2023年9月30日土曜日

戦没画学生慰霊美術館「無言館」

 
  ◀「無言館」正面



    「貧しかった出征兵士が、一度もやったこ
     とのない家族団らんを夢見て、描いて残                       して行った」
              ▼

            

一度は是非見て下さい。

館主ご挨拶
遠い見知らぬ異国くにで死んだ画学生よ
私はあなたを知らない
知っているのはあなたがのこしたたった一枚の絵だ
・・・・・・・・・つづく

無言館 ホームページhttps://mugonkan.jp/

menu を開くと素敵な説明があります。


ごあいさつ

 戦争中 、数多くの若い生命が戦地に駆り出され 、戦場のツユと消えました 。

 そうした中には 、画家になることを一心に夢み 、生きて帰って絵を描きたいと叫びながら死んでいった一群の画学生たちがおりました 。当時の東京美術学校(現・東京藝術大学)、現在の武蔵野美術大学、多摩美術大学にわかれる前の帝国美術学校に在籍していた学生、あるいは独学によって絵を学んでいた前途ある絵描きの卵たちです。これらの学生たちは、厳しい飢餓と死の恐怖にさいなまれながらも、最後まで絵への情熱と、生きることへの希望をうしなわず、その思いを一冊のスケッチ帖、一枚の画布にきざんで死んでゆきました。そこには、絵箪を銃に替えて生きねばならなかったかれらの無念と、同時に、人間にとって絵を描くということがどれだけ至純な歓びにみちた行為であるかを物語る、ひたむきな生の軌跡があったと思います。

 この戦没画学生慰霊美術館「 無言館」は、そうした画学生たちがのこした作品と、生前のかれらの青春の息吹きをつたえる数々の遺品を末永く保存、展示し、今を生きる私たちの精神の糧にしてゆきたいという希いをもとに、199751日「信濃デッサン館」の分館として開設されたものです。どうか、このささやかなる施設において、少しでも多くのかたがたの眼に、かれらの初々しい熱情にあふれた作品がふれることをねがってやみません。

                     「無言館」館主  窪島誠一郎

 

               戦没画学生の情報を!!

 かの日中戦争、太平洋戦争での戦死者は三百十数万人といわれ、昭和十八年十月の小雨ふる神宮外苑から学徒出陣した学生も数万余といわれています。現在「無言館」に収蔵されている画学生は百三十名、おそらくこの何倍もの戦没画学生の作品が、今もどこかで私たちに発見されるのを待っていると考えられます。皆さまのご親族、遠い縁者やお知り合いのなかに、そうした画学生がいましたら、遺作、遺品の有無にかかわらず、ぜひお知らせ下さい。「無言館」の記念碑「記憶のパレット」への刻名、作品を収蔵し展示する相談をさせていただきます。

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