2012年4月1日日曜日

蓼科だより・233号〜田舎暮らし情報

★ーーーーーーーーーーーーーーーーー2012年3月31日(土)★
★テーマ:初畑仕事,米の収量,中庸?,南京虐殺の真実?,奇跡の救出劇
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 今夜は地元で,「中山間地農業直接支払事業」の総会があり,ありがたい国策の恩恵に与り,農業の話しはひとつもない世間話の懇親会で酔わせてもらいました。30戸の兼業農家に200万円ばかりを配る会です。
 夜9時,妻に迎えに来てもらって家に帰り,ふと空を見上げると,半月の月が鮮やかでオリオンが大きく西に傾いていました。雨上がりの夜でしたが雲間に見える星はすごくキレイでした。冬も終りです。
 振り返ると,今冬は原発と橋下論議のせいでしょうか,星空を見るゆとりがありませんでした。
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 2日前29日より,今年初の畑作業をはじめました。半月は遅い春です。
 早速,EMボカシと籾殻燻炭だけで,促成の土作りをして,バイオマス温室で育てたアカカブ,コカブ,コマツナを定植しました。しかし,夜はマイナスになる恐れがあるので,トンネル支柱をし,自慢の脱着自在の不織布を掛けました。

 今日は朝から小雨でしたが,29日に定植した野菜を見に行くと,皆ピンと立ち上げっていました。思わずニッコリ。畑作業はできないので,花のダリアとアスター,野菜のエダマメ,チンゲンサイ,カリフラワーをプラグプレートやポットに種蒔きしバイオマス温室に入れました。

 温室の状況はGoodです!じゃがいもの丈は50センチになりました。先ごろ3月末には食べたいなどと書きましたが,夏でも4ヶ月かかりますからやはりそれは無理だと覚りました。
 今月から,これらの様子を体験農園記録としてYoutubeにアップロードいたします。
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 前回,米作りは,「1粒が200~250粒になります」と書きましたが,「もっとなるよ」という電話を頂き,再検討しました。
 JAの指導員に聞くと,「田の条件によって違うが,平均苗1本が8本位に分けつし,1本平均100粒ほどになる」とのことでした。これを単純にかけ算すると800倍になりますが,これは全ての作業ロスと品質ロスをゼロとした理論値です。

 200〜250倍というのは,収穫籾全量を購入した種籾の量で除した数値です。
 ですから,播種,育苗,田植や収穫以後に発生する様々なムダ・ロスが引かれた数字です。私の場合,4kgの籾で1000kgの収穫でしたから250倍でした。(平成25年の数値)

 10ヘクタール以上米作りをやっている知人に聞きましたら,200倍が良いところだと話していました。ですが,研究して丁寧に作っている方は理論値を越えることもあると思います。そして,大規模・大型機械農業と小規模・労働集約型とはその成果が大きく違ってくるのはやむを得ないと思います。
 これは全ての産業に言えるのではないでしょうか。
 私も500倍くらいには到達したいという野望があります。そして周りの人をあっと言わせたい!

 本日午後,地元白樺高原(蓼科牧場と言った方が通りがいいと思います)で全国放送になった雪によるバス事故が報道されました。幸い重傷者はなかったようです。
ーーーーー「中庸」を考える
下記は安中さんの言葉です。
<報道はあくまでも公平であるべきだ。
予見を持たず、推定は「推定」と明記し、結論を誘導すべきではないと思う。
原発の黎明期、「原発推進すべき」の記事で国民を誘導したのも報道機関である。報道で世論を誘導し、どっちの方向にも国民を動かすことが出来ると考えているならば恐ろしいことである。
近年の政治報道を見ても、その傾向を顕著に感じる。
我々は、報道を正しい目で分析しなくてはならないのである。>
私は最近,ガラにもなく難しい「中庸」ということをよく考えます。
それは,安中さんの言葉にある通り,マスコミの報道がどっかおかしい,と感じるからです。
Wikipediaを見ると,「中庸」について,次のように書いています。

<「過不足なく偏りのない」徳は修得者が少ない高度な概念でもある。>

<中庸(ちゅうよう)とは倫理学(特にアリストテレスのそれ)において、徳の一つ。
『ニコマコス倫理学』のなかで、アリストテレスは人間の行為や感情における超過と不足を調整する徳としてメソテース(中間にあること)を挙げた。メソテースとはギリシャ語(μεσοτης, Mesotes)であるが、英語ではGoldenMean(又はHappyMean)と言う。日本語訳ではこれに中庸という儒教用語をあてた。例えば、勇気は蛮勇や臆病の中間的な状態である時はじめて徳として現れる。アリストテレスによれば、この両極端の中間を知る徳性が思慮(フロネーシス、実践知)である。>

正直言って,上記の意味はよく理解できませんが,私は単純に「偏らないこと」と解釈しています。ですが,決してどちらにもつかないという意味ではないと思っています。

私の周りにいるエコ派・ヒューマニストらしき人達は,ほとんどが反原発,最近は南京虐殺あった論者のようです。私もエコ派のつもりですから,矛盾しますが・・。(笑)
その人達に,少しでも原発を容認するような発言をすると,たちまち拒絶に合います。言語道断,議論の余地無しの対応です。川村発言に対した中国と全く同じです。
 しかし,南京虐殺あった論者の中にも私と同じ考えの方がいて,その方々は議論を拒否することはありません。

私は決して,単なる原発推進派でもなく,南京虐殺無し論者でもありません。理由は簡単です。確信に至る主張に辿り着けないからです。
 ただ,とりあえずの意見とすれば容原発であり,南京虐殺無し論だということです。しかし確証を持てずにいますから,今後の展開によりどちらに転ぶか判りません。あえて言うなら,真実待望論者です。
 安易に現状否定しないという立場です。
私の理解する中庸とは,自分と異なる意見にはむしろ積極的に耳を傾け,理解しようと心がけること。その上で,どちらが正しいか判断することです。
 対話と論議は民主主義の出発点だと思います。それを拒否するということの先には専制か独裁しかないのではないのでしょうか。中国はその現実の姿だと思います。

 多数決というのはお互いに違いを鮮明にすることにより成立つ仕組みであり,相手を知らなければ選びようがありません。対話を拒否することによって何が生まれるのでしょうか。自分が正しいと思えば,相手を説得するのが人の道だと思うのですが・・。

ーー下記記事も,上記の延長線上のことです。
「加瀬英明2012/03/29メルマガ」に下記の記事がありました。<>内です。加瀬さんは「南京虐殺はなかった」論者です。
 わたしはこの主張が絶対正しいかどうか判断することはできませんが,賛成したい心情であるこは事実です。そして,それが絶対と思っていないことも事実です。

 中立の立場に立って判断したいとお考えの方はお読み頂きたいのです。良い反面教師になると思うからです。二つ目のURLには「温家宝首相への公開質問状 南京大虐殺を証明できますか?」も入っています。それが下記3つ目です。

<私は「南京事件の真実を検証する会」の会長をつとめてきたが、日本軍が南京攻略に当たって虐殺を行った事実は、中国側の記録を丹念に調べてみても、まったくない。
下記ホームページ・コラムで,このメルマガを読むことができます。
http://www.kase-hideaki.co.jp/magbbs/magbbs.cgi

「南京事件の真実を検証する会」のホームページ:
http://www20.tok2.com/home/nanking/

「温家宝首相への公開質問状 南京大虐殺を証明できますか?」

ーーーーー猪瀬さんのメルマガはスゴイ!
 [MM日本国の研究691]「気仙沼市中央公民館446人救出。あれから一年」より
<中央公民館の屋上に取り残された一人である、気仙沼市マザーズホーム園長の内海直子さん達が猪瀬を訪問した際の面会記録をお届けします。>

(私)津波と火災で孤立した公民館から,園長が発信したメール「火の海,ダメかも」を,ロンドンにいた息子が受信し,それをtwitterで発信。3/11夜12時頃,東京の鈴木さんを経由して猪瀬副知事のtwitterに着信した。
翌朝6時,3機の東京消防庁ヘリが救出に向かい,園児70名を含む446人の奇跡の救出が行われた。

石原都知事も会談に加わり,「これは絶対映画になりますよ」と。下記URLからメルマガ配信を申込めますが,下記ホームページにこのメルマガがアップされるのは来週かも知れません。どうしてもすぐお読みになりたい方はご一報を!

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NPO法人信州まちづくり研究会ブログ
http://shinshumachidukuri.blogspot.com/2012/03/will_4701.html

ーーーーー農業による”まちおこし”の実例報告
世界各地で始まっている大きな動きです。その一例です。

やはり,NPO法人信州まちづくり研究会ブログ
現代版アメリカンドリーム「アグリカルチュラル・アーバニズムの実践」
http://shinshumachidukuri.blogspot.com/2012/03/blog-post_14.html

”田舎暮らし”のことなら
http://tateshinadayori2.blogspot.com/
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