2012年4月15日日曜日

蓼科だより・235号〜田舎暮らし情報

★ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー2012年4月14日(土)★
★テーマ:自然耕塾@高山村,「犬と鬼・知られざる日本の肖像」
★蓼科便りは,”田舎暮らし”と地域(長野県東信地区)の情報をお伝えします
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今日は,2回目の不耕起栽培の塾が高山村でありました。生憎の雨でしたが,今回も座学が中心でしたからOKでした。
やはり,30年に及ぶ研究の積み重ねは深いものがあります。現場で実証された科学は説得力と信憑性が高いです。他の生徒(とは言っても皆還暦過ぎ)も「これは本物だなあ」と呟いていました。
因に,初回と今回は稲の生理。発芽の仕組みや,分けつ数は最高でも葉っぱの数までとか,生態系と稲の関係性でした。

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今回は,特別農楽リポートは以上にさせて頂き,本「犬と鬼・知られざる日本の肖像」(アレックス・カー著)の書評を書きます。”田舎暮らし”にも直結していると思い,すご〜く,感じてしまったからです。

2002年に出版されたこの本を,やっと今読みました。ず〜と,気になっていました。不幸にして予感は当たっていました。その内容は強烈で,あまりにも的を得ていて,恐怖感が残っているほどです。
不幸にして,というのはその本が日本への警告であることは判っていたからです。私は,特に”まちづくり”の部分に注目しながら読みましたが,よくぞここまで書いてくれたと感動しました。私が長年,苦々しく,恥ずかしく思っていたことが全て書かれていました。

しかし,400ページ近くもある大作ですから,ここではほんのさわりだけしかご紹介できません。Web見つけた書評を最初に,続いて抜粋を掲載致します。抜粋ですから,意味がつながりませんが・・。
時間がかかりましたが,自身納得の抜粋を作りました。A4で17ページほどあります。本をお読みになった方も多いと思いますが,ご希望があれば添付でお送り致します。

Webで見つけた書評です。
<数々の文化遺産、美しい国土、すぐれた教育制度、世界一の個人貯蓄。それがありながら、なぜ日本は道を踏み外すのか? 『美しき日本の残像』(新潮学芸賞)の著者による衝撃的日本論!肌で感じる痛切さがあり、率直で熱烈、有益で強烈だ。 ――(ファイナンシャル・タイムズ)>

やはりWeb「Alex Kerr.com」より。
<日本で育ち、日本をこよなく愛するアメリカ人である著者が、怒りと悲しみを込めて現代日本の病理を暴く。破壊される 自然環境、ちぐはぐな都市建築、日本の魂を崩壊させる官僚政治。
慢性的に進行する日本の「文化の病」を、丹念 に掘り起こしてわれわれ日本人に突きつける、衝撃の1冊。 

コンクリートで固められダムになる美しい山河や、全長の55%もがブロックやテトラポッドで覆われている海岸。不法投棄 の産業廃棄物の山と、そこから流れ出すダイオキシン。電線が空中を走り、けばけばしい広告看板をつけたビルがごちゃ ごちゃと建ち並ぶ街なみ。
そして、全国に増え続ける多目的ホール、テーマパーク、人工島、高速道路などの無意味な モニュメント。こんな光景を美しいと思っている日本人はひとりもいないだろう。なぜこんなものを作ったのか、なぜこんな国 になってしまったのかと著者に問われるのは、まったくお恥ずかしい限りである。

・・中略。韓非子の故事から取ったというタイトルは、抜本的な解決が難しい日本の諸問題を「上手に本物らしく描くのが難しい 犬」にたとえ、日本で行われている数々の無意味な施策を「どうとでも描ける想像物である鬼」にたとえて付けられてい る。>

ーーここより抜粋
P37 アイゼンハワー大統領は,子供の頃自分の家はひどく貧しかったと語り,「しかし,これがアメリカの不思議なところだが,自分が貧乏だと感じたことは一度もない」と述べている。日本の不思議さはこれと全く逆のところにある。本当は豊かなのに,誰も豊かに感じていない。だから新しい線路だの,セメントで覆った土手だのをしょっちゅう与えられないと安心できない。

P106 建て前,遠慮,慎み深さは,日本の真に優れた特質のひとつであり,人間のぶつかり合いに慣れている欧米ではみられない,気前よさと穏やかさが社会に醸し出されている。・・・しかし,これを企業のバランスシートや原発の安全報告にまで適用すると,危険で予測のつかない結果をもたらす。(註:これは2002年の記述)

P172 京都の現実をわが目で確かめたいと思うなら,エレベーターでリーガロイヤルホテルの最上階にのぼってみるといい。駅に近いこのホテルは,ほぼ街の中心に位置している。ここが京都だということをしばし忘れて,ぐるり360度眺め回してみよう。東寺の五重塔と本願寺の屋根の一部を除けば,どちらを向いてもごちゃごちゃと立ち並ぶコンクリートのビルが見えるばかりだ。世界にこれほど退屈な都市景観は少ない。

P193 「新しいものは日本のおはこ」という一般的なイメージに反して,日本が抱える問題は真の近代化を学ばないまま発展したことにある。金融分野などと同じで,都市の設計・開発の手法も,本質的には65年前後から進歩していない。

P215 いずれにしても,ほとんどの人はもちろん,金持ちでさえ胸を張って他人を招待できるような家には住んでいない。なにしろ,日本ではディナーパーティと言えば外食のことだ。自宅も庭で結婚披露宴を?とんでもない,とても考えられない。

P306 東京大学はまさにエリートの頂点に立つ大学だが,欧米の基準で見れば学問の園であるどころか学問の墓場である。大学本来の一大目的は学生に社会奉仕精神,一種の倫理観を育てることだが,東大ではまったく心得ていない。

P308 日本の教育システムで学生達が教わっていない重要課題がある----分析的な思考法や,変った,もしくは独創的な質問をする能力,人類皆兄弟という意識,自然環境に対する愛情などだ。とくに,環境破壊の責任は,教育システムにあると断言できる。自分の環境に責任を負うことを教えない。

P316 キーワードは「子供」である。(国中に溢れている)アナウンスの最大の特徴は,その徹底した子供っぽさである。福田(喜一郎)はこう指摘する。「そもそも,あのエスカレーターのそばに流れる『手すりにすかまって』も,駅員の『乗り降り続いて』も,『手回り品に気をつけて』も,あれもこれも幼稚園向きでありながら,これがれっきとした大人に流されているのだから驚くべき状況であるわけだ」。「幼稚園国家」に見られるナンセンスは度を超していて,とうてい信じられないところまで達している。

P330 黒澤はあるインタビューでこう嘆いている。「日本の映画会社に希望はない。あれは一度壊して,作り直すべきだ。・・・大衆はわかりやすい映画しか受けつけないし,大衆に理解できるのは猫や犬が出てくる映画だけで,現代社会が出てくるものではないんだ」

P351 80年代末のバブルの時代,アメリカの大学十数校が日本に分校を開設した。しかし,文部省が卒業認可資格を与えなかったため,これらの大学は学生を集めることができず,90年代末にはおよそ20の大学のうち1校を除いて撤退した。 

P352 ヨーロッパでは自然と史跡の美しさの保存は観光客を喜ばすために起こったのではない。それは,コミュニティを守ろうとする,昔からある市民意識から生じ,観光はその副産物であった。(日本はこの逆をやろうとしている!)

P374 これからの数十年間,このままやっていけるだけの蓄えはある。これこそ日本の悲劇だ。中途半端から日本を目覚めさせることができるのは破産だけだろう。
P376 残念なことだが,経済崩壊はまず起きないだろう。水はしばらくぬるいままで,国民は中途半端というスープのなかでぬくぬくと眠り続け,国は徐々に衰退していく。「文明としての日本型資本主義」への墓標銘を刻む時がくれば,その銘は「ゆでガエル」だろう。
P380 過去の二世紀に,日本の課題は鎖国から脱却し,世界で活躍することだった。それにみごと成功し,最も力のある国になった。しかし,この成功はその裏に途方もなく大きい代償を伴ったものであった。家路を探し求めるーこれが今世紀の課題だ。

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(私)内容を細かく検証すれば,間違いや誤解があるのかも知れませんが,この国の流れや現実の捉え方と,著者の価値観による評価は素直に受入れられます。
 激しすぎる表現もありますが,著者の日本への思い入れの結果がなせる技だと思います。10年前の本なのに,今読んでも何の遜色もありません。
 ということは,この10年間ーというより20年間,日本は止まったままということになります。むしろ,後退しているのかも・・。

NPO法人信州まちづくり研究会の下記ブログには,これとは違ったまとめ方で,読み易くして掲載しています。古民家を再生している姿があります。

これは,あくまでも凡夫の書評です。ご批評を戴ければ幸いです。

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”田舎暮らし”動画がYoutubeに300本

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