、徹底的に欠けているという55年体制というのは、実は自民党のスローガンとしては自主憲法と言いつつ、ずっとそれを巡ってきた時代であるし、そしてその後55年体制が壊れて、政党の離合集散の時代があって、そしてまた自民党に政権が戻ってから、民主党政権があって、さらにまた自民党。しかしこの場合には、公明党との連立っていう形になって、これをずっとこう振り返ったときに、やっぱり今申し上げてきたような、保守の根幹の思い、決意、そして具体的な目的として、それが実を結んできてなかったということを痛感せざるを得ない。だから今日、政党が増えましたけど、やっぱりどの政党も、こういう議論を党内でしてる節がない。そもそもこういう問題意識があるとも思えなくなっている自民党に、「こういう問題意識(主権国家になる)があって自由民主党はできた政党じゃないんですか?」というふうに問わねばならない。実は、他の政党よりも自民党の罪は重いというふうに思うんです。

 サヤ)今日のお話で、目指すべき部分っていうのはしっかり見えたし、やっぱりいろんな形をとってもその初志を忘れてしまったら何の意味もないわけで、やっぱり自民党自体も55年体制をとることで自分を欺きながら、歩んできてしまったっていうのやっぱり、戦後78年経ってもずっと同じことで日本は逡巡して悩んできているわけですから、もっと早く解消すべきでしたよね。もっと早くみんなが決断して、11人が決断できていればっていうことは、本当に

先生の話を聞いてて身につまされました。

 上島)時代状況がね、やっぱり冷戦は確かに深刻ではあったけれども、しかし、日本の領土に直接何か危害が加えられるっていうことはなかったし、そういう意味ではアメリカは圧倒的な力を持っていた訳です。日本が考え直す契機が二回あったと思います。一回目は、ソビエトが崩壊して、冷戦が終結したと思えた瞬間です。それまでずっと西側でアメリカを支えることで、共産主義陣営と対峙してきたけれども、その対峙の終結によって、日本は一体どういう国でいきたいのか、アメリカ追随で良いのか、立ち止まって考える機会があったと思います。

もう1回が、9.11テロの時ですね。あのテロには、本当に文明史的な意味合いでの一つの問いかけがやっぱりあった。あの手法は認めませんけどね。私は無辜むこの人間を、手の汚れていないアメリカ人はいないんだなんて言って、ああいうふうにね、根こそぎ死に至らしめるような攻撃、

軍事施設でも何でもなかった訳だからトレードセンターは。ああいうことを私は支持しないけれども、そこに込められたイスラム世界からの一つのメッセージって言ったことは、これは文明史的にやっぱり考えなきゃいけないところははっきりあって、そこで、やっぱり日本は、我が国はどういう国でいくべきなのか、っていう考える機会の一つだったと思います。

 そして今日、まさに中国が、覇権国家たらんとする野望も隠さず、軍事力も含めて展開してきている。本当に今日本列島を周回するように艦艇を送り込んできているし、のんきに構えていてはいけない。いたずらに危機を煽る訳じゃないけれども、現に今そこにある危機っていうのは、これを見ないのは愚かなのであって、また日本が国家としてどうあるべきかっていうことをね、今本当にそれを考える機会になっているというふうに思います。

 各政党にもその視点での党内議論もなぜないのか、というそこを問いたいし、国民も、そこをしっかり見てほしい。身近な、例えば自分の選挙区の政治家に会ったりする機会があれば、日本のあり方を尋ねてほしいんですよね。「この選挙区のこのことだけやりたいから、っていうような答えではやっぱり駄目なんだ」よって。

 NOTTAで読み取り、校正は安江高亮)

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