2017年10月1日日曜日

蓼科だより・517号~田舎暮らし情報

★ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー2017年9月16日(土)★
★テーマ:太陽光発電、
畑作技術と子実とうもろこしが水田農業を救う、
     部分最適と全体最適、ローカルに自足した島国根性、
★蓼科便りは,重農主義を尊重し、地域自給圏構築をめざします!
★発行:田舎暮らし世話人・安江高亮(090-3148-0217)
★後援:NPO法人信州まちづくり研究会
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 こたつが欲しいほど寒くなりました。薄いジャンバーをはおり、室内用ブーツを履
き、ひざ掛けをしてこれを書いています。将軍様のミサイルのサイレンと台風の予報で
気持ちも冷えています。

 週初めにニンニクと玉ねぎの定植予定場所の土作りが終わり、今日は田んぼを乾かす
ための畦草刈りをやりました。周囲の田んぼが綺麗になっているので、引け目を感じな
がら・・。

ーーー太陽光発電について

 前回の記事を読み返してみると、上田市塩田平の一件が悪いことのように皆さんに伝
わっいるだろうと思いました。悪いと思うのは太陽光発電ではなく景観です。

 農業改革の面から私が問題にしたかったのは中山間地の田圃です。そこは、稲作が採
算に合わず、既に耕作放棄がかなり進んでおり、早晩、団地化して農地再整備が必要に
なると思われるからです。その時、一団の中に太陽光発電施設があれば団地化すること
ができず、全体が
死んでしまうからです。

 その場所のことだけを考えるであれば、「太陽光発電をやることによって有効活用で
る」ということになりますが、一団の地域のことを考えれば障害になってしまうこと
もあるということです

 現在農水省から出されている営農型発電(支柱を高くして下で営農できるようにする)
の設置基準では、下で作物を作ると言えばどこにでも設置できてしまいます。自分でも
使えず、借りてくれる人もいない農地がお金になるとなれば、日当たりの良さそうな場
所にはどんどん設置されることでしょう。農地転用手続きが要らなければ簡単です。

 このことが、農業を好転させることにつながると思えれば敢えて反対する理由はない
のですが、中山間地の狭小な管理費のかかる農地でそんなことが成り立つとは考えにく
いのです。作物を作るは名目だけで、実質は太陽光発電のためだけになる気がします。

 一番の問題は、現在の農政では中山間農地を再整備する発想がないので、農地の構造
は現状のままで、農業生産、特に稲作のほころびを太陽光発電の収入で繕おうとするし
ているように見えてしまうことです。

 副業を悪いとは言いませんが、農水省の本業である農業はどうするんでしょうかと申
し上げたいのです。それにしてもというのはこのことです。

ーーー畑作技術と子実とうもろこしが水田農業を救う
 
 2日前ですが、茨城県猿島郡境町で、農水省畜産課、茨城県畜産課及び(社)日本草
畜産種子協会の主催で、「自給飼料増産に係る子実とうもろこしの生産拡大に向けた現地
研修会」が行われ、NPO法人信州まちづくり研究会として、私とH理事が参加しました。

 目的は、現在28%の畜産の飼料自給率を、平成37年度までに40%とするために、自
飼料増産に向けた取組を行っているが、子実とうもろこしの生産・利用拡大と畜産農
家の利用拡大を図るため、ということでした。

 午前中は養豚業塚原牧場さんの子実とうもろこしの転作圃場で刈取り実演を見学しま
した。ジョギングくらいの早いスピードで、クボタとヤンマーのコンバインが動いてい
ました。100馬力とか、大きな機械です。

 午後は講演とパネルディスカッションが行われ、5名の講師の報告や事例発表があり
ました。私が感じた要点を書いてみます。

 昆さんが初めて子実とうもろこしの栽培に取り組んだのが2011年。今年で7年目。こ
の数年、50%位づつ作付け面積が増え、そして今年、初めて農水省が子実とうもろこし
のための予算要求を出したそうです。昆さんが感無料と仰っていました。
(昆吉則さんは私がよく引用する雑誌『農業経営者』を出版している農業技術通信社の代表取締役)

 参加者全員の共通の意識は、稲作依存への危機感だと感じました。なので発表者の強
調点は「どの作物にも対応できる圃場作り」を目指す。子実とうもろこしの需要の大き
さと採算性の良さへの魅力。そして省力化のための機械化等でした。

 昆さんの次の言葉が強く印象に残りました。
「稲作の呪縛から離れること。畑作技術と子実とうもろこしが水田農業を救う」

 農水省が国産の本格的畜産飼料の生産に、やっと重い腰をあげたという感じです。し
かし、農業政策全般から見れば、飼料米やWCS(ホールクロップサイレージ)とバッテ
ィングする気がしますので、省内調整が難しいでしょうね。

 農業経営者である塚原さんと小泉さんの取り組みは本当にすばらしく感動しました。
特に、一人で42ヘクタール耕作している小泉さんの谷津田への取り組みをみれば、どん
なところだってできると思います。我々は泣き言ばっかり言っていて不甲斐ないと思わ
されました。

 収穫の見学をさせて頂いた塚原牧場さんでは梅山豚(メイシャントン)という日中友
好の贈り物だという日本にわずか100頭しかいない豚を飼育して精肉・加工して販売し
ています。私は味わいたいと思い、注文しました。

 1日1トンの餌が必要といい、現在食品加工残渣から作られるエコフィードで75%賄
っているが、その量を減らして、その分を100トンの子実とうもろこしで賄う計画だと
話していました。ただ、この目標達成のためには、近隣農家の協力が必要だとも。

 内容が盛りだくさんでとても書ききれませんが、詳細が必要な方はお知らせください。
 概要は、下記信州まちづくり研究会のURLにあります。

ーーー「いかに優れた部分最適も全体最適には勝てない」

 ちょっと気取ったことを書きます。ふとこの言葉を思い出したのです。
 「経営者の条件」で有名なドラッカーの言葉です。

 私は太陽光発電のところで次のように書きました。
「その場所のことだけを考えるであれば、「太陽光発電をやることによって有効活用で
る」ということになりますが、一団の地域を考えれば障害になってしまうこともある
ということです。」

 表題の言葉について、もうその本が見つかりませんが、私のメモから引用します。元
企業経営のことなので、言葉を農業の言葉に置き換えてみました。

「部分最適」は、それぞれの農地について品種の選択や土地の活用について最適を選
択することを意味します。
・それぞれの農家がバラバラな形で最適化されていくことも部分最適です。
・但し、部分最適には、一団の地域の土地利用効率を低下させるという問題があります。
・それに対して、全体最適は一団の地域全体の最適を図ることを意味します。
・全体最適化のプロセスでは、その地域の関係者・住民が歩調を合わせて同じ方向に最
適化されていく必要があります。
・全体最適化を図れば、農業の流れが地域組織全体として管理されるため、有効活用や
生産効率の向上をもたらします。
・部分最適をいくら積み上げても全体最適にはなりません。

 全ての物事に集合性の有利さがあるように思います。特に生活の集落や農業には言え
ると思います。分散とスプロール化はよくありません。特に水路と農道などは集合して
いなければできません。農地の整備は、周囲との関連もあり、工事費も大きいので公共
事業として一団でやらなければできません。

 前回の太陽光発電の記事を読んだ山形のSさんから、次のようなコメントを頂きまし
たが、その通りだと思いました。
固定される太陽光発電も農村のデザインに組み込む必要があります。

 東京のT
さんからは、
田舎をでてきた人間が言えた義理でありませんが、自然のど真ん中にギラギラした
陽光パネルは、見事に景観を壊します。」

 デザインというのは、一団の地域の土地活用の設計のことです。松尾さんをこのこと
を「農村計画」と呼んで、まず「地域のビジョンを作ろう」と呼びかけています。デザインがなければ、スプロール化は避けられません。太陽光発電設備がスプロール化したら、農村景観は破壊されてしまいます。

 部分最適と全体最適については、時代の変化で意味が違ってきているかも知れません。
お気付きの方にはご教授をお願い申し上げます。

ーーーローカルに自足した島国根性が停滞と衰退をもたらす

 JBpress
からです。
<・・・この正体不明の数字に一喜一憂するのは馬鹿馬鹿しいことです。それでも大域
的な傾向をつかむことはできるでしょう。・・・>
世界の大学ランキング、日本の惨状はなぜ
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/51030
(私)先日の「東信自給圏を考える会」に遠方からご出席いただいた
K様と意見交換を
させて頂いていますが、日本の世相について「ひょっこりひょうたん島」だと下記のよ
うに評していました。
<・半開国を卒業するには、親戚筋を広く他国に広げ、普通の文明圏の中核国となるし
かないと思います。しかし、それは日本の精神風土のひっくり返しですし、日本人の精
神的閉じこもり性からして、ありえないでしょう。
異論反論、質問を控え、和してつるんでしまうところの集団的閉鎖性といえるのでは
ないでしょうか。特殊なぬるい文明圏「ひょっこりひょうたん島」を進めていくことが、
我が国が基本とすべき拠り所だと思います。>
(私)この通りだと思います。表記の言葉「ローカルに自足した島国根性」と通じてい
るような気がします。昨日昼食を共にした友人も「もっと政治や宗教の話をするべきな
のに、まともな意見交換や討論ができる人がいない」を嘆いていました。
「異論反論、質問を控え、和してつるんでしまうところの集団的閉鎖性」。なんという
寂しい表現でしょう。ですが、言い当ててる気がします。
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