2013年6月23日日曜日

蓼科だより・297号〜田舎暮らし情報

★ーーーーーーーーーーーーーーーー2013年6月22日(土)★
★テーマ:又してもミス!,泣かせるね!,「戦場のピアニスト」,

     私があなたを選びました!
★ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー★

 又しても,稲作りで大きなミスを犯してしまいました。
 不耕起栽培に移行してから3年目ですが,新しいことに挑戦する度にミスを重ねています。我ながら懲りない人間でまいりました。
 苗は立派にでき,田植えも無事できて意気揚々としていたところに落とし穴が待ち受けていました。
 苗が活着していなかったのです。
 18日にそれを発見したときは大ショックでした。

 慌てふためいて近くの尊敬するお二人の篤農家先輩に,苗を持参して見て頂いた結果,ガスによる発育障害でした。

 今年の新しい挑戦は,半不耕起にしたことです。以前に書いたことがありましたが,全くの不耕起ではなく,草退治と普通の田植機で植えるという二つの目的のために,代掻きだけ行うというシステムです。
 この選択そのものは間違っていなかったと思いますが,失敗してみて判るのは,新しい農法に対する研究・勉強不足です。

 良い苗を植えたのに,なかなか分げつが進みませんでした。ですが,「1本植えは分げつが遅いよ」と聞かされていたので,我慢していました。
 しかし,丈だけは倍近くに伸びましたが全く分げつ進まないので疑問に思い,2~3本抜いてみました。そして判ったのです。

 何と,真っ赤なか細い根がほとんどで白い根がほんのチョッピリしかありませんでした。田んぼに手を入れて根の部分をまさぐってみると,ほとんど浮き苗に近くフワフワしていました。活着していなかったのです。これでは分げつする訳がありません。
 隣の慣行田から良く分げつしている苗を頂戴し,更に一本植えの先輩の苗も頂いて比べて見ました。頂いた苗はどちらも白く太い根がびっしりと着いていました。私のがダメなのは一目瞭然でした。

 実は,田植えの時(6月2日)に,歩くとぶくぶくとガスが出ていたので気にはなっていました。「ガス抜き」については,稲作りを始めた2年間は慣行栽培だったのでJAの指導通りやっていましたので,知ってはいました。
 しかしそれは,田植えより約1ヶ月後のことで,苗の活着への影響など考えたことがありませんでした。

 二人の先輩の最初の質問は同じでした。「ガスが湧いてなかったかい?」でした。
 田植えの時もチェーン除草の時も出ていました。
 そして,その数日,田の中を歩くと大量のガスが大きな泡になってブクブクと吹き出していました。しかし,そのガスが苗の活着にこれほど重大な影響を及ぼすとは知らなかったのです。

 化学に強い先輩の分析によると,
 「佐久地方は非常に寒く(マイナス15℃〜20℃)雪も少ないので,ワラを全量入れてそのまま,或いは堪水して冬越ししたのでは冬期間の有機物の分解はほとんど進まない。
 秋の内にトラクターで撹拌した上で乾田にしてあれば,土と混じって好気性発酵するのである程度の分解がある。しかし,そうでなければほとんど有機物の分解はなかったと思う。
 堪水してあれば,嫌気性発酵になり更に分解が遅い。」


 「3月から堪水して2度の代掻きをしたことにより,気温・水温が上がってきた時に,一気に分解が進んだのだろう。メタンと硫化水素が出るのだが,それが影響するというよりは,有機物の発酵・分解の時に大量の窒素を必要とするので,窒素飢餓を起こしていると見た方が良いかも知れない。」

 「農業技術は,その地方の気候や土壌条件によって大きく変わる。他所の農法をそのまま持込んでもダメなんだよ」

 まずいことに,私は昨秋の元肥の不足分を2度目の代掻き前に有機肥料で撒いたのです。それが昨秋のワラ全量と堆肥と重なって,約20日後の田植えの日以降大量のガス発生となってしまったのです。
 結果として,ガスの湧いた田んぼへは田植えをしてはいけない,というより,田植えの時期にガスが湧くようなことをしてはいけないということが,よお〜く,身に沁みました。
 ガスの発生は当然なのですが,その時期のコントロールが大切ということです。

 半不耕起をやる皆さんは私の失敗を繰り返さないでください。
 厳しい寒冷地における秋の田んぼに入れる有機物の分解については相当の研究と工夫が必要です。

 今日の昼まで3日半日,述べ21時間,田転ばしでガス抜き兼除草を行いました。フワフワして活着していない苗を直しながらでしたから普通の3倍の時間がかかってしまいました。

 先輩は,「ガスが抜ければ,分げつも進み,ある程度回復すると思うよ」と慰めてくれましたが,心細い限りです。
ーー
 今日,やっと佐久市のシネマコンプレックスに配給になった木村秋則さんの「奇跡のりんご」を見ましたが,大逆境の下での家族愛に支えられた凄まじい挑戦に何回も泣かされました。
 私のやっていることなどその比較にはなりませんが,木村さんが9年間の失敗の果てに気づいた真実は実に単純なことでした。
 どんなことでも判ってみると単純なことが多いですね。
 私の失敗も,少し勉強し考えれば気がついても良いことだと思うのですが,悲しいかなできませんでした。

ーーーーー泣かせるね!

 ほたるの居る田んぼを創る会のメーリングリストに次のような記載がありました。

<ようやく今日から機械植えを再開できるかと思ったら、また故障。
明日明後日は、新型の田植機がとどきます。感謝感謝です。 
 
 それなら空いた時間に、大豆の畑の除草にトラクターをひととおり、夕方、新しく借りた畑に行ってみたら、綺麗に起こしてありました。

 地主さんだと思いお伺いしましたら、

「君が忙しそうにして一生懸命やっているけど、間に合っていないようなので、今朝、起こしておいた。」
「また何時でもやってやるよ。応援してるからね。」
 有り難くて、涙が出ました。
 
 違う地主殿は、「やあ、遅植のイネが伸びてきたな。良かったよかった。」
 「まあ、昔なら今頃が、田植えの最盛期だったよ。頑張ってな。」
 
 こちらの方にも、頭が下がります。>

(私)早速エールを送りました。
「すばらしい美談ですね,もらい泣きです!」

ーーーーー「戦場のピアニスト」

 唯臥独村から前号「沖縄」へのコメントを頂きました。

<沖縄方言には平安時代やそれ以前に中央で使われていた古い日本語が今も残っているそうです。
 また、妻の実家・岩手では「自分」を「わ」、「タヌキ」を「マミ」と言いますが、これは中央の言葉が東北へ伝播した結果、今でもその時代の言葉が生きている例だそうです。片や東北に、片や沖縄へと伝播していった古い日本語が南と北に残っているというのはとても興味深い話ですね。
 遺伝子から見ても、最近の研究では沖縄の人々とアイヌの人々は近く、本州の人々はその中間に属するとのことで、言葉からしても人種からしても、沖縄の人々は日本人に間違いないようです。>


(私)昨夜,「戦場のピアニスト」をVHSで見ました。有名な映画ですからご覧になっておられると思いますが,私は初めて見ました。久しぶりのナチスの映画でした。感動というよりは,悲愴感に襲われたと言った方が適当かもしれません。
 戦争映画はどれも悲惨な光景はつきものですが,やはりナチスのユダヤ人虐殺は格別です。
 さすがだな〜と思ったのは,映画のできた経緯です。Wikipediaを見ましたら次のように出ていました。

「第二次大戦におけるワルシャワを舞台としたフランス・ドイツ・ポーランド・イギリスの合作映画。2002年公開。ナチス・ドイツのポーランド侵攻以後、ワルシャワの廃墟の中を生き抜いたユダヤ系ポーランド人のピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンの体験記を元にしている。
 カンヌ映画祭では最高賞であるパルムドールを受賞した。アメリカのアカデミー賞では7部門にノミネートされ、うち監督賞、脚本賞、主演男優賞の3部門で受賞。他にも各国で多くの賞を受賞している。」
 中国がつくる日本との戦争映画のようなものだったら意味無いと思いましたが,関係国の合作であれば信用できます。
 この映画のことを書きましたのは,国家間・民族間の問題は非情で不理尽で過酷なものだということを再認識したからです。
 最近の安中さんのメルマガもこのことに触れていました。

 しかし,ヨーロッパはやはり進んでいますね。ヨーロッパ共通の歴史教科書も戦争映画も関係国が共同で作っているので信頼性が高いと思います。

 「ヨーロッパの歴史」には,第一次大戦で1,500万人,第二次大戦で5,500〜6,500万人(500万人のユダヤ人虐殺を含む)の犠牲者が出たと書かれています。(太平洋戦争における日本人犠牲者は政府発表で320万人)
 同時にこの時期はロシア革命が起こっていますから,その犠牲者を合わせると,ヨーロッパだけで1億人になんなんとするのです。
 恐らく人類史上最大の犠牲者ではないでしょうか。にもかかわらず,です。激しく殺し合った敵同士が共同で歴史書や映画を作っています。感動的ではないでしょうか。
 日中戦争や大東亜戦争について,アジアの関係国で歴史書や映画を作る日は来るのでしょうか。

ーーーーー私が あなたを 選びました!

 メル友Sさんよりステキな詩を頂きました。
 私は武者小路実篤の人生論が好きで,ほっとステイの子供たちにいつもこの話しをしていますが,この詩はそれと同じ思想で書かれています。読んでみてください。
 下記の言葉で始まります。

<おとうさん、おかあさん、 あなたたちのことを、こう、呼ばせてください。 あなたたちが仲睦まじく結び合っている姿を見て、 わたしは地上におりる決心をしました。 きっと、わたしの人生を豊かなものにしてくれると感じたからです...>

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Himawari/6637/watasi.html

ーーーーーお願い

 ご返事は不要ですが,コメントやご意見を頂けるとありがたいです。

ーーーーーフッター

新しい国づくりの考え方「公と私」
http://shinshumachidukuri.blogspot.jp/2012/01/blog-post_28.html

「田舎暮らしコミュニティ」のすすめ!
http://shinshumachidukuri.blogspot.com/2011/10/blog-post_9187.html

農楽のすすめ!
http://tateshinadayori2.blogspot.jp/2011/08/blog-post_26.html

”田舎暮らし”動画がYoutubeに300本以上
http://jp.youtube.com/user/takasukey

メルマガ「蓼科便り」のアーカイブス
http://tateshinadayori2.blogspot.com/

ーーーーーーーーーー
Topに戻る

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

0 件のコメント:

コメントを投稿