2023年11月29日水曜日

ハーバード大学で授業が展開される「武士道」

 

ダイレクト出版の、葛城奈海さんのメルマガ11/29から

この文章は、麗澤大学学長歴任(2007-2019)モラロジー道徳教育財団特任教授英文学者中山 理(おさむ)先生と、葛城 奈海(かつらぎ なみ、本名:高橋南海、197026日~:日本の政治活動家。やおよろずの森代表)の対談講座「武士道と日本精~GHQが消した5人のサムライ~」の宣伝ですが、武士道の概略が解ります。

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 翻訳すことのできない日本の精神。渋沢、出光、李登輝が――称賛。GHQが消した強さの根源。日本があの戦争に敗れる前、数多くの偉人たちが自然と受け継いできた精神であった。政界では、初代内閣総理大臣の伊藤博文や早稲田大学創設者の大隈重信に影響を与えたと言われ、

 経済界では渋沢栄一が「商人道は武士道なしには考えられない」と話し、出光佐三が士魂商才のベースにしたといわれる。また、軍人では、日露戦争の英雄乃木希典やソ連の侵略から北海道を守った樋口季一郎、現代では、台湾民主化の父李登輝がこの精神に関わる書籍を出しており、大切なことは武士道に全て詰まっている、との遺言を残している。政界、財界、軍人など、様々な分野の偉人が学んできた精神、それは、「武士道」。「武士道」というと、相手に敬意を払うことや、正々堂々戦うことあるいは、刀を持った侍の姿を思い浮かべるかもしれません。しかし、武士道を深掘りしてみると、現代まで受け継がれてきたことが、奇跡とも解釈できる興味深い事実が浮かび上がってきました。

 

「武士道」にまつわる意外な事実。「武士道」は、このような偉人に大きな影響を与えた一方で、その起源や作者は実は明らかではありません。武士道というと、新渡戸稲造の「Bushido」という本が有名ですが、それはあくまで世界に向けて、日本人の考え方を伝えたもので、それが武士道の起源ではありません。また、時代を超えて多くの人に学ばれる思想といえば、日本書紀や古事記、聖書やコーラン、ユダヤ教のタルムードのように書物が挙げられますが、「武士道」の場合には書物ではなく、口伝によって広まっています。期限と作者が不明で、広まり方も口伝であるなど、長年残り続ける思想としては、不自然な点が多いにもかかわらず、偉人たちを魅了した。「武士道」、一体「武士道」にはどのような価値があったのでしょうか?そのヒントは、武士たちの行動を紐解くことで浮かび上がってきました。それが、刀です。

 

刀というと、武士の道具とイメージされる方も多いかもしれませんが、刀には神話と深い関わりがあったのです。その証拠が、日本書紀にありました。日本書紀には、皇位と共に歴代の天皇に伝わる宝物として三種の神器が登場します。その内容は、鏡と剣、勾玉(まがたま)となっています。私達が単なる武士の道具としてみなす刀あるいは(つるぎ)ですね。実は、日本の神話に登場し、今でも皇室の間で大切にされる「神器(じんぎ)」だったのです。その神話は今の時代にも引き継がれ、日本書紀に登場する草薙(くさなぎ)の剣は名古屋市にある熱田神宮に奉納されています。神様に捧げられた数多くの刀剣類を保管する施設として、「草薙館」が設けられ、神話に出てくる刀を今でも大切にしているのです。また、20年ごとに行われる伊勢神宮の式年(しきねん)遷宮(せんぐう)の神事にも刀は登場します式年遷宮では、4種類の刀が正宮(しょうぐう)と別宮に奉納され、刀の奉納は大切な儀式として現代まで受け継がれています。刀が単なる武器という意味を超越していると言える事例は熱田神宮や伊勢神宮を初めとする大きな神社に限りません。例えば、岐阜県関市の春日神社では、「古式日本刀鍛錬打ち初め式」を正月行事として12日に行います。

 

こうした例からの大きな神社から地方の神社まで、様々な神社で刀に関する儀式が行われていることがわかります。このように、武士のものとしてのイメージが強い刀ですが、実は、三種の神器として神話に登場し、単なる道具を超えたものとして大切にされ、現代の神社にまでその伝統が引き継がれているのです。精神的な意味が込められていたのは刀だけではありません。それは、武士道の精神を今も受け継ぐ武道の道場。時代劇やドラマ、映画などでも、武士たちが稽古をしている様子が描かれることはありますが、実はここに現代ではあまり知られていない日本の宗教的な意味が込められていたのです。その象徴が、道場にある掛け軸。実際に明治神宮の道場に通い、合気道の稽古をしている葛城奈美さんは言います。「私の通っていた武道場には掛け軸があります。その掛け軸には、鹿島大明神、香取大明神、(「古事記」に登場する)武甕槌(タケミカヅチの神」と経津主神(ふつぬしのかみ)などがかかっていました。)ドラマや映画などで稽古のシーンが出てきてもあまり注目されることはありませんが、道場の掛け軸には、日本神話に登場する神様の名前が書かれていたのです。このように、稽古の場においても、単に強くなる。技を磨くという意味を超え、精神的な意味も込められていたのです。刀や道場の掛け軸の事例からもわかるように、「武士道」には、単なる戦いや稽古という意味を超越した精神的な価値があったのです。50年以上文学の研究をし、イギリス人が書いた「武士道」に関する本を翻訳した経験を持つ中山理(さとし)先生は次のように述べます。

「海外では、武士道と近いものにマーシャルアーツという語句があります。ただ、これは日本の「武士道」とは全く違うものなのです。”Martial Arts”というのは和訳すると、武芸という意味になります。ここには、武士道における道すなわち、精神的なものがないのです。この違いからもわかるように、ただ戦うだけではなく、一つ一つの行動に精神的な意味を込めるこれこそが日本の武士道精神なのです。」

 

このように、訳することができない精神性な「武士道」にはあるのです。つまり、「武士道」とは、単なる武士の掟ではなく、そこには神様の存在を初め、日本の宗教的な意味も秘められているのです。そして、こうした精神が11人の軍人に染みついていたからこそ、大東亜戦争でも日本人は強かったのかもしれません。しかし、翻って、今の日本はどうでしょうか?「武士道」といえば、「武士道」という言葉が独り歩きし、その本質を知る人は少なくなってしまいました。それもそのはず。あんな強い日本とは金輪際戦いたくない、そう思ったGHQが日本の強さの根源を根絶やしにし始めたからです。

 

もちろん彼らは「武士道」にも目をつけました。その結果、「武士道」は名前や形だけが残るものとなり、今回お伝えしたような精神性まで伝わることは少なくなってしまいました。実際、GHQの改革の一環として、「武道」は禁止された時期があるほどです。

現在、中学校の学習指導要領では、県道もしくは柔道が必修となるまでに戻りましたが、精神まで突き詰めて武道を行う習慣はなかなか引き継がれていません。そのため、戦争経験者が減っていくのと同時に、「武士道精神」を育んだ日本人の数も減ってしまいました。しかし、「武士道」が、日本人の強さの根源。そして海外では訳すことのできない日本人の精神的なアイデンティティの一つであるのもまた事実です。そのため、日本独自の精神性が詰まっている「武士道」を少しでも多くの人に知ってほしい、そして子供や孫に日本の強さである武士道精神を受け継いでいってほしい。そんな思いから今回、文学者の中山理先生とジャーナリストの葛城奈美さんのお二人に、日本の強さの根源である「武士道」について対談していただくことにしました。

 

それが、「武士道と日本精~GHQが消した5人のサムライ~」です。この講座を担当する中山理先生は、英文学や比較文化を研究し、翻訳活動では、大東亜戦争時に日本海軍によって救命されたイギリス軍人の手記「ありがとう武士道」を手がけるなど、海外の視点からも、日本の視点からの武士道を研究してきた英文学者です。葛城奈美さんは、明治神宮の道場に通い、武道を通じて武士道精神に触れるだけでなく、パラオのペリリュー島など、大東亜戦争の痕跡が残る地に上陸し、現地で取材を行い、日本人の強さを肌で感じてきたジャーナリストです。そんな2人の対談では、世界のどこの国にもない日本人が持つ強さの根源である「武士道」を文学や偉人の生きざま、武道の経験など、様々な観点から明らかにします。

 

この対談を通じて、日本人の伝統的な精神性やアイデンティティである「武士道精神」について知ることで、GHQが恐れるほどの日本の強さがわかることでしょう。

 

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