2013年7月21日日曜日

蓼科だより・301号〜田舎暮らし情報

★ーーーーーーーーーーーーーーーー2013年7月20日(土)★
★テーマ:キリギリス,稲が回復基調,可哀相な16歳,

     赤線・娼婦・慰安婦,
★ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー★

 暑中御見舞い申し上げます 
 先週からキリギリスが鳴き始めました。
 ギ~~チョン,ギ~~チョン,・・と,昼間から賑やかです。

 虫の音,というと秋を連想してしまいますが,賑やかさでいうなら間違いなく今頃からお盆までです。キリギリスといろんな種類のコオロギの音に,賑やかなセミの鳴声が加わるからです。
 しかし,あの何とも美しく澄んだスズムシの音は盆を過ぎないと聞かれません。スズムシの音は最高です。なので,虫の音と言えば秋になってしまうのだと思います。スズムシはコオロギの一種だそうですが。

ーー稲が回復基調
 遅れてはいますが,田んぼの稲の分げつが順調に進んでいます。少ないのは5~6本ですが,多いのは17~18本になりました。気持ちが晴れやかになってきました。単純なものです。(笑)

 今朝は6時からEM活性液200倍液の葉面散布を行いました。稲の生育と分げつを促進するためです。動力噴霧機にジェット噴口を装着して,噴霧状にしてかけます。この作業は風があるとだめなので,早朝が最適です。朝凪という言葉は海辺で使われますが,山にもあるのでしょうか。

 17日には,稲の生長の定点観測をするために,22ミリのアルミパイプに,赤ペンキで10センチ目盛りを書き込み,畦に近い平均的な生長の稲に添わせて建てました。2日毎に日付入りで撮影を続けます。
 現在,身長75センチ,葉色スケールで葉色を見ると5,水深は15センチです。実は今の時期の標準葉色は4とされていますので,濃すぎます。肥料は「ヘの字稲作」の考えに従って標準量しか投入してありませんが,注意深く観察していくつもりです。

 不耕起仲間の宮下さんにヒントをもらって,理想の分げつ数を計算してみました。目標は1反歩=10アール=1000m2の作付け面積で10俵=10×60kg=600kgです。従って,1m2当り600gです。全て玄米重量です。玄米というのは,籾から籾殻だけを取った状態の精米する前のお米です。
 因に,籾を玄米にすると約20%重量が減ります。更に白米にすると玄米から8%減ります。

 私の稲は縦横33センチ間隔で植えたので,1m2当り9ヶ所(1本植。これが分げつで増えていきます)です。1ヶ所当りの必要量は,600g/9ヶ所=66.7g となります。
 コシヒカリ品種の標準1粒重量は0.022gなので,1本の穂に150粒着くと想定すると,1本の穂の重量は,0.022×150=3.3gとなります。一般的には1本に90粒~110粒ですが,不耕起栽培では順調に育てれば150粒つきます。
 従って,1ヶ所当り必要分げつ数は,66.7g/3.3g=20.2本 となりました。
 宮下さんの言った通りでした。

 私の場合その心配はないと思いますが,10俵以上採れると味が落ちるので,欲で余計採ってはいけないと教わっています。ですから,分げつが20本以上になるようなら,水量の調整によって分げつを止めなければなりません。そんなことになってくれれば万々歳ですが・・。

 ついでに,私が提唱している無農薬自給自足米作り一人100m2=10メートル四角=30坪で採れる量は,600g×100m2=60kg=1俵となります。この面積であれば,全作業,機械無して手作業でできます。
 皆さんは1年間にどれほどお米をお食べになるでしょうか。

ーーーーー可哀相な16歳少年少女達

 山口県で何とも悲しく残虐な事件が起きました。
 事件だけを見れば,極悪非道に違いありませんが,私には,あの少年少女達を罵倒する気にはなれません。それは,彼らが人間としての正常な感性と理性を持っているとは考えられないからです。どう考えても欠陥人間です。

 製造業の世界では,欠陥のある商品が原因で事故が起これば,それは製造会社の責任となりますが,人間社会ではどう解釈するのでしょう。私は同じだと思っています。育成者(製造者)責任を問うべきではないでしょうか。子どもは勝手に大きくなった訳ではないからです。

 物事の善悪の感知も判断もできないという欠陥です。
 それも人間にとって一番大切な命についてです。
 あの少年少女達を非難する前に,私は彼らの廻りにいる大人達に怒りを覚えます。責任は,あんなデタラメな生活を許して来た家庭,学校,地域社会にあるのではないでしょうか。
 何という冷淡で人間疎外された社会なんでしょう。
 欠陥を持たされた側も被害者だと思います。

 心配なのは,この事件は氷山の一角ではないか,場合によると私の身近で起こるかも知れないという不安です。
 ちょっと飛躍しますが,田舎には夢も希望もないといって,日本中が大都会にあこがれ,集中し,世界一の過密都市東京を作り続ける日本,農村の子どもが土いじりができずミミズやカエルが嫌いなどと言ってる社会はおかしいと思えてなりません。

 基本的な何か,価値観というか倫理観というか,国として人間としての基本的な何かがおかしいのではないでしょうか。怒りから,難しいことを書いてしまいました。どなたかご教授願えませんか。

ーーーーー赤線,娼婦,慰安婦

 加瀬英明先生のメルマガ7/19付より引用しました。これが実態なんでしょうか?

<どの国であっても、軍隊が外地で戦う場合には、将兵が性病にかかることがないように、兵士の性欲の処理にかかわって、管理するものだ。日本軍も例外ではなかった。日本軍の場合には、売春宿を経営する業者に女性を募らせて、慰安所を設けた。

 いったい、韓国には、軍人のための慰安婦がいなかったのだろうか?
 私は日韓国交樹立の前年に、韓国をジャーナリストとして訪れてから、足繁く通ったが、『東亜日報(ドンアイルボ)』をはじめとする韓国の主要新聞に、米軍のための「慰安婦(ウイアンプ)」を募集する広告を、よく目にした。「慰安婦」という言葉は、旧日本時代から引き継いでいた。

 韓国における「慰安婦」について、韓国の学者グループによる研究があるが、2年前に『軍隊と性暴力』(現代史料出版)として訳出刊行された。
 同書は、「慰安婦」が朝鮮戦争の勃発から、国連軍(米軍)と韓国政府がかかわって管理されたことが、克明に検証している。
 ・・中略。
 「慰安婦」の「目的は、第一に一般女性を保護するため、第二に韓国政府から米軍兵士に感謝の意を示すため、第三に兵士の士気高揚」のためと、述べている。

 韓国軍にも、慰安婦がいた。「『慰安婦』として働くことになった女性たちは、『自発的動機』がほとんどなかった。」「ある日、韓国軍情報機関員たちにより拉致され、1日で韓国軍『慰安婦』へと転落した。」

 「国家の立場からみれば公娼であっても、女性たちの立場からみれば、韓国軍『慰安婦』制度はあくまでも軍による性奴隷制度であり、女性自身は性奴隷(ソンノーエ)であった」と、論じている。

 2002年に韓国陸軍の「慰安婦」についての研究が発表された直後に、「韓国の国防部資料室にあった韓国軍『慰安婦』関連資料の閲覧が禁止された。(略)『日本軍「慰安婦」問題でもないのに‥‥』と言葉を濁らせた」という。

 ソウルの国会と、アメリカ大使館前にも、慰安婦像を設置することになるのだろうか。>
(私)日本に売春禁止法ができたのは確か昭和33年,私の中学3年まで「赤線」(公認売春宿街)が日本各地にありました。立科町に隣接する各町村にありました。貧しい家の娘が売られて売春婦になっていたと教わりました。

 私の青年時代,酒の席になると年配者達から決まってその話が出て,「あの頃は良かったなあ。金がないから,蔵から米を持ち出してさ,通ったもんだよ。」と聞かされたものです。
 昔の赤線の近所に住んでいる先輩からは,当時の娼婦数人がその後結婚して,今でもこの町に住んでいると聞いています。
 その後も闇の売春(青線)が続き,昭和40年代は日本人,その後は韓国,台湾,フィリピン,タイ,等々から女性が日本に押しかけて稼いでいたようです。今でも続いていると思います。
 ですが,この状況は世界共通のようです。

 アメリカは日本に対しては戦後早々に売春禁止法を強要しましたが,何故韓国にはそうしなかったのでしょう。韓国では,この21世紀になってもまだ新たな売春禁止法に対して反対しており,公娼制度を求めています。下記URLにその記述があります。

http://sasagoro.shinobiashi.com/rekisi/kosyowo-motomeru-syukai.htm

 下記Wikipediaには,世界の慰安婦について詳細に書かれています。客観的・中立的に書かれていると思います。長いので読み切れませんが,拾い読みした範囲では今までの私の認識の範囲内でした。
 人類の歴史と慰安婦・売春は切り離せないようです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/慰安婦

 この中に下記のような記述もあります。世界中同じとしか思えません。

<第二次世界大戦当時の戦地性政策の三類型

 秦郁彦によれば、第二次世界大戦当時の戦地での性政策には大別して自由恋愛型(私娼中心。イギリス軍、米軍)、慰安所型(日本、ドイツ、フランス)、レイプ型(ソ連、朝鮮)の3つの類型があった。
 自由恋愛型とは英米軍が該当し、・・中略。アメリカ軍もフィリピンなどの植民地慰安所をのぞくと慰安所を設置しなかったが、ノルマンディーに上陸したアメリカ軍が多数のフランス女性をレイプし、性行を行っている姿を見ないで街を歩くことが出来ないほどの状態になったため,
ル・アーヴルでは市長が郊外に慰安所の設置をアメリカ軍指揮官に懇願したがアメリカ軍はこれを拒否している。
 ドイツ軍は国家管理型の慰安婦・慰安所制を導入し500箇所あったといわれ、ドイツと同様の制度を導入した日本軍慰安所は400箇所あったとされる。フランス軍、インド駐留イギリス軍、イタリア軍にも慰安所があったが、慰安婦を現地で募集する場合とそうでない場合とがある(詳細は下記節で述べる)。
 日本軍慰安所設置にあたっては性病対策のほか強姦対策もあったが、強姦罪は跡を絶たなかったともいわれる。南京事件では日本軍による虐殺とともに強姦が発生したともされるが、研究者間で確定しておらず論争になっている(南京大虐殺論争を参照)。
 早尾乕雄『戦場心理の研究』によれば1938年の上海では強姦や輪姦が頻発し、南京では「皇軍に強姦されたら、幸運に思え」と怒鳴った隊長[誰?]がいたと報告している。>

ーーーーーーフッター

新しい国づくりの考え方「公と私」
http://shinshumachidukuri.blogspot.jp/2012/01/blog-post_28.html

「田舎暮らしコミュニティ」のすすめ!
http://shinshumachidukuri.blogspot.com/2011/10/blog-post_9187.html

農楽のすすめ!
http://tateshinadayori2.blogspot.jp/2011/08/blog-post_26.html

”田舎暮らし”動画がYoutubeに300本以上
http://jp.youtube.com/user/takasukey

メルマガ「蓼科便り」のアーカイブス
http://tateshinadayori2.blogspot.com/
ーーーーーーーーーーー
Topに戻る

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

0 件のコメント:

コメントを投稿