2014年2月2日日曜日

蓼科だより・329号〜田舎暮らし情報

★ーーーーーーーーーーーーーーーー2014年2月1日(土)★
★テーマ:新しい田んぼ,EMについて、何故宮部は特攻を!,
   食育の話,慰安婦問題のYoutube,小野田寛郎さん
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 ようやく一枚の田んぼをお借りすることができました。同じ自治会内の方で,親から2枚の田んぼを兄妹で一枚づつ相続したもので,その妹さんの分を貸して下さいました。
 今までの田んぼまでの距離は2kmでしたが,今度のは1kmもないほど近いので便利になりました。欲を言えば,前のより4アールばかり小さいので,もう一枚探しています。

 その田んぼは家の前から続いている一団の圃場の南方の山寄りにあります。総合評価すると,今までの田んぼより少し点数は落ちますが,土質は粘土で石も無さそうですし,畦も高く水漏れも無さそうなので,深水管理には適しています。充分いけると思います。
 ありがたいことに3年ばかり耕作してないというので,農薬は抜けていると思われます。

 今日は,以前の田んぼには入れられなかったので,束にして積んであったワラを,新しい田んぼで堆肥化する準備を始めました。イレギュラーな今回の稲づくりを利用して,新たな実験をしようと考えています。
 本来なら昨年秋に田んぼに入れるべきワラですが,それができなかったので,ある程度発酵させておいて,田植え直後に抑草を兼ねて田んぼに撒こうという考えです。EM活性液とコヌカでやろうと計画しています。

 ついでに,EM(Effectve Microoganismus:有用微生物群)についての所感を少し書きます。実は,私がEMに関心をもって多少なりとも手がけてから20年位経つと思いますが,「あっ,そうか!」と納得できたのは2年前の高山村における自然耕塾でした。
 EMについては否定的,或いは無効用的な批判がたくさんあります。曰く,「あの菌は自然界にあるものと同じだ」,「嘘っぱちだ。使って酷い目にあった」等々です。

 正直言って,生ゴミの処理など,私も巧く行きませんでした。ところが判ったのです。人間と似たような性質を持つ生き物だということがです。EMは,活性液として培養して使いますが,その過程では人間の赤ちゃんに対するのと同じくらいの気遣いが必要だということです。

 適温は36℃です。40℃になると死?ぬそうです。以下だと不活性化します。ですからサーモスタットを使って36℃プラスマイナス2℃位で管理します。人間と同じですが,違うところはでき上がってしまうと環境変化にも強いことです。

 米ヌカや魚粉,油粕などを混ぜて発酵させるボカシづくりで重要なのは湿り気具合です。つまり,温度と湿度の管理です。これをいい加減にすると,腐敗したり,悪臭を放ってりして失敗します.土に混ぜ込む時も同様です。私が以前にうまくいかなかったのはいい加減だったことだと気がつきました。

 自然界にはこの菌はきっとあるのでしょう。しかし,どうやって取出したらいいのか,どうやって培養したらいいのか判りません。
 そしてこの2年ばかりで判ったことは,田んぼに大量投入すると立派な稲ができることです。これは仲間のMさんも実証しています。これが最高です!

 EMの最大の利点は,培養の仕方が公開されているので,自分で培養していけば原価が限りなく易くなることです。私の場合,まず,2Lのペットボトルで一次培養します。次にそれを使って20Lポリタンクで二次培養します。更にそれを使って500Lに培養し使います。田んぼにも畑にも入れます。

 本当は,33倍になるのですが,私にはタンクが無いのと,必要もないので,上記のようにしています。一次培養液をまともに培養すると次のようになります。
 2L×33倍(二次)×33倍(三次)=2,178L
 一次培養の原液はたったの60ccです。一年に一回1000ccのEMボトルを買えば,上記の培養を16回繰り返せることになります。開発者の比嘉さんに申し訳ないような気がします。

 放射能被害を減らす効果も多くの実証を積み重ねており,福島県等の公共機関も公式に認めています。「何故,それが広まらないのか」には日本独特の理由があるようです。下記URLを開き,右上の小さなウィンドウをクリックすると,たくさんの記事があり,疑問を解くことができます。

新・夢に生きる・比嘉照夫

ーーーーーこの食育はすばらしい!!
 生ゴミを土に混ぜ込んで,3日目には生ゴミが消え,1週間で真っ白になり,1ヶ月後には野菜の種が蒔けます。これを子供達とやるのです。これは本当にすばらしいです。
 下記URLを開くと,右上の窓を開くと,第12回までの目次があります。
吉田俊道さんの“生ごみマジック”~元気野菜づくりと元気人間づくり
第1回 微生物いっぱいのおなか畑をつくろう!!
http://ecopure.info/rensai/genki/genki01.html

ーーーーー「何故,宮部は特攻を志願したのか?」
 「永遠のゼロ」(百田尚樹著)をテーマにして,表記の謎解きのために,安中さんとインターネット対談をしました。わたしもとても良い勉強になったので,掲載させて頂きました。すごく長いので,2回に分けることにしました。グリーンは(安中)さんの語りです。

(安中)「永遠の0」での安江さんの疑問、「何故,宮部(主人公)は特攻を志願したのか?」。
 この答えのひとつを私は伯父から聞いたことがあります。海軍特攻隊の生き残りである私の伯父は、志願した時の事情を話してくれました。

 「死にたくはなかった。だが、仲間だけを特攻に行かせるわけにはいかない。」これが志願した時の心境で、軍は巧妙に彼らの心理を操るやり方をしました。

 ある朝、伯父たちは整列させられ、基地司令官から特攻のことを聞かされました。そして、司令官は「特攻を志願する者は一歩前へ出ろ」と言いました。しかし、誰も前に出る者はいなかったそうです。
 伯父は、頭の中で「九死に一生の作戦なら志願するが、『死ね』はもう作戦ではない」と思ったそうです。
 すると、司令官は烈火のごとく怒り、整列している搭乗員たちを罵倒し始めたということです。「貴様ら、それでも帝国軍人か。情けない・・」延々と続く罵倒。
 それでも伯父は出なかったそうですが、そのうち、ふらふらと前に出てしまう者が現れたのです。気の弱い者が数人、罵倒に耐え切れずに、意思とは無関係に出てしまったのです。
 伯父は、「あ~、あいつらだけを死なせるわけにはいかない」と、前へ出たそうです。気が付けば、全員前に出ていたそうです。

 しかし、迫り来る死との葛藤が辛いものになります。結局、自分の死が「大切な家族を守ることに繋がる」との納得を自分の中で作ったと言いました。
 宮部も同じような心境で特攻を志願し、苦悩の中で自分を納得させたと解釈します。


(安江)自分の死が「大切な家族を守ることに繋がる」。結局,これしかないですよね。でも,私は思うのです。前線にいて,耳に入る戦局や毎日の現実から明らかなことは,「自分の死も家族を守ることはできないだろう」ではなかったでしょうか。

 それでも,自分の死が「大切な家族を守ることに繋がる」と,自分を納得させるしか他に,自ら死に向かって飛び立つ理由を見つけられなかったのではないでしょうか。本当の納得の死ではなかったと思うのです。そこが,やりきれない悲しさです。

(安中)「自分の死によって本土決戦が1日遅くなれば、大事な家族が1日長く生きられる」。これを絶望の中で思っていたのです。「納得の死」ではなくとも、納得しようと必死の努力はしていたのです。
 本当に,そこが,やりきれない悲しさですね。

(安江)「大事な家族が1日長く生きられる」。この言葉は本の中にもあったと思います。「これでアメリカに勝てる」なら,納得ですが,「1日長く」では余りにも悲壮すぎます。そしてこの言葉は,「どの道負けるだろう」が前提になっているのではないでしょうか。

(安中)「1日長く」は、「終戦に1日近づく」という意味でもあったのです。つまり、家族が死なずに終戦を迎えるチャンスが増えるという望みです。
(安江)やはり,そこまで兵隊を追い込むこと事態が間違いだと思います。何故,そこまで行ってしまったのでしょう?勝つためなら判ります。勝てないと判ってしまった戦なのに,です。
 本によると,特攻基地では,特攻機が目指す敵艦に近づく前に途中で全機撃ち落とされてしまうことが判っていたようです。それが判っていて,飛び立っていく特攻機搭乗員の心境は想像を絶します。
・・・続く。
ーーーーー慰安婦問題のYoutube画像

 慰安婦の日本軍による強制連行は虚構である!
 香川県で1973年に生まれ,小学校をオーストラリアで過ごし,中学以降はバンコクで勉強し,東京都知事にも立候補経験がある多才な活動をしている実業家谷山雄二郎氏が熱く語っています。
 私はこの内容が真実に近いのではと感じています。 
 字幕があるので,判りやすいです。 

GEISHA, TONY BLAIR & COMFORT WOMEN
http://www.youtube.com/watch?v=9bOw0uhgfrY

ーーーーー私がはじめて訪韓したのは、昭和39年のことだった。

 加瀬先生のメルマガです。こういう記録を読むと,現在の韓国の反日キャンペーンが信じられません。どうしてこんなことになってしまったのでしょう。下記URLから全文を読むことができます。

<ソウルは貧しかった。毎日、餓死者が絶えなかった。それでも土間の一杯飲み屋((ポージャンマチヤ)に入って、日本人だと分かると、居合わせた客が懐かしがって、日本語で話しかけて争うようにして、白く濁ったドブロク(マッコリ)を奢ってくれた。>
反日が募る韓国をどうする? 
http://www.kase-hideaki.co.jp/magbbs/magbbs.cgi

ーーーーー 日本人の誇り,小野田寛郎(ひろお)さん

国際派日本人養成講座1/26より引用です。
「30年間もジャングルで生き抜いた強い意志は尊敬に値する」
 小野田寛郎(ひろお)さんが1月16日に亡くなった。昭和19年末、22歳にして、米軍上陸間近のフィリピンのルバング島に送られ、「離島残置諜者」として、米軍占領後のゲリラ戦指揮を命ぜられた。

 以後、30年間、ジャングルに立て籠もり、戦後のフィリピン警察軍による93回の討伐にも屈せずに戦い抜いた。その間、姉や兄弟による現地での呼びかけにも応じず、最後に元上官からの「命令」を受けて、ようやく投降した。

a. JOG(437) 小野田寛郎の30年戦争
「いまの日本が失ったものを持っている戦前の日本人の生の声が聞けるかもしれない」

フッターーーーーーーー

無農薬玄(白)米の販売
http://daylanbo.blogspot.jp/2013/11/blog-post.html

籾殻燻炭の販売
http://daylanbo.blogspot.jp/2012/02/blog-post.html

農楽のすすめ!
http://tateshinadayori2.blogspot.jp/2011/08/blog-post_26.html

”田舎暮らし”動画がYoutubeに300本以上
http://jp.youtube.com/user/takasukey

メルマガ「蓼科便り」のアーカイブス
http://tateshinadayori2.blogspot.com/
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