2014年1月25日土曜日

蓼科だより・328号〜田舎暮らし情報

★ーーーーーーーーーーーーーーーー2014年1月25日(土)★
★テーマ:初仕事,農政の実態,「究極の田んぼ」,
     飢餓の歴史
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 今日から外仕事を始めました。暖かかったので玄関脇のイチイ(栂)の木を大小合わせて7本ばかり剪定しました。
 防寒着を着て始めましたが汗をかきそうになったので脱ぎました。冬,汗をかくのは禁物です。
今日は日陰でも氷が融け,明日は雨の予報とか。しかし,この時期の雨は良くありません。雪に雨が染み込みそれが冷えると氷になり,いろんな被害が発生するからです。
 イチイの剪定は案外楽で,仕上がりがきれいなので,楽しい初仕事でした。

 ひとつ間違いと訂正があります。前号で,ジョン・ミューアさんの本は加藤則芳「訳」と書きましたが,「著」でした。失礼致しました。

 更に,前回書きました「性奴隷像サイバー戦争!」の記事に貼付する誓願署名のURLを間違えていました。下記から入ってください。日本語の案内がついています。この署名活動を続けましょう!
http://staff.texas-daddy.com/?eid=454

ーーーーー嘆かわしい農政の実態

 年末から断続的に,田んぼをお返したり新たにお借りることに関連して,農地法に関わる手続きをしたり,市民農園の研究をしていますが,相変わらずの農政の無作為にはあきれるばかりです。
 農地を守るとは建て前だけで,私が小さなトイレや道具小屋を置くにも申請だ許可だと細かく統制しますが,一方で,国税を使って圃場整備した広い優良農地を,福祉施設やセブンイレブンのために簡単に潰しています。どうやっても土地がないなら仕方ありませんが,荒廃農地は山ほどあります。

 以前に書いたことがありますが,首都圏から移住してきた方が,野菜を作りたいとして小さな畑を買いましたが,農地法の縛りのため登記することができず,仮登記のままです。
 その方はそこで野菜を作っていますが,本当は違法です。非農家が農地を借りることは違法なのです。一度に5反歩(0.5ヘクタール)以上なら法律上可能ですが,そんな広い面積は家庭菜園には大き過ぎます。

 しかし,役所はその違法は見ぬ振りをしています。農地法の違反事例はたくさんありますが,行政は都合の悪いところは見ぬ振りをして,どうでも良いことだけやっているように見えます。議会も,このようなことに何の問題意識もないようです。

 農政の基本は「農地」と「農業」を守る,特に優良農地を守ことが本命の筈です。ところが,今の農政が守っているのはそれで飯を食っていない「農家」と農地の「所有権」だけです。

 自分の家の余った一室を下宿にしたり,空いてる工場や倉庫の一部を他人に貸したりする時,何の許可も要りません。しかし,農地を貸す時には分筆(土地を法的に分ける)しなければなりませんし,非農家には貸すことはできません。工業,商業,サービス業にはこのような規制はありません。

 近年,住宅地にしても事業用地にしても,活用できれば良いとし,所有権を誰が持っているかは二の次です。大事なことは,宅地なら幸せに暮らせることと,事業用地なら有益な事業ができることです。所有権など誰が持っていても良いのだと思います。

 何故,農地をそのように考えることができないのでしょうか。その農地が農地として使われている限り,所有権がどこにあろうと良い筈です。個人でも法人でもです。

 取り締まるべきは,農地から他の用途への転用,専門用語でいう農地転用だけです。この一点を厳格に取り締まれば,あとは自由で良いのではないでしょうか。万一違反があったら,酔っぱらい運転のように,厳正に処分すべきと思います。
 更に,農地所有者が耕作せずに放置した場合の処分もされるべきです。私の記憶では,フランスでは3年放置すると自治体が没収するとか,です。

 現状は,非農家に対しては非現実的な縛りが続いていますが,大規模な転用は特に問題視されることもなく許可されています。

 もちろん,自由とは言っても,農業の発展のため(農家の発展ではなく)に必要な規制はあっても当然です。税金を使って整備した優良農地などは細分化を認めるべきではないと思います。しかし,農家の相続は限りない小規模化を認めています。しり抜けということです。
 更に,上記の移住者の場合などは,もしその方がやらなければ放置される運命にある畑ですから歓迎すべきです。ともかく,他の産業同様,所有権は原則自由で良いと思います。

 又,現在の農地・農業政策が農地の所有権を縛っているために作られている関連法がたくさんあります。その運用のためにも官僚・役人が必要であり税金が使われています。
 例えば市民農園法です。この法律は非農家に家庭菜園をさせるための法律ですが,非農家の人も自由に農地を所有したり借りたりすることができるようになればこの法律もその業務に携わる職員も要りません。

 ともかく,硬直した農政は,守るべき優良農地を守らず,生かされる筈の荒廃農地を救うこともしていません。これでは日本の農業・農村が良くなる筈がありません。

 このような矛盾が多く顕在化している原因は,農業政策と農家政策を一緒にしているためと思われます。農家政策は地方の環境保全と自給を目的とし,農業政策では世界標準の競争可能な本物の農業を振興するということではないでしょうか。
 目的が全く違うので,同じ法律で達成することはできないと思います。

 ずいぶん高飛車なことを書きましたが,私も農家の端くれですのでご理解ください。間違いもあるかも知れません。ご意見を頂ければ幸いです。

ーーーーー「究極の田んぼ」(岩澤信夫著)

 不耕起移植栽培の開発者岩澤信夫先生の最後の著書を読みました。先生の稲作りにかけた生涯の集大成であり,最初から最後まで,日本はもちろん,世界の食と健康への危機を訴え続けています。深く強い人間愛を感じました。
この農法を園原塾長を通じて伝授して頂いた我々には大きな責任があると思いました。

 この本の中に,アメリカの不耕起栽培は50%になっているとあったので,インターネットでデータを探しましたらありました。アメリカで不耕起栽培が多いのに驚きました。
 下記URLの表にある通り,アメリカの不耕起栽培は,大豆で50%,小麦で30%,大麦37%,米16%となっています。これは2009年のデータであり,増え続けているようです。

No.168 アメリカで不耕起栽培が拡大中
(パソコンの画面を広げると表が大きく見易くなります)
http://lib.ruralnet.or.jp/nisio/?p=1450

 不耕起栽培が可能になったのは,アメリカのライト博士によるグロマリンという土中タンパク質の発見(1996年)により,ドイツの農学の祖テーアによる「植物栄養の腐蝕説」(1812年)が覆ったからだそうです。
 グロマリンは,不耕起の畑で増え,土壌の団粒化が進み,肥沃化し,肥料の施肥量も少なくなり,作物がよく育つと書かれています。数件グロマリンの情報を検索して読んで見ましたがこの記述に間違いなさそうです。

グロマリンの発見
http://agritalk.blog.ocn.ne.jp/orizatorii/2007/01/post_2198.html

 しかし,日本ではこの事実は報道されず無視されています。何故なのかは,皆さんのご想像の通りだと思います。

ーーーーー凄まじい飢餓の歴史!

 上記「究極の田んぼ」とも関連しますが,致知出版社の「人間力メルマガ」に,インドで「緑の父」と尊敬される杉山龍丸という日本人がいたという記事があり,飢餓のインドを救済するために私財を投げ打って植林事業をしたということです。
 その植林の最中に3年にわたる大飢饉がインドを襲い,500万人が死亡したとありました。その膨大な数に驚き,世界の飢餓について検索してみました。

 何と,恐ろしい年表(下記URL)が出てきました。戦争の原因は飢餓だろうと思い続けていましたが,それを充分裏付けるものでした。紀元前から,百万単位の死亡数字がズラ~と並んでいます。中には千万単位の数字もあります。
 現代における最大は毛沢東の昭和35年の大躍進政策による3600万人の飢餓です。(中国のジャーナリストの見積)
 最近の話しでは,1998~2004年の第二次コンゴ内戦では,380万人が死亡。ほとんどが飢餓と病気だとあります。今,シリア内戦で300万人の難民が出ているそうですが,食糧は確保されているのでしょうか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/飢饉の一覧

 毛沢東の大躍進政策は昭和35年,いわゆる戦後の話しです。日本は敗戦直後ほんの僅かな餓死者はありましたがアメリカの緊急食糧援助で何とか食いつなぎました。
 もし,日本を占領したのがアメリカ(正確にはアメリカを中心とした連合国軍)ではなくて,毛沢東かスターリンだったら,たぶん夥しい餓死者を出したのではないでしょうか。自国民さえ食わせられなかったのですから。そして,現在の繁栄など到底考えられません。


 今の我々には,飢餓のことは想像もつきませんが,日本(下記URL)も例外ではないと思います。昔はもちろん,近代,現代でも頻繁に起きていて,娘の身売りなど当たり前で,昭和33年まで公共売春宿が日本中にありました。
 当時の欧米列強が東アジアを植民地にしたのも,日本が満州に行ったのも根本は食糧の確保だったのではないでしょうか。
 
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:日本の飢饉

 今私達は,毎日腹一杯食べて平和であることが当然と思っていますが,世界中で飢餓と戦争が現実のものであことを忘れてはいけないと思います。BSでワールドニュースを見ているとそれが良く判ります。
 何の対策をしなくても飽食と平和が永遠に続くものと考えれば,飢餓の備えも軍備も要らないということになりますが,飢餓と戦争は何時でも起こりうると思えば考えは変わる筈です。

 不耕起移植栽培の技術を確立し普及に努めた岩澤信夫先生は,食の今後について次のように語っています。
「今日本人は飽食を謳歌していますが,これは砂上の楼閣で一夜の夢物語にすぎません。飢餓になった時は,資源小国の日本は,国民皆農の時代にならざるを得ないと思っています」

 こんな深刻な警告を信じたくはありませんが,しかし,歴史を見れば否定できません。日本でも昭和になってからも数回大冷害が起きていますし,記憶に新しいところでは平成5年の大冷害があり,備蓄米が底を突き,慌てて外米を緊急輸入しました。
 その時は外米が買えたから良かったでのですが,近年の世界的な異常気象を考えれば,東南アジア全域が大凶作に陥ることも有りうると思えるのです。その時は買えないでしょう。
 
 軍備は戦争するためにあると考えている人が多いように感じていますが,全くの間違いだと思います。平和を守るためにあるのだと思います。相手(敵)にスキを見せることは誘惑しているようなもので,戦争を挑発しているのと同じだと思います。
 包丁を持つてるということと,それで人を殺すということは全く別次元の問題です。同じように,軍備を持つということと,戦争をするかしないかは全く別の問題ではないでしょうか。

フッターーーーーーーー

無農薬玄(白)米の販売
http://daylanbo.blogspot.jp/2013/11/blog-post.html

籾殻燻炭の販売
http://daylanbo.blogspot.jp/2012/02/blog-post.html

農楽のすすめ!
http://tateshinadayori2.blogspot.jp/2011/08/blog-post_26.html

”田舎暮らし”動画がYoutubeに300本以上
http://jp.youtube.com/user/takasukey

メルマガ「蓼科便り」のアーカイブス
http://tateshinadayori2.blogspot.com/
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2014年1月18日土曜日

蓼科だより・327号〜田舎暮らし情報

★ーーーーーーーーーーーーーーーー2014年1月18日(土)★
★テーマ:墓の松枯れ,玄米食,不耕起の講演会,永遠のゼロ,

     中国人に謝ります,ジョン・ミューア,性奴隷
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 夕方から朝9時頃までは,マイナス5℃からマイナス10℃の気温が続いていますが,昨年に比べると少し暖かいです。まだマイナス10℃以下になっていないからです。

 このところ,本を読んだり,稲や野菜づくりの計画をしたり,気になっていた墓の松枯れの伐採処理を段取りしたりしています。
 墓の樹は大木なのと,下に墓があり倒してしまう訳にはいかないので,専門家による特殊伐採となり,大変なお金がかかります。1本20〜30万円かかりますが,町役場から補助金が半分ほど出るので助かります。
 
 今日も私の仕事になっている長岡式酵素玄米を炊きました。だいたい3日おき。1回に1升炊きますが,妻と二人分の3食と,プラス息子の昼食で,そんなペースになります。馴れてきて,炊きあがりの品質が安定しました。だいたい2日目から食べ始めて4日目で終る感じです。

 2升分入る保温ジャーなので,前のが3日目になった時,次のを炊きます。とても美味しくて,私は食べ始めて以来,欠かしたことがありません。体調も良いです。20年来の軽い慢性鼻炎があったのですが,スッキリと直ってきました。通じもとても爽やかです。玄米食が原因かどうか断定はできませんが,他に考えられません。

 本では,ご紹介頂いた「おどろきの中国」(講談社現代新書)が,とても勉強になり中国の理解と東アジアの国防のせめぎ合いの構図が理解できるようになりました。現実的且つ新たな見方ができるようになった気がします。お薦めです。

ーーーーー不耕起移植栽培の講演会開催
 
日時:2月16日(日曜日)午後1時半より4時半まで
場所:千曲市戸倉創造館(白鳥園となり)において
テーマ:『究極の田んぼ』生きもの豊かな稲つくり
講師:日本不耕起栽培普及会会長 園原久仁彦
受講料:1000円(前売800円)
当日直接会場に行って頂いても結構です。
前売り等のご用事のある方は,下記ケイタイまでお問い合わせください。
(宮下)090−3093−9692

 テーマの「究極の田んぼ」は,不耕起移植栽培技術を確立した岩澤信夫先生が最後に書かれた本の名前です。日本経済新聞出版社です。とても判りやすく素人向けに,自然の摂理を生かした理想的でしかも決して難しくない農法を解説しています。

 岩澤農法の特徴は,決してマニアックなものではなく,飯を食うための農業であり,且つ無肥料,無農薬という信じられない技術を見つけ出したことです。

 無肥料と聞くと,信じられないと思いますが,正確にいうと,化学肥料に変わって稲に栄養分を供給してくれる自然界の仕組みを見つけたということです。
 農業でない方もこの本をお読みになることをお薦めします。自然界の摂理や認証有機野菜の危うさや生物界の仕組みが判ります。何よりも健康管理に役立つと思います。

ーーーーー「永遠のゼロ」を見て
 
 メル友Sさまから微笑ましいコメントを頂きました。

< 新年3日に家族(妻、高3と中1の息子)で「永遠の0」を観て来ました。涙の量は年齢と比例するようで、小生は号泣、下の息子は涙0でした。(苦笑)
 ただ、小学生の頃、父に連れられ「アラビアのロレンス」を観に行き、まったく感動しなかった時に、「もう少し大きくなったらもう一度観ると良い」と父に言われその後、確か大学に入ってからか観て感動したことを思い出し、息子にそのエピソードを伝えました。
 「永遠の0」も日本では永く観続けられる映画になって欲しいと思います。>

(私)特攻の悲劇「永遠のゼロ」も,会津の「八重の桜」も,最後までこの二つの物語の発端となり追い求めたものの答えがありませんでした。それは:

「何故,宮部(主人公)は特攻を志願したのか?」
「会津は,何故滅ぼされなければならなかったのか?」

 だったと思います。私なりにいろいろ考えてみましたが,結局まとまりませんでした。自分で考えなさいということなんでしょうか。これらのテーマは,時代の流れをどう読むかということですよね。どなたか,良い読み方がございましたらご教授ください。

ーーーーー「僕は死んで当然の日本人です。僕は中国人に謝ります」

 日本人小学校1年生に,中国の小学校3年生がこう教えたのです。
 
 親友からのメールで知りましたが,中国の反日教育がこれほどとは驚きました。中国指導者は自分が長年かけてつくりあげた反日教育のできの良さに恐れ戦いているのではないでしょうか。どうやって収拾するつもりなんでしょう!教育は恐ろしいですね!
 YAHOOニュースです。中国人による中国における投稿記事だそうです。

ーーーーー自然保護の父・ジョン・ミューア

 去る木曜日たまたまBSプレミアムで「ジョン・ミューア・トレイル」の放映を見ました。本当に美しく,すばらしいかったです!

 ジャイアントセコイア(樹高80m,樹齢最高3200年)で有名なヨセミテ公園からマウント・ホイットニーまで340kmのシエラネバダ山脈内のトレイルです。加藤さんという日本人が32日間で歩いた記録でした。

 ジョン・ミューアさんはスゴイ人なんですね。Wikipediaには,ナチュラリストの草分け,シエラネバダの大自然を守った「自然保護の父」と呼ばれているとあります。「ジョン・ミューア・トレイル」はその功績を称えて造られたそうです。

 録画の中で,たびたび語られていましたが,自然を守るルールの厳しさと指導体制がすばらしいです。
 主役の加藤さんが次のように語っていました。
「自然公園に入るには,面倒くさい細かいルールがあります。しかし,それが当たり前になっているアメリカがすばらしい。」
 地域でも組織でも,良好な状態で保っていくためにはルールが必要だという証明です。以心伝心とか腹芸とかを否定するものではありませんが,現在の多様な価値観に対応するためには精神論だけではダメで契約が必要だと思います。

 前号で書いたコミュニティのルールも自分達で作れるようにならなければいけないと思います。今ふと思ったのですが,成熟した民主主義とは,自分達で自分のためのルールが作れる状態をいうのではないでしょうか。

 番組の最後で,ジョン・ミューアが次の言葉を残したと語っていましたが,どんなことでも極めていくと同じところに行くんだなと思いました。
 「全ての人にとってパンと同じように,美も必要なんだ。」

 ジョン・ミューアさんの本を読もうと思ってアマゾンで探し,「森の聖者 自然保護の父ジョン・ミューア」を注文しましたが,訳者はテレビの主人公の加藤さんでした。
 加藤さんは,立科町にも来て下さったようです。仲間と歩いたことのある「霧が峰・美ヶ原中央分水嶺トレイル」の一部分が立科町にもかかっているからです。
 
 加藤則芳さんは難病の筋萎縮症との闘病の末、
2013年4月17日に64才でお亡くなりになりました。すばらしい功績と記録に感謝してご冥福をお祈りいたします。 

http://ja.wikipedia.org/wiki/ジョン・ミューア・トレイル
http://ja.wikipedia.org/wiki/ジョン・ミューア
http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/summary/2012-05/02.html

ーーーーー性奴隷像サイバー戦争!

 年末に,アメリカゲレンデール市の表題の内容について号外を発信致しました。どの位になったかと思いホームページを見たら,その像を守ろうという反対誓願署名が始まっていて驚きました。現在その数は100,149(2014.0104スタート)で,撤去署名数125,591(2013.12.11スタート)に迫ろうとしています。

 これを書いている数分のあいだに100ばかり署名が増えました。一方撤去の誓願の方は2つ増えただけです。この勢いでは数日も経たずに逆転します。
 私は当初目標の10万件を越せば良いものと考えていましたが,とんでもないです。これをだまって見ている訳にはいきません。21世紀は,情報戦こそ,現実の戦争ではないでしょうか。情報戦は血を流しません。論証で,血を流さずに解決することが大事だと思います。
 日本の真価と力が,情報発進という平和の力によって試されているのではないでしょうか。武力による国際紛争解決を放棄した日本が情報戦で闘うことは国是に叶うと思います。
 この署名戦争は世界中が見ていると思います。
 冷静に,知的に,戦略的に署名活動を続けましょう。
 論拠を固めて国際世論に訴える良いチャンスだと思います。

 こんな重大問題に対して政府は無言です。又しても韓国への配慮でしょうか。太平洋戦争にしても,あんな惨めな敗北の根底には情報戦の敗北があったと歴史家は書いています。同じ轍を踏んではいけないと思います。

 署名は下記URLからできます。日本語の説明がついています。リンクしましょう!
https://petitions.whitehouse.gov/petition/remove-offensive-state-glendale-ca-public-park/3zLr8dZh

 この呼びかけ文は下記の通りです。

「カリフォルニア州グレンデール市にある像を撤去してください。平和の像と称していますが,実態は慰安婦の像であり,刻まれた銘を読めば,日本の国民と国家への憎悪を煽っています」

 これに対する反撤去側の呼びかけ文書を私なりに下に訳してみました。

「昨日,平和の像を撤去させる請願書名が10万件を越えたと聞きました。しかし,平和の像は第二次世界大戦中の日本の皇帝軍による性奴隷の犠牲を象徴するものです。そして,私達は歴史を正しく知らなければなりません。
 そのためには,私達はこの平和の像を守らなければなりません。どうか,平和の像を守ってください。」

 今朝(18日)の産経に,日本の地方議員団が去る16日,像設置への抗議文をゲレンデール市の担当者に提出したとありました。代表世話人は東京都杉並区の松浦芳子区会議員でした。すばらしいことだと思います。
 しかし,心もとないのは全国の地方議員から集めた署名だということですが,たったの321名です。議員ということですから一般国民とは違う力があるとは思いますが少ないですね。韓国に鼻で笑われるような気がします。

ーーーーーYoutubeを再開しました!

 数ヶ月休んでしまいましたが,再開しました.ご覧ください。
 短くしてこまめにアップロードするつもりです。
フッターーーーーーーー

無農薬玄(白)米の販売
http://daylanbo.blogspot.jp/2013/11/blog-post.html

籾殻燻炭の販売
http://daylanbo.blogspot.jp/2012/02/blog-post.html

農楽のすすめ!
http://tateshinadayori2.blogspot.jp/2011/08/blog-post_26.html

”田舎暮らし”動画がYoutubeに300本以上
http://jp.youtube.com/user/takasukey

メルマガ「蓼科便り」のアーカイブス
http://tateshinadayori2.blogspot.com/
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2014年1月12日日曜日

蓼科だより・326号〜田舎暮らし情報

★ーーーーーーーーーーーーーーーー2014年1月11日(土)★
★テーマ:雪,パソコントラブル,自然栽培,Pizzer窯づくり,

     田舎暮らしコミュニティ,中国問題
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 9日の夜から10日朝にかけて,立科町の里では始めて雪らしい雪が降り約10センチ積もり,雪かきを楽しみました。
 年末から雪がない日が続くと,いつも平成10年の長野冬期オリンピックのことを思い出します。今頃大騒ぎして自衛隊を出動させ,雪の多い地方から雪をトラック輸送していました。それ以来,こんな天候が多いような気がします。
ーー
 今回の「蓼科便り」を書き始めたのは丸一日遅れ12日(日)午前10時でした。
 丸1日遅れた原因は,6年間使ったアップルのiMac20のハードディスクが不調になったからです。問題が発生する度に教えて頂いていたコンピューターのプロTさんから,「この次トラブったらハードディスクを交換しなければダメだよ」と言われていました。
 大事です。処理を間違うと過去のデータを全て失います。もちろん,パソコンの中など見たこともない訳ですから「自分でできないこともないよ」と言われてもイザとなると尻込みします。壊してしまっったら元も子もありません。

 マッキントッシュ(アップルのパソコン名)は取扱店が少なくパーツも一般の電気屋には置いてありません。長野県ではただ一つ長野南バイパスにあるPCDEPOが扱っていました。往復3時間でした。
 交換作業も打診しましたが,1週間位待たされ9千円ほどかかるというので,自分でやる決断をしました。妻のパソコンでハードディスク交換作業のホームページを見ながら約2時間で終了しました。作業は慎重を要し,最初に吸盤で表のガラスパネルを外す時はドッキドキでしたが,終ったときは「やったぞ』と胸を叩きました。

 ご興味のある方は下記URLを覗いて見てください。
 パソコンの中までよく判りますよ!

 やってみればできるものですね。しかしこんなことが可能なのは,このような高度な情報が誰でも見られるからです。もし,このような情報がなかったら,パソコンをメーカーに送らねばならず,高額な料金を請求され,都合2〜3週間は待たされることでしょう。

 問題はデータの復旧です。初めてのことだったので試行錯誤しながら6時間ほどかかってしまいましたが,OS(基本システム)や全てのアプリケーションとデータを完全復旧することができました。
 マッキントッシュはタイムマシーンというバックアップシステムを持っていて,常時作動しているので,いつ壊れても完全復旧できるすばらしいマシーンです。約160GBの記憶情報を,キーを1回叩くだけで,2時間ほどで完全復旧します。

 それにしても,こんなスゴイことができたのは,Tさんというプロを知っていたからです。8年ほど前にインターネットで探し当てた方ですが,本当に感謝しております。もしこの方と巡り会っていなかったら,マッキントッシュを使っていなかったでしょうし,Youtubeの投稿もしていなかったと思います。

ーーーーー自然栽培とは?

 「ナチュラルライフ実践メルマガ」12/30に判り易い情報がありました。
 12月12日に,自然栽培を普及しているナチュラル・ハーモニーの河名秀郎社長が,参議院議員会館で行った講演会の記録Youtubeが添付されていました。
 この自然栽培には多いに惹かれます。というのは不耕起移植栽培に通じるものがあるからです。仲間とやっている不耕起移植栽培も最終的に目指しているのは無肥料だからです。
 ごく一部を転載しますが,下のYoutubeをご覧ください。

< ・・・河名は、講演会やセミナーで自然栽培についてお話しする際、「無肥料で野菜が育つ理由はまだ解明されていない」,「実際にできているのは事実だが、なぜできるかは科学的に証明されていない」とお伝えしています。

・・・講演を終えた河名の元に駆け寄ってくるひとりの男性がいました。その男性とは、世界的に有名な物理学者の佐野千遥氏だったのです!ご存知の方も多かとは思いますが、佐野千遥氏がなぜ有名かというと、この250年~300年間、世界中の誰も解くことができなかった数学の超難問を4問も解いたという大天才だからです。

その佐野先生が河名に向かって開口一番、「大丈夫!君らの主張は証明できる!」と断言してくれました。
続けて、講演中に取っていたご自身のメモを片手に、10分間にわたりその理論を説明してくださったのですが、難解すぎて私たちには理解できず…(汗) >


河名秀郎 特別講演会】
http://youtu.be/uE_IuOZnNbo

(私)「無肥料で植物は育ち,良いものができる」という実践に対する疑問がこの数年,ず〜と頭にあります。このYoutubeを見た後,ふと思ったことがあります。
 地球は最初火の玉だった。冷えても岩,無生物の世界。ところが,今の地球は水が溢れ,森林と緑がいっぱい。誰が地球に肥料をくれたのか?

 つまり,無機から有機が生じている訳です。最近,元素転換というオカルトっぽい概念を教わりましたが,上記のことを考えると,もしかしたら有り得るかも,なんて思うようになりました。
 「そんなことあり得ない」。これが常識の答えですが,下記Wikipediaに真面目な記載があります。


ーーーーーPizzer(ピッツア)窯づくり
  
 旧武石村役場前の柳沢そろばん教室の庭で,宮下和美さんの指導でPizzer(ピッツア)窯づくりを11日から始まりました。私も参加させてもらいましたが,誰でもできそうです。
 商売人に頼めば数十万円かかりそうな窯が,自分で造れば購入する資材費を合わせても10万円以下でできそうです。自分の庭先か畑の隅に造って友人と楽しむには良いと思います。
 参加ご希望の方は下記ケイタイへ電話して要領をお聞きください。

 (宮下)090−3093−9692

ーーーーー”田舎暮らし”へのご意見を下さい!

 自分が理事を務めているNPO法人信州まちづくり研究会への提案としての「田舎暮らしコミュニティ・中山道 芦田宿」の企画を作っています。
 基本の考え方は,北欧で生まれ欧米で拡がりをみせている「エコヴィレッジ」の構成要素である「コウハウジング」に倣っています。参考資料は下記URLをご覧ください。


 コウハウジングでは,環境保全,コミュニティ形成,そしてプライバシーと共同のバランス等が重視されますが,一番の特徴は提示された基本理念の下に予め集まった入居希望者が自分達でコミュニティのルールを作ることです。
 これらの考え方に基づいて作り上げた素案を年末に,8年ばかりアメリカでの生活体験を持つ息子に意見を求めたところ,次のような回答が返ってきました。

<いまどきの商品は、コンセプトがはっきりしていないと売れないのでそういう意味ではそれが明確なのでいいと思います。私が一番心配なのは、売りやすさです。コウハウジング方式で進めるので意思決定をさせるまでに
時間がかかりすぎます。

 今の日本では、残念ながらアメリカのような共同生活に対する理解はいまだにありません。何人かお世話をしましたが、田舎にくる理由の1つは、それまでの人間関係から開放されたいというところなので、移住してからまた人間関係を持ちたくないというのが本音です。

 また、夫婦間の仲も良いとは言えず、妻にとっては夫に捧げてきた人生を振り返り、夫の定年後もまだ自分の時間を捧げなければならないのかという思いが強いようです。
 妻が田舎暮らしを反対する理由は、田舎が嫌いなのではなく夫に従うのが嫌なだけ、という感じがします。熟年離婚の大きな理由の1つですね。

 ということで、移住希望者がミーティングを重ねて自分たちのコミュニティを作るというのは、今の日本では難しいと思います。やるなら、こちらでコミュニティルールなどを先に決めておいて、一気に売るという形にしないと、多分ミーティングを重ねてもまとまらないと思います。>


(私)「やはりそうか」。大凡の見当の通りでした。
 NPO法人信州まちづくり研究会が活発に活動していた頃,仲間と共に北欧や欧米に何度か視察に行き,”まちづくり”の歴史や現実を研究しました。エコヴィレッジの発祥は北欧です。その良いところ,望ましい”まちづくり”(住宅地づくり)を地域社会の中に造ろうと今まで努力してきました。

 結局,”まちづくり”の原点は向こう3軒両隣の良好なコミュニティを造ることでした。だた,隣同士が仲良くしていれば良いというような単純なことではなくて,人間の一生を心豊かに全うし,心身共に健全な子供達を育て,公序良俗を維持継承していけるコミュニティでなければなりません。
 人生の生涯コストを下げられること,福祉を補完できること,幸福度を上げられることだと思っています。

 そのためには,上からや誰かから与えられたものでなく,自分達で作ったルールが必要です。そこから出発しようというのがエコヴィレッジであり,コウハウジングの考え方です。
 大上段の言い方ですが,民主主義社会の原点をつくるような考え方だと思います。国民の成熟度を表すのではないでしょうか。

 そういう観点から息子の答えを読むと,非常に残念ですが,日本の悲しい現実が見えてきます。欧米では,かなりのスピードでコウハウジング造りが進んでいます。アメリカでは20年ほど前に始まったのですがたぶん数百ヶ所になっていると思いますが,日本では本格的なものはまだありません。
 その創始者(アメリカ人夫婦)をNPOの講演にお呼びしたことがあります。

 日本では,アメリカのビジネスを採りいれるのは早くて上手いですが,”まちづくり”は苦手のようです。皆さんはどのようにお感じでしょうか?できるだけ大勢の皆様のご意見をお聞きしたいのです。宜しくお願い申し上げます。”田舎暮らし”にご興味のない方もお考えください。

 下記NPOのホームページに私の案が載っていますので,ご興味ある方はご覧ください。以前のものより簡潔に判り易くなっていると思います。

田舎暮らしコミュニティ・中山道 芦田宿・企画案
http://shinshumachidukuri.blogspot.jp/2014/01/blog-post_12.html

ーーーーー対中,高田様の提案!

 アクアビジネスコンサルティングから下記メルマガを頂きました。
 言うは易く行うは難しの内容ですが,やはりこれしかないのだと思いました。上海で生活し,長年中国相手にコンサルティングしている方の発言を傾聴すべきと感じています。

< 年頭に当たり、自分として思うところを整理してみましたので、新年の挨拶に代えて以下に述べさせて頂きたいと思います。

1.まず、我々日本人は、日中関係を考えるに、とかく、中国に対し、こうあるべきだとか、毅然とした態度をとるべきであるとか、日本は米国との連携を強化してけん制をするべきとか、 自分から相手に対しなにか働きかけることを考えを持ってしまいがちです。しかしながら、現段階は、日本が中国に対してどのような働きかけをしたから中国が態度を変化させるようなシンプルな段階にはないのではないかということです。

2.一方、中国が日本に対して現在のような態度をとる原因には、中国自身から発する要因と、日本から発する要因と両方があるということにあると思います。

3.中国自身から発する要因について、日本は影響を及ぼすことはできませんが、日本から発する要因については、自ら決定することができます。
それは、まず、日本の対中という視点の前に、国際社会に生きるうえで、精神的にも、物理的にも、更に歴史観としても、より自立、自律する姿勢を示すことであり、それができれば、中国の日本に対する態度も自ずと日本が期待する方向に変わってくるものと思います。

4.次に、この点は、ある意味、中国側にとっても同じことであると思います。中国側も、日本が自分が期待するようには反応しないので、イラついているように感じられる点があります。
中国も、又日本とは違った意味で、自らを見つめなおすことにより、日本の中国に対する見方も自然と変化が現れ、結局は中国が期待するような反応を示してくるということはあると思います。

5.例えば、日本の識者が指摘するように、中国が、自国内の矛盾、不満を外に向けさせる為に日本に対する批判が強まってしまうことが本当にあるとすれば、自国の問題は自国の内面的な努力に依り自律の方向性を強めれば、中国自身の為にもなりますし、日本、延いては世界の中国に対する見方も変わってくると思います。

・・・>


(私)倫理法人会という組織が使っている「対者我映」という言葉があります。相手の姿は自分の姿勢の反映であるという意味と解釈していますが,良い言葉だと思います。高田様の言わんとするところは,「お互いに自分を一段高見に上げよう,まず自分を律しよう」ということではないでしょうか。

 このところ,M教授から教えて頂いた「おどろきの中国」(講談社/東大の先生3人の鼎談)という本を読んでいますが,なるほど,と思う部分がたくさんあり中国観が変わりました。

 ただ,南京虐殺の後,日本軍が数千万人の中国人を殺したという記述があり驚いています。元より,正否の判断など私にできる訳がありませんが,余りにも数字が多き過ぎます。とても隠蔽できる数字ではありません。何故,国際問題にならなかったのか?です。
 
 南京問題,戦争責任問題は本当に難しいですね。
 しかし,曖昧なままではいけないと思っています。

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2014年1月5日日曜日

蓼科だより・325号〜田舎暮らし情報

★ーーーーーーーーーーーーーーーー2014年1月4日(土)★
★テーマ:ごあいさつ,「青春の詩」,「緑響く」,

     原発コーナー(最終回),南京事件
★ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー★

 新年明けましておめでとうございます

 「何故,『蓼科便り』を書き続けるのか?」を自らに問うことがあります。その都度,「都会暮らしの皆さんに田舎の良さを知って頂くため」などと言ってきましたが,還暦になったせいでしょうか,ひとつ気がついたことがあります。
 「自分の生活の証しを残したいんだ」という想いがあることにです。
 この想いは,たぶん,世俗的な地位と財産の全てをなくした結果として,心に巣くったものだろうと感じています。側にいる者達から見れば,迷惑なことだろうなと思いながらも,今年も生き甲斐を感じながら「蓼科便り」を書かせて頂きます。(笑)

 田舎者が毎日,土に親しみ自然を肌で感じながら,思うがまま感じたままを認めます。もとより不勉強者ですので自分の考えが正しいかどうか何の確信もありませんが,あるがままということでお許し頂きたいと思います。

 ひとつだけ確信をもって言えることがあります。
 それは農楽する自称田舎者を誇りに思っていることです。(笑)
ーー
 昨年末でしたが,頂いたメールに,サミエル・ウルマン(Samuel Ullmann )の『青春の詩』のことが書かれていて,その詩と再会しました。有名な詩ですのでお好きな方も多いのではと思いますが,読み直してみると,やはり年のせいなんでしょうね,感慨一入でした。

 この詩は,マッカーサー元帥が日比谷の占領軍総司令部の自室に架けてあったもので,ある日本人が見つけ,感動し漢詩調に翻訳したのだそうです。それが後に松下幸之助氏の眼に止まり,雑誌に紹介されたために一躍有名になったということです。

 そこで,還暦の新年を機に蓼科便りのアーカイブスを載せているブログに掲載させて頂きました。ご興味のある方は下記URLを開いて見て下さい。謂れや原文も掲載しました。
 ここにはエッセンスの部分だけ抜粋致します。

  人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる
  人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる
  希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる


ーー
 前回,モーツァルトと東山魁夷氏について書きましたが,これを知らせてくれた友人から詳細情報を頂きました。天才画家の心の内を覗けるような素敵な文章ですのでご紹介致します。

日経ポストカードブック、「東山魁夷『白い馬の見える風景』」より

< 「白い馬の見える風景」について    東山魁夷

 昭和47年(1972)、その年に描く何点かの作品の構想を漠然と考えていた時、ふと、モーツアルトのピアノ
協奏曲イ長調(K四八八)の第二楽章の旋律が浮かんできた。嬰ヘ短調八分の六拍子で書かれたこの楽章は、穏やかで控えめがちな主題が、まず、ピアノの独奏で奏でられる。
 心の奥に揺らぐ影を訪ね求めてゆくような低いモノローグが伝わってくる。深い奥底から立ち昇る嘆きとも、祈りとも感じられる。オーケストラが慰めるかのように応える。主題がピアノの独奏で変更されると、フルートやファゴットが加わり、優しい語らいを交す。

 ふたたび主題の独奏とオーケストラの応答ーーやがて弦楽器がピチカートに伴奏されて、ピアノは静かに旋律を繰り返しつつ、消え去ってゆく。すると、思いがけなく一頭の白い馬が、針葉樹の繁り合う青緑色の湖畔の風景のなかに小さく姿を表わし、右から左へと、その画面を横切って姿を消した。
 私はこの幻想から一枚の構図を作った。すると、不思議にも白い馬が小さく見える風景が、次々と浮かんできた。こうして、この年に描いた十八点の風景画(習作を含めて)による「白い馬の見える風景」の連作が生まれた。
 この白い馬はいったい何を表わすのかと、よく、人に聞かれる。私はその度に、見る人の心にまかせたいとのみ答えてきた。それは、私の心に内在しているものの象徴であることは間違いない。心の祈りとでもいうべきものであろうか。 >

東山魁夷館ホームページ

ーーーーー原発コーナー最終回(第40回)

 年末のHAL通信に表記の予告があり,下記ホームページを確認しました。
 安中さんには,すごく良い勉強をさせて頂きました。
 私は科学的論証については判りませんが,価値観と論理の展開(弁証法というのでしょうか?)は納得しています。
 学ばせて頂いたことの中で,もっとも重要と思ったことは,「100%の安全」などというありもしないことを求めたのは間違いだったということと,安全性とリスクの問題はコストとのバランスの上にあるということでした。

 この最終回の中から私なりにエッセンスだけ抜粋してみますが,皆さんも是非下記URLをお読みください。
 「・・・」は,前略,中略を意味します。

<・・・福島の場合は、政府と東電の無策が混乱と恐怖を大きくしてしまったと言えます。また、マスコミの偏向的な報道と市民の知識の乏しさが、過剰反応を生み出したとも言えます。

・・・「放射性物質」といっても、トリチウムによる放射線障害は心配するレベルではありません。・・・唯一、気になるのは内部被曝ですが、海水中の現在の測定量(17万ベクレル)程度では問題ないでしょう。この海水を毎日飲んだとしてもです。つまり、この問題も、報道がセンセーショナルに煽(あお)りすぎということです。

・・・トルコの受注などに見られるように、海外では日本の原発に対する評価は高いのです。商業用原発を世界最初に稼働させた英国は、・・・このたび、原発の新設を決定しました。しかし、停止している間に技術が失われてしまったため、日本メーカーとの提携を考えているとのことです。

・・・ある新聞に、以下のような論文が載りました。
「(前略)しかし何より問題なのは、原発事故に関する事実の隠蔽、国民をミスリードするメディアの統制、いわゆる"原子力ムラ"の中での利害とご都合主義による政策決定の独走といった民主主義の基本を逸脱した問題があまりにも目につくことだ。(後略)」
 この通りだと思いますが、この論文には「100%の安全を求める民主主義の無理強いが事故を招いた要因のひとつ」とする視点が抜けています。一番大事な視点だとおもうのですが。

・・・冒頭の「黎明期」で述べたように、優秀な若い科学者たちが、戦後の焼け野原からの復興を目指して欧米から原子力技術を持ち帰りました。しかし、同時に「大きな力がもたらす負の側面」にも目を向け、その抑制も考えるという「真のリーダー」は育ってこなかったのです。
 そこへ「100%の安全」を求め、決して妥協しない反対者たちがいて、狂気のごとく先鋭化する。この両者の不毛の対立が、原発事故の真の原因だと分析しています。

・・・原発事故という代償を払った日本は、この原因の全てを解明し、後世に残さなければいけない。
そして、より安全性の高い技術を確立し、これも後世に残す必要がある。
それは、「原発をゼロにする」という後ろ向きの結論ではなく、「原子力を人類の未来に役立てる」という前向きの結論であるべきだと私は思います。 >

第40回(最終回):原子力という力

(私)「100%の安全」を求めるということと,安全性を限りなく高めるといういうことは根本的に違うと思っています。それは「永遠のゼロ」の中で語られていた,生還率の低い爆撃にも進んで出撃するということと,十死零生の特攻に出撃することは全く別次元のことだということの裏返しだと思います。

 「100%の安全」を求めること自身が,リスク管理の根本思想から外れていると思うのですがおかしいでしょうか。それを訂正できなかった学会も専門技術者も,特にマスコミの責任は大きいと思います。
 アポロ計画でもソユーズ計画でも犠牲者を出していますが,「100%の安全」などというリスク管理の根本原理を否定するようなことは絶対ないと思うのですが如何でしょうか。

 私は安中さんの最終回の結論に賛成です。非常に安全性の高い新型原子炉が開発されていることも書かれています。現在原発を推進している人々も,決して核のゴミを放ったらかすつもりは無くて,処理を科学で解決しようと努力していると思います。

 安中さんが仰るように,「原子力を人類の未来に役立てる」という前向きの結論であるべきだと私も思います。

ーーーーー南京事件の記事が更新されました12/20

 自分で確かめようのない,科学でも解決できないこの種のことを扱うのは,私には難しすぎます。しかし,一人の日本人として,もし冤罪であるなら晴らして欲しいという願望がありますので掲載致します。一部を抜粋しますが,下段のURLから詳細をお読みください。ご意見をお待ちしております。

< 南京事件があったとされてから今年で七十六年目になる。十二月二十三日、新しい南京本が発売された。『謎解き「南京事件」』である(阿羅健一著、PHP研究所刊、千五百円)。
 これまで南京事件は、戦時宣伝という見方から研究が進み、中華民国による宣伝であって事実無根であると明らかにされてきたが、新しく発売される本は、東京裁判が下した判決を分析することによって、南京事件が架空であったことを改めて明らかにしたものである。

 東京裁判は昭和二十三年十一月に判決を下したが、日本軍によって引き起こされた不法行為として次の八つをあげた。
一 最初の二、三日で一万二千人の市民を殺害した
二 二万人の女性を強姦した
三 南京で欲しいものをなんでも奪った
四 南京市街の三分の一を焼き払った
五 兵役年齢の二万人の男性を城外で殺害した
六 南京郊外で五万七千の一般人を殺害した
七 三万人の中国兵を揚子江で殺害した
八 一般人と捕虜の殺害数は二十万人以上に達した

 八つの不法行為を起こし、結果として二十万人以上を殺害したと判決した。 『謎解き「南京事件」』は、これらすべてを俎上にのせ、一つ一つに反論し、その結果、検察の立証は事実に基づいたものでなく、判決は検察の主張を一方的に認めただけ、と明らかにした。
 詳しくは本書を読んでもらうことにして、検察の主張がどのようにでたらめで、どのように崩れたか、ここでは二番目にあげられた二万人の強姦について紹介する。・・続く。>
 続きは下記をお読みください。
「謎解き『南京事件』が発売に」
http://ameblo.jp/nankinkokumin/entry-11732889710.html

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2014年1月4日土曜日

青春の詩

 私が古希を迎えた年末に縁があり再会したこの詩に感慨を深くしたので,記念して掲載させて頂きました。
 この資料の出処は下記URLです。

 サミエル・ウルマンの青春の詩
 http://home.h03.itscom.net/abe0005/ikoi/seishunn/seishunn.htm

 以下はコピーです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 マッカーサー元帥が座右の銘としていた、無名の作詩家サミエル・ウルマン(Samuel Ullmann)氏(アメリカ)の『青春(Youth)』の詩が見出された経緯について少し説明しましょう。
 サミエル・ウルマンの「青春の詩」をじっくり、味わってください。ご希望の方はダウンロードして、詩の部分を、ワープロソフトで縦書き筆字に変換し、印刷されると又一味違ったものになります。

経 緯

 二次大戦終戦後、1945年9月27日に昭和天皇が,日比谷の占領軍総司令部にマッカーサー元帥を訪問し、天皇が始めて民間人と並んでツーショット写真を取られた部屋の壁に掛けられていた詩が、この青春の詩(英文)であった。



 マッカーサー元帥は、友人のJohn W.Lewis氏(コーネル大学教授)よりこの詩を贈られ、座右の銘として何時も執務室に飾っていた。
 しかし作詩者のサミエル・ウルマン氏は、当時は全く無名で、アラバマ州の人だと言うこと以外は全く知られていなかった。

この詩を、ある日本人(岡田義夫氏説が有力:明24年埼玉県生れ元「東京毛織OB」)が見つけ、感動し、漢詩調に翻訳した。

 これが後に松下幸之助氏の眼に止まり、あるインタービューでこの詩の事を紹介し、雑誌に掲載され一躍有名になった。

又、ロバート・ケネディーがエドワード・ケネディーへの弔辞にこのウルマンの詩の一節を引用したのも有名な話である。



 その後、色々な人が、サミエル・ウルマン氏について調べ、近年になり、アラバマ州のバーニングハム市に、ウルマンが晩年に過ごした家がみつかり、彼の作成した他の詩も発見された。
 JASA(日本協会)が、1993年に日米親善事業の一環として、その家を買い取り「ウルマン記念館」として運営している。

日本で有名になり、アメリカにお里帰りした心温まる話である。下に漢詩と原文と両方を掲げるが、漢詩調の訳文は素晴らしい。


青  春
サミエル・ウルマン

青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心,こう言う様相を青春と言うのだ。

年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。
歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ。
苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。

年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。
曰く「驚異えの愛慕心」空にひらめく星晨、その輝きにも似たる事物や思想の対する欽迎、事に處する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。

人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる
希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる
 
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、偉力と霊感を受ける限り人の若さは失われない。

これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、
皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至れば
この時にこそ人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる。


原 文
YOUTH

 Youth is not a time of life-it is a state of mind;
it is a temper of the will,a quality of imagination, a vigor of the emotions, a predominance of courage over timidity, of the appetite for adventure over love ease.

 

  No body grows only by merely living a number of years;peoples grow old only by deserting their ideals. Years wrinkle the skin, but to give up enthusiasm wrinkles the soul. Worry, doubt ,self-distrust, fear and despair-these are the long ,long years that bow the head and turn the growing spirit back to dust.



 Whether seventy or sixteen, there is in every being's heart the love of wonder, the sweet amazement at the stars and the starlike things and thoughts, the undoubted challenge of events, the unfailling childlike appetite for what next, and the joy and the game of life.


              you are yang as your faith, as old as doubt ;
      as young as your self-confidence, as old as your fear;
             as young as your hope, as old as your despair.

 So long as your heart receives messages of beauty, cheer, courage, grandeur and power from the earth, from man and from the Infinite so long as your young.

 

  When the wires are all down and all the central place of your heart is covered with the snows of pessimism and the ice of cynicism, then you are grown old indeed and may God have mercy on your soul.


          Given to Mc carthur some years ago by John
          W. Lewist is based on a poem written by the late 
          Samuel Ullmann of Birmingham, Ala.



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